松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

第102代【後花園天皇陵】の制札!先に北朝初代【光厳天皇】の名が

2018-02-23 10:34:09 | 日記

今回から北朝の天皇さま、初代から5代までを紹介していこうと思う

その前に、今から二年前の事「常照皇寺」に【後花園天皇陵】を訪ねた時の事です

常照皇寺への石段を登って行ったので御陵に辿り着くのに時間がかかって・・・

お寺の人に聞いて場所が違うこと気付き、やっとの事で【後花園天皇陵】へと

ところが制札を見たら「光厳天皇」 の名前が先にあるのです???

間違えたのかな、もう一度よく見ると二番目に「後花園天皇」の名前が???

やっぱり、間違ってはいなかったと安堵したことを思い出します

その時は深い事情を何も知らなかったので、キツネにつままれた思いで帰ってきました

今改めて北朝初代の「光厳天皇」を調べてみて!なるほどと納得しました

      

北朝の天皇さまは、初代光厳天皇、第二代光明天皇、第三代崇光天皇、第四代後光厳天皇

第五代後円融天皇、第六代後小松天皇は統一後歴代の第100代天皇となります

ですから初代から五代までの天皇が歴代の中に入っていないのです

本来、北朝は室町幕府側の天皇です、最終的には室町幕府!つまり北朝優勢のまま

南北統一になり、その後は北朝方の血筋の天皇が即位していきます

それなのに何故?南朝側が正統となったのか、それは明治天皇の決断によるものでした

しかも明治の末期になってからの決断で、北朝の天皇陵も明治期に整備されています

元々の要因として、鎌倉時代、朝廷内で皇位をめぐり兄弟の争いからの両統迭立です

大覚寺統と持明院統の二つの系列に分かれ、大覚寺統が南朝、持明院統が北朝に

さて光厳天皇は北朝の初代天皇となっていますが、その即位は鎌倉幕府健在の時でした

大覚寺統から即位した後醍醐天皇が幕府打倒を画策し挙兵したため、

幕府によって廃位されたうえ、持明院統の【光厳天皇】が即位するのです

しかしながら、複雑なのはこれからなんです

足利尊氏らが鎌倉幕府を滅亡に追いやります、すると後醍醐天皇は・・・

流罪先の隠岐から京に戻って建武の新政を開始するのです

その時に、自らの廃位を否定して、天皇としての新政を行うのでした

この様な流れから、今度は光厳天皇の即位が否定されることになります

しかし、後醍醐天皇は光厳天皇を上皇にすることを認めます、わずか1年半の在位でした

ただ上皇として北朝で院政を行ったために、北朝初代とされるのです

晩年は禅宗に深く帰依して、常照皇寺を建立し禅僧として修行します

結局!常照皇寺で崩御して、そのままこの場所に葬られます

だから最初の制札の疑問がここで解けることになるのです

では最後に常照皇寺の山国陵と後山国陵への道程をご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 


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