何しろ、紀元前660年が神武天皇の即位なのであります
そして、第二代綏靖〈すいぜい〉天皇の即位が紀元前581年とあるのです
高城修三著『神々と天皇の宮都をたどる』ではこのように述べられている
~神武天皇につづく第二代綏靖から第九代開化までの天皇は、
系譜・宮・御陵など帝紀的記事をもっぱらにし、物語や歌など
旧辞的〈くじてき〉記事を欠いているところから、欠史八代と呼ばれている。
戦後の歴史学は、神武天皇の即位を紀元前六六〇年の辛酉の年にするために、
後世、八代の天皇が机上で創作されたとするが、この説には従い難い。~
欠史八代とはこのような意味合いを持っている・・・が、しかしこの欠史八代の中には
欠史されがたい、事柄があるのです、その一番目に【卑弥呼】が登場します
卑弥呼と邪馬台国の謎は、我々日本人の最大のロマンではないだろうか?
この卑弥呼説の最有力候補が第七代孝靈天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命〈やまとととびももそひめのみこと〉
この百襲姫の事は後日ゆっくりと特集したいと思っています・ロマンを写真に託して、今一番行きたい古墳です
せめて写真だけでもの写真がこちらです! こちらは最近の箸墓の航空写真です
明治九年に撮った日本最古の箸墓の写真です
この様に欠史八代の中の超目玉なんです・・・そう簡単には!欠史とはならないでしょう
最後にもう一つ、第二代綏靖天皇に関する、ちょっと恐ろしい話題を・・・
笠原英彦著【歴代天皇総覧】から・・・信じられないおはなしです
~南北朝中期に安居院澄憲〈あぐいんちょうけん〉の子孫により編まれたとされる
神々の縁起譚、〖新道集〗〈東洋文庫〉には、綏靖天皇にまつわる話が載せられている
それによると、天皇は朝夕に七人の人々を食し、周囲を恐怖のるつぼに突き落としたとある。
もし先帝のように百年以上にわたって生き長らえたら、みな死を賜ることになると恐れられた。
そこで人々は案じた末、近く火の雨が降るとの虚言を弄して天皇を岩屋に幽閉し難を逃れたという~
何と恐ろしい、天皇さんでしょう・・・宮内庁も真っ青ですね・・・
それでは本日はここまで・・・おやすみなさい
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