天皇陵巡りに・・・私を駆り立てた最大の切っ掛けになる、私にとって大きな一枚
何度もブログしているので、又か~!と思って御覧になっている人もいるかも
上の写真なんですが・・・この前を何度も何度も数えきれないぐらい通っているのに・・・初めて気が付きました
何でこんな処に、御陵があるの 入っても?いいのかな~・・・〈入り難かったんです・・・〉
でも勇気を出して〈そんな・・・大層な〉 一歩づつ後ろを振り返りながら・・・
この一番奥に・・・制札〈せいさつ〉がありました、今だから制札と云う言葉が分かりましたが、これを制札と云います
天皇陵の参拝は、今回が初めてと云う事はありません・・・詩吟の関係で、芳野〈吉野〉の後醍醐天皇陵へは行ってます
今年、48歳になる息子が幼稚園ぐらいの時に一緒に上がったことがあります
記憶にあるのは、この時ぐらいで・・・初めてと云っても良いぐらいです・・・それが不思議なんです
御存じのように後醍醐天皇は南朝の初代天皇、そしてこの長慶天皇も南朝の天皇なんです
何か、不思議な巡り合わせでしょう
それに、京都にこんなに沢山の御陵があるとは全く知りませんでした
でも 私にとって、73歳にして初めて・・・天皇陵に目覚めたのですそれと天皇の歴史にも
それでは!この歴史的出会いをもう一度御覧頂きまして・・・神武天皇から昭和天皇までの御陵巡りと
天皇に纏わる、【本当にお恥ずかしい限りなんですが、今まで全く知らなかったもので】エピソードなんかを
後醍醐天皇から始まった南朝・・・後亀山天皇までの僅か四代の天皇ですが・・・ここにも深い歴史が
初代天皇である神武天皇・・・と、日本武尊の関係とか、おまけに恥ずかしい話ですが
【月岡芳年の名画・・・神武天皇】
日本武尊が歴史上で一番古い人、神話の中の伝説上の人、と思っていました
【大阪府堺市の大鳥大社にある、日本武尊像】
それが今回色々の天皇関係の本を読んで、第十二代景行天皇の皇子が日本武尊なんです・・・びっくりポンでした
この景行天皇には80人の子供があったとか・・・【古事記】と【日本書紀】から・・・すべてが
これから、ゆっくりと時間をかけて、私なりにひも解いてまいりましょう
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