ジャン=フランソワ・ミレーと云えば 「 落穂拾い」でしょう・・・
落穂拾いとは、貧しい農民が収穫の後に、落ちている穂を拾って生活の糧にする悲しい絵
ミレーは貧困の画家でした、この「落穂拾い」は1857年の作品です
ミレーとルソーの友情のお話は、この2年前〈1855年〉、パリ万国博覧会の時です
1855年のパリ万国博覧会 博覧会会場内部
ミレーはこの時期、最も生活苦の最中でした、4人目の子供も生まれ・・・
その上、弟たちの同居まで起こってきた中での、パリ万博への出展でした
ミレーはこの万博に「木こり」と「草を焼く農婦」それに「接ぎ木をする農夫」の作品で参加
しかしながら入選したのは「接ぎ木をする農夫」 だけだったのです・・・
この作品!評価は悪くなかったのですが、肝心の買い手が付きませんでした
そんな時です、友人のテオドール・ルソーが、ミレーのもとへ飛び込んでくるのです
「アメリカ人が4000フランで購入すると言っているので仲介した」と云うのでした
この時の4000フランがどれほどの相場価格か知りませんが、大金だったと思います
友情のお話は、ここからなんです、実はミレーを助けるルソーの一人芝居なんです
この博覧会で成功を収めていたルソーが、アメリカ人の買い手を装って購入したのでした
後日、何年も経ってミレーがルソー宅を訪れた時にこの絵が掛かっていたと云うお話です
ジャン=フランソワ・ミレー テオドール・ルソー
ではルソーの作品を出展いたしましょう
1852年の作品「アプルモンの樫・フォンテーヌブローの森」
では最後にミレーのもう一つの代表作「晩鐘」をどうぞ
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