若かりし頃の・・西條八十 「かなりや」を発表したのが詩集「砂金」
童謡と云っても・・・ナント過酷で厳しい歌詞なのでしょう
子供向きとは、とても・とても思えない、西條八十の厳しさ
この歌をご存じない方に、まずは・・・歌詞をご覧ください
唄を忘れたカナリヤ〈金糸雀〉は
唄を忘れたカナリヤは
後ろの山に捨てましょか
いえいえ それはなりませぬ
唄を忘れたカナリヤは
背戸の小藪に埋〈い〉けましょか
いえいえ それはなりませぬ
唄を忘れたカナリヤは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
唄を忘れたカナリヤは
象牙の船に銀の櫂〈かい〉
月夜の海に浮べれば
忘れた唄をおもいだす
どうですか、唄を忘れてしまったカナリアには何の価値もないのでしょうか
①では、後ろの山へ捨てられるのですか
②では、背戸〈裏の戸〉の小藪に埋められるのですか
③では、柳で作って鞭でぶたれるのですか
でも、救いはいえいえそれは成りませぬと否定しています
人生も同じでは無いでしょうか、そんなに甘くないのが世間でしょう
幼い子供たちに、西條八十が現実の厳しさを教えているのでしょうか
美しい声で歌っているカナリアですら唄を忘れたら、こんな目に合う・・と
しかし、何事も諦めてはいけない、きっと又美しい声で・・歌声が
今、調べてこの歌の裏話が見つかったので・・・
西條ハ十の辛い苦しい生活苦から生まれた唄らしい
西條は詩を作る仕事に就きたいと願いながら日々の生活に追われ
株の取引に明け暮れる自分を責めて、作った歌だったのだ
いえいえ、それはかわいそう・・とは妻の口癖だったとか
西條は、カナリヤを自分に映して詩を作っていたのだ
大正7年〈1918〉に作詞、これに成田為三が作曲、
レコード化されたのが大正9年〈1920〉タイトルは「かなりや」
昭和27年になって小学唱歌として取り上げられ、
その時に「唄を忘れたカナリヤ」になっている
曲も、3番まで同じメロディーで、3番の最後だけが
4番に繋げるように、メロディーが下がっている・・・
そして4番のメロディーが高らかに、と云うか決めの曲になっている
私も久しぶりに聞いて、あれこんな曲になっていたのかと
改めて・・・この歌詞とのコンビネーションの素晴らしさを知った
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