松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

童謡「唄を忘れたカナリア〈金糸雀〉は」には厳しい試練が!

2018-04-16 18:04:26 | 日記

  

     若かりし頃の・・西條八十           「かなりや」を発表したのが詩集「砂金」

 童謡と云っても・・・ナント過酷で厳しい歌詞なのでしょう

子供向きとは、とても・とても思えない、西條八十の厳しさ

この歌をご存じない方に、まずは・・・歌詞をご覧ください

  唄を忘れたカナリヤ〈金糸雀〉は

 唄を忘れたカナリヤは

 後ろの山に捨てましょか

 いえいえ それはなりませぬ

 

 唄を忘れたカナリヤは

 背戸の小藪に埋〈い〉けましょか

 いえいえ それはなりませぬ

 

 唄を忘れたカナリヤは

 柳の鞭でぶちましょか

 いえいえ それはかわいそう

 

 唄を忘れたカナリヤは

 象牙の船に銀の櫂〈かい〉

 月夜の海に浮べれば

 忘れた唄をおもいだす

どうですか、唄を忘れてしまったカナリアには何の価値もないのでしょうか

①では、後ろの山へ捨てられるのですか

②では、背戸〈裏の戸〉の小藪に埋められるのですか

③では、柳で作って鞭でぶたれるのですか

でも、救いはいえいえそれは成りませぬと否定しています

人生も同じでは無いでしょうか、そんなに甘くないのが世間でしょう

幼い子供たちに、西條八十が現実の厳しさを教えているのでしょうか

美しい声で歌っているカナリアですら唄を忘れたら、こんな目に合う・・と

しかし、何事も諦めてはいけない、きっと又美しい声で・・歌声が

、調べてこの歌の裏話が見つかったので・・・

 西條ハ十の辛い苦しい生活苦から生まれた唄らしい

 西條は詩を作る仕事に就きたいと願いながら日々の生活に追われ

 株の取引に明け暮れる自分を責めて、作った歌だったのだ

 いえいえ、それはかわいそう・・とは妻の口癖だったとか

 西條は、カナリヤを自分に映して詩を作っていたのだ

 大正7年〈1918〉に作詞、これに成田為三が作曲、

 レコード化されたのが大正9年〈1920〉タイトルは「かなりや」

 昭和27年になって小学唱歌として取り上げられ、

 その時に「唄を忘れたカナリヤ」になっている

曲も、3番まで同じメロディーで、3番の最後だけが

4番に繋げるように、メロディーが下がっている・・・

そして4番のメロディーが高らかに、と云うか決めの曲になっている

私も久しぶりに聞いて、あれこんな曲になっていたのかと

改めて・・・この歌詞とのコンビネーションの素晴らしさを知った

 

     

 

 

 

 


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