『梯 實圓 正信偈講座』(2023、本願寺出版社)取意讃嘆ノート(要約)
文責:釋智秀(前田秀一) プロフィール
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◆「正信偈」とは
◇親鸞聖人は多くの讃歌を造られた
親鸞聖人は天性豊かな詩才を備えた方で、漢詩形式の「正信念仏偈(正信偈)」や分かりやすい和語に訳された「和讃」など多くの讃歌を造られています。
「讃」とは、仏様の徳をほめ称える詩のことで、「和讃」(分かり易い和語翻訳)、「漢讃」(漢詩形式)、「梵讃」(梵語詩)の三種類があります。
◇なぜ、詩の形式なのか
「正信偈」は「偈頌(げじゅ)」といわれ、言葉をととのえ、韻を踏んで造られた漢詩で教義を顕す詩、いわゆる教義詩です。格調が高く非常に難しい文章です。
インドでは最初期から教理を詩(「偈頌(げじゅ)」)で顕し、散文(長行)で説明する方法がとられ、龍樹菩薩著『中論』、天親菩薩著『浄土論』などがその事例です。
その背景は、経文のような尊い言葉を文字に顕すことは、その神聖性を損なうという考え方があって文字に顕すことは避けていました。その代わりに、後世への伝承手段として言葉を記憶して伝えるために韻を踏んだ詩の形を取り入れて記憶に便利なように詩、韻文にしてあります。
さらに、宗教的な心情が高まると、それを表現するとリズミカルな言葉になりそれぞれの民族の持っている独特のリズムに合わせて読んでいくように、教えが詩の形をとって顕されてきました。
浄土三部経(取意讃嘆用・吉野北組三部経意訳編集委員会) 証信念仏偈(浄土真宗本願寺派日常勤行聖典編集委員会)
◇「正信偈」がわかれば真宗がわかる
「正信偈」は、『教行信証文類』(浄土真宗の根本聖典)1部6巻に顕されている内容を、ギリギリまで要約して讃迎し、伝承しやすいように詩の形式で説かれています。
前半部分(依経段)には、「浄土三部経」(『大無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』)、特に、お釈迦さまの教えである『大無量寿経』のこころが述べられ、後半部分(依釈段)には『大無量寿経』の教えをインドから中国、そして日本の三国にわたる七人の高僧方のお勧めによって本願を信じ念仏を申す身にしていただいた教えを60行120句の短い言葉の中に込めて要約されました。
◇「正信偈」の序文
『教行信証文類』全体、すなわち浄土真宗の法義のすべてを要約するものだという意味で、初めに序文が置かれています。
「この真実の行を明かした願が、阿弥陀仏の四十八願中の「諸仏(しょぶつ)称名(しょうみょう)の願(がん)」(第十七願)である。
その真実の信を明かした願は、「至心(ししん)真(しん)楽(ぎょう)の願(がん)」(第十八願)である。これがすなわち法然聖人が言われた「選択(せんじゃく)本願(ほんがん)の行(ぎょう)信(しん)」である。
< 第十八願 現代語訳 >
わたしが仏になるとき、すべて人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。 ただし、五(い)逆(ぎゃく)の罪(*)を犯したり、仏の教えを謗(そし)るものだけは除かれます。
*:五種の最も重い罪(父を殺すこと、母を殺すこと、 阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけること)
出典:白川晴顕2007『聖典セミナー尊号真像銘文』本願寺出版社
その真実の行信を頂戴して救われていく「機」(救いの目当て)はどういう者かと言うと「一切善悪」、「大小凡愚」である。善人であれ悪人であれ、大乗の人であれ小乗の人であれ、どんな愚かな凡夫であっても、すべて阿弥陀様の救いの対象になっている。その人々が平等に「行信」をいただいて往生をする。その往生を「難思議(なんじぎ)往生(おうじょう)」という。」
親鸞聖人は、「人間の思い計らいを完全に超越した、海のごとき広大無辺な絶対の真実が、阿弥陀仏の誓願のことば、本願のことばとなって私たちに届いている。それを届けてくれているお経が『大無量寿経』であって、この『大無量寿経』の宗教(究極の法義)を親鸞は〈他力真宗、浄土真宗〉と名付ける。それを『教行証文類』としてここに開顕し、その内容を要約して〈正信念仏偈〉として顕していく」といわれています。
◇「本願を信じ念仏を申す」、これが浄土真宗
本願を信じ念仏申すという「選択本願」(法然聖人の教え)の行信を親鸞聖人は「浄土真宗」と呼ばれました。つまり、教団の名前としてではなく阿弥陀様の本願のはたらきに名付けられた言葉で、具体的には、私が今こうして本願を信じ念仏申していることを「浄土真宗」といわれたのです。
このように、浄土真宗、すなわち本願の行信を讃嘆する身になったことを慶ばれたのが「正信念仏偈」です。
◆阿弥陀仏の四十八願(本願、誓願)
◇二人の王様-世自在王仏と国王(法蔵菩薩➡阿弥陀仏) - 『大無量寿経』の説話
「世自在王仏」が出現された時に一人の国王がおられたといいます。その国王がたまたま「世自在王仏」の説法を聞いて大変感動します。そして国王は、世自在王仏に帰依して弟子になっていきます。
「世自在王仏」:「世間にあって自在に人々を救う王様」(聖なる領域をあらわす王様)
「法を説く国王」:俗なる領域を顕わす王様(最高の富と地位と権力と名誉を持つ国王)
その国王は、世自在王仏に遇って教えを聞いて、世俗の空しさを知り、弟子となって、富などをすべてを捨ててしまいました。その時、この元国王に「法蔵(ダルマーカラ)」という名前が付けられました。「ダルマ―カラ」は、「ダルマ・アーカラ」の略称で、「ダルマ」は「法」、「真理」という意味、「アーカラ」は「生み出す」、「源泉」、「源」という意味があります。「法蔵菩薩」は、真理を生み出し、真理を顕現させ、真理を万人のものたらしめていくものの名前として呼ばれることになりました。
法蔵菩薩は、五劫(計り知れないほどのきわめて長い時間)をかけて思惟を重ね「生きとし生けるすべての者を、善悪賢愚の隔てなく救うていく道を完成されました。その誓いを「四十八願」という誓いとして顕しました。
法蔵菩薩は、限りなく人々を救い支えるために仏陀となられ、万人を平等に救うために、「南無阿弥陀仏」という名号を人々に聞かせて、仏の徳をすべての人に与えていこうとされました。
法蔵菩薩が、兆載永劫にわたって修業を続け、やがて光明無量・寿命無量といわれる徳を完成して、阿弥陀仏となられました。
◆私達を呼び覚ます光
『大無量寿経』では「阿弥陀仏」の原語は、「アミターバ」とあり、言語の意味から翻訳すると「無量光」となります。
しかし、これに対して中國の人は、「無量寿」と翻訳しました。おそらく、不老長寿を夢見た中国の人は、無量寿ということから、阿弥陀仏の浄土教に関心を示すようになったのでしょう。
法然聖人は、寿命を中心に見ていかれ、この世で一番大事な宝は寿命であるといわれ、阿弥陀仏の徳も命に限りがないから成立していると考えておられます。阿弥陀仏は限りのない寿命を本体とし、その仏様が一切の衆生を救っていくはたらきが光明であると説かれています。
親鸞聖人は、「阿弥陀仏」のことを「尽十方無礒光如来」、「南無不可思議光仏」と語られ、寿命のことに触れず光明を中心とした信仰形態を説かれています。「しかれば、阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし」と阿弥陀仏は光明の仏様で、光明は知恵の形で、知恵は形のないもの、よって阿弥陀仏は形なく十方を包み、十方の衆生を導き目覚めさせる仏様なのだと説かれています。
◆本願名号「南無阿弥陀仏」の救い
◇名号による救い
親鸞聖人は、阿弥陀仏の正覚(しょうがく)(さとり)、悟りの内容を「光明」と「名号」でも顕されています。
「名号」は、真宗では一番大事な事柄で、浄土真宗とは名号を中心に展開する宗教です。
「名号」は、阿弥陀仏の願い(第十八願)を具体化したものであり、その名が人々のこころを如来・浄土に開き、救済していくということです。これが真宗の特徴で、阿弥陀仏、浄土といってもすべて「名号」という一点に集約されます。
◇「南無阿弥陀仏」という仏様
親鸞聖人の名号観において、仏の名前は「南無阿弥陀仏」です。
「南無」という言葉は、「帰命」と訳しますが、仏に対して帰依(きえ)し、礼拝し、心から尊敬をする、という意味で、礼拝する側の心境を顕わす言葉です。
親鸞聖人は、「信心」も「帰命」も「はからいなく如来の仰せに順う」という意味にとり、両者を同義語にとされています。従って、「南無」とは、信心を顕わしており、信心を私たちに与え喚(よ)び覚ます阿弥陀仏ということで、「南無阿弥陀仏」だとおっしゃるのです。
つまり、「南無阿弥陀仏」とは、「南無せしめる阿弥陀仏」、「南無という信心を与えて救う阿弥陀仏」ということです。
「南無阿弥陀仏」には、阿弥陀仏がお誓いになられた四十八の願い(誓願、四十八願)の内、根本の第十八願(本願)が込められており「本願の名号」といわれました。
親鸞聖人は、称名の主体は本来衆生であることを踏まえ善導(ぜんどう)大師(だいし)が「正しく往生を決定する行業(正定業(しょうじょうごう))」という考えを導入され、「本願の名号が正定(しょうじょう)の業(ごう)である」と言いかえて主体を如来に転換されました。
◇念仏-阿弥陀仏から頂戴した行
親鸞聖人は、私が念仏を称えたから私が救われるということではなく、往生成仏の大行として完成している真実行を頂戴していると了解されました。
つまり、阿弥陀仏が「私」の上に顕現し、南無(われにまかせよ)阿弥陀仏(必ず救う)と、本願の心を言葉で表し招喚されている如来の説法であるような念仏なのです。そういう念仏が「私」を救うのです。そのことを「本願(ほんがん)名号(みょうごう)正定業(しょうじょうごう)」という言葉で表現されています。
◆「如来」とは何か
◇如来とは、「如より来る」
「如」とは、「一如」あるいは「真如」と言われます。私たちの知的な、概念的な思考・判断を超えた覚りの領域です。「如」の状況を覚り、それを我々説き顕すために来る方を「如来」と言う。「如来」と言うのは「如」の世界を私たちに告げ知らせる相(すがた)なのだということです。お釈迦様だけでなくすべての仏陀は「如」より来る。阿弥陀の世界、私達の分別を超えた(無分別)智の領域から私達のところへ言葉をもたらし、その言葉でもって私たちをこの「如」の世界へと導いてくれるもの、それが「如来」なのです。
お釈迦様は阿弥陀仏が如来してきたのだから、その如来してきた阿弥陀仏、つまりお釈迦様は阿弥陀仏の心を説き顕す。それが釈尊の出現の使命です。
その故に、「如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり」と言われるのです。
◇仏は、お釈迦様だけではない
お釈迦様とは、実は阿弥陀様が時間的に限定された形で我々の前に顕れてこられたお方だ、阿弥陀様とは、お釈迦様の悟りの内容なのだということです。お釈迦様と阿弥陀様は別物ではないのです。
阿弥陀様の智慧はお釈迦様となって私達の前に顕れる、お釈迦様の説法というものは阿弥陀様の智慧の光りなのだ、智慧の光が言葉となったものが『大無量寿経』なのだ、と説いているのです。
『大無量寿経』は、「仏様がお説きになったもの」であると同時に「仏とは何か」を説いたお経です。
坂東本という『教行証文類』の親鸞聖人自筆本には、最初は「釈迦」と書かれていた個所を、後でグシャグシャと消して「如来」と書き換えておられます。この消した跡によって親鸞聖人の心の動きが見えてくるのです。「釈迦」という固有名詞では、お釈迦様だけの話になるからです。
阿弥陀様が相(すがた)をとって顕れてくるのはお釈迦様だけではないのです。無数の仏様方がそうなのだということを考えて、「如来」という普通名詞を使われたのです。
『阿弥陀経』には、「恒河沙数の諸仏」と説かれ、ガンジス河の砂の数ほどもある仏様方は、皆「如来」なのだ、と。そのガンジス河の砂を全部集めたほどの仏様がいらっしゃる。そしてその仏様方が我々に教えを説き続けているというのです。仏教と言うのは仏になる教えです。
◇念仏は如来のはたらきが私の上に顕れ出たもの
法然聖人から教えられた本願の念仏とは、「〈南無阿弥陀仏〉と、阿弥陀仏のみ名を唱えよ」と言われたとおりに、口に阿弥陀仏のみ名を唱えながら生きていく姿を「念仏」と言い、本願の「行」と言います。
「念仏」とは、「私」が称えているのだけれども、それは「私」のはからいによって唱えているのではなくて、阿弥陀如来が選び定めて与えて下さった「南無阿弥陀仏」という「正定業(しょうじょうごう)」、すなわち如来の救いのはたらきが私の口に顕れ出ている姿で、「『私』が如来の行を行じている」というのが親鸞聖人のお考えです。
私が念仏を称えるということは、お釈迦様が『大無量寿経』や『阿弥陀経』お説きになっているのと同じ意味を持っています。つまり、念仏は凡夫が行っているけれども、凡夫の行いではなく、如来の行を行じていると考えるのです。
親鸞聖人は、「本願の念仏は私の行動ではなくて、如来の行動が「私」の上に顕れている尊いはたらきである。だから念仏は大行であり、真実の行である。」とおっしゃり、阿弥陀仏の仰せのままに念仏を称えていくと教えられています。
一生懸命念仏して「これが仏様のおはからいだった」と気が付き、「励ましていただくというのは有り難いな」というふうにいただければ、それを「他力」というのです。
◆人生の荒波を超える道
◇愚かさに帰る
阿弥陀仏の本願念仏は、自力をたのむ邪見で憍慢な悪人には絶対に信じることはできない。絶対にできないということは、人間の手が届くことではない。
念仏の行というのは易行であり、これ以上の易行はない。けれどもそれを信受することは難真である。
行は易行、信は難信、これが『大無量寿経』の特徴です。
『阿弥陀経』の一番最後は「もろもろの衆生のために、この一切世間難信の法を説きたまふ」と書かれ、信ずることが出来ない、実は信じたのではなく、信ぜしめられたのだということを知らせようとされています。
救いの世界は、自力では絶対に理解することも、信ずることもできない。それはまったく如来の御はからいの開く世界だ。そういう領域だから、私は自分の固有の能力というものを一切はたらかせずに、如来の御はからい(如来の本願の言葉)に自分のすべてを委ねる。本願の言葉は理解できる言葉ではないので、受け入れるしかないのです。これを「信」というのです。
法然聖人は、何もわからん人間になって「法」を聞けと言われています。それが「信」の世界だと、ただ仏様の言葉が響いているだけなのです。私のはからいを離れて本願を聞くというところのみ、救いの世界は開かれていくのだということです。
◆親鸞聖人の信心の構造
「私は仏様を知ることも、見ることも、わかることもできないものだ。そういう私を如来様が知り、わかり、見ていてくださる。それでよいのだ、それだけで私はかたじけないのだ。」と、主人公は仏様だ、私はその仏様に背いているが、仏様は私に責任をもって包み込んでいるのだ、という形で自分の在り場所を確認しているのです。安住の場というものがそこに開かれているのです。
親鸞聖人は、「仏様を確認し、仏様から承認を得て仏になるという従来の仏教と違う」ということで源信僧都を非常に高く評価されました。
◆お念仏の道を伝えた高僧たち
❖七高僧が明かしてくださったこと
お釈迦様がこの世に出現された本意は、『大無量寿経』を説いて阿弥陀仏の本願を明らかにすることであり、更にその阿弥陀仏の本願は末法の時代を生きる凡夫に一番ふさわしい教えであることを、印度・中国・日本の七人の高僧方が明かしてくださりました。
親鸞聖人は、七高僧を、一応、お釈迦様に対して仏弟子としておられますが、その内実は仏様だと見ておられます。この方たちの智慧の領域は仏様と同じと言ってよいのです。阿弥陀様の久遠の悟りが七人の高僧となって様々な時代と民族の中に顕れてきて下さったのです。
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❖善導大師 浄土教を救た高僧
◇如来に呼び覚まされ続ける人生 ➡ 古今の過ちを正す
「念仏では浄土に往生できない」という浄土教の危機的状況にあって、善導大師がお出ましになり、「お前たちの『観無量寿経』の理解は間違っていると諭され、『観無量寿経』領解の正しい枠組を決められました。
「念仏は即時に往生する行法である。それを可能ならしめるのは阿弥陀仏の本願力である。本願力であるが故に、どんな愚かな凡夫であっても、本願を信じて念仏すれば、本願の誓約の通りに、確実に、阿弥陀仏が成就された真実の浄土である「報土」に生まれることが出来る。凡夫が凡夫のままで、お念仏を申すことによって本願力に乗じて即時に、真実の浄土に往生する道が『観無量寿経』に説かれている。」
これがお釈迦様のご本意である、ということを『観無量寿経』の注釈書である『観無量寿経疏』によって確立されました。これによって念仏の教えが、再び長安や洛陽を中心にして広まっていきました。
◇お釈迦様、「勧法」を説く
韋提希夫人の要請にこたえて、お釈迦様はまず浄土、仏様や、観音・勢至(せいし)などの相を心に思い描いていく十三種の観念の方法を説いていかれます。これを「定善(じょうぜん)」といいます。「定」とは心を一つのところに集中して動かさない状態です。善導大師は「定善(じょうぜん)」を、「息慮凝(そくりょぎょう)心(しん)」(おもんばかりをやめて心を凝らす)と言われています。
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◇極悪人に念仏を
『観無量寿経』には、最後のところに一生涯悪いことばかりしてきた人間、つまり、一生涯、「五逆罪」と「十悪」を作ってきて、とんでもない悪行を働いてきた人間が説かれています。
「五逆罪」:①父殺し、②母を殺し、③聖者を殺し、④仏身より血を出し、⑤教団の平和を乱す逆罪
「十悪」:殺生、盗み、など10種の悪業
そんな極悪人が臨終にさしかかり、もう罪滅ぼしも何もできない状態に追い込まれるのですがそんな人間にもなお救いが与えられるのです。そこに『観無量寿経』というお経の特徴が出てきます。
『観無量寿経』は、定善・散善という「善」が行える人のための道を説くとともに、三福(行福・戒福・世福)の善さえも行えないで悪いことばかりしていた「十悪」・「五逆」をつくるために生きてきたような悪人に念仏を与えて救いの道を開こうとしています。
定善や散善が出来る人にはその道を与え、何もできない人にも念仏の道を与えて救おうとされています。つまり、善人も悪人も救おうという形をとっています。
『観無量寿経』では、下品下生(げぼんげしょう)の人(下の下、どうしようもない人)はお浄土に生まれた場合蓮華の華の中に十二大劫(劫:極めて長い時間の単位)という非常にながい間包まれて、身動きが出来ないと説かれています。
罪の償いが終わると花が開き、お浄土に移り、観音様が来られてすべてのもののまことのすがたと、罪を除き去る教えを説かれます。この人はやっと菩提心(さとりを求める心)を発し、仏道修行をはじめていったと書いてあります。
◇今、溺れている人のために
善導大師は、浄土の教えは、死ぬまで煩悩具足の凡夫でしかありえない者、死ぬまで煩悩を垂れ流している人間、それしか生き様がない人間、そういう人間のために救いの道を開こうとするものだと、以下の様に述べられました。
◇人間が秘めているもの
「善人・悪人というけれども、本当は善人・悪人というものがいるわけではなく、よい時と悪い時があるだけなのである。よい時の私と悪い時の私がいるだけである。縁に応じて、縁に触れれば、何をしでかすか分からない、みんなそういう弱さ、危うさをもっている。仏様を見失って、結局は不安な状況にあるのは、善人も悪人も一緒である。」
不安な状態にある凡夫を矜哀(こうあい)(深く憐れむ)して、本当の救いの道は阿弥陀仏の「光明」、「名号」にあることを『観無量寿経』は表わしてくださっていると、善導大師はおっしゃるわけです。
❖源信和尚 日本の浄土教の黎明(平安文化の精神的支柱)
◇背いたまま包まれる
「煩悩があるがために、私は自分中心にしてしかもものを考えられない。自分の都合のよいように欲を起こし、自分に都合の悪いものには憎しみを起こして悩み、心を乱している。この煩悩があるために私は仏様のおすがたを見ることができないし、仏様の光明に照らされていることを私は確認することができない、誠に恥ずかしい存在だ。けれども『観無量寿経』では、「念仏衆生を摂取して捨てない」と言われている。
とすれば、仏様のみ名を称え、仏様の功徳を想い浮かべている私は念仏の衆生だ。このお経に嘘がないならば、私から見ることはできないけれども、私は仏様の光につつまれ摂め取られているはずだ。」
源信僧都はこのように考えられました。「『観無量寿経』の言葉からは、仏様を見ることが出来ない私は、仏様に背いているともいえ、そのように仏様に背いているものを仏様はいつも照らし護り続けていてくださり、確実に浄土へ連れて行くとしてくださる。それは、今、「念仏」していることにおいて確認することが出来、経典に「念仏衆生」と言われた言葉を私は確信します。」
❖法然聖人 「浄土宗」を開く
◇念仏-救済の願いに包まれる
阿弥陀仏が本願の中で、「念仏しなさい、必ず救う」と誓われた念仏は、歩いている時は歩いているまま、じーとしている時はじーとしているまま、座っている時は座ったまま、寝た時は寝たまま、そのままの姿で称えるものだということです。
「時節の久遠を問わず」ということは、長い間称えようと、短い間称えようと関係ないということです。たった一声称えるだけで命が終わる人もあるし、何十年も念仏生活を送る人もある。一声で少ないということはない。百万遍でも多すぎることはない。ただ思い出すごとに称えて、念仏を捨てないこと。これを正しく往生が決定する行いといわれているのです。
法然聖人は、善導大師のこの言葉を何度も読んでいらっしゃったのですが、初めて「かの仏の願に順ずるがゆゑなり〈順彼仏願故〉」という言葉の重みに気が付かれたのです。
これまで、法然聖人は、自分で念仏を選んだと思っておられたから納得できなかったのです。
しかし称名念仏は自分が決めるのではない。仏様が決めていらっしゃる。だから私はただ仏様が決めてくださったことに随順しているのだ、と気が付かれた時に、私が念仏の主人公ではない、本当の念仏の主人公は阿弥陀様だと回心されました。
阿弥陀様が「南無阿弥陀仏」という阿弥陀仏の名を往生の行として選び取って、「これを称えてくれ」と願いを込めて私たちに与えておられる。従って、私は、私が称えた念仏で救われるのではなくて、阿弥陀仏が私を救おうとして選ばれた念仏によって救われている。私が念仏していることは、阿弥陀仏の本願に包まれていることなのです。念仏は、如来様の救済の願いに包まれていることなのだということに、法然聖人は納得されました。
阿弥陀仏は、念仏以外の行を「選び捨て」、念仏一つを「選び取り」、念仏を往生の行業として「選び定めた」。法然聖人は、阿弥陀仏のこの「選捨」、「選取」、「選定」の「選択」を「選択(せんじゃく)本願(ほんがん)」と呼ばれました。
❖親鸞聖人 自然法爾(じねんほうに「念仏を称える生活の中で、その人は姿かたちがないままに仏となっている」山折哲雄『御堂さん』5頁、2024年1月号)
◇求道者:法然、聞法者:親鸞
親鸞聖人は、法然上人の教え(「浄土教」)が全仏教を包括する意味を持つと理論的に確認し『教行信証文類』に顕されました。
『教行信証文類』では、『華厳経』、『涅槃経』、『維摩経』など様々な経典を引用して、浄土教の真理性を証明していかれます。その結果を踏まえて、親鸞聖人は、浄土真宗は仏教の中の一宗ではなく、仏教はこの一点に統一されると確信されました。
法然聖人は本当の意味で道を求めた求道者で、親鸞聖人は聞法者、法然聖人の求められた道の真理性を確認した人です。だから浄土真宗は法然聖人と親鸞聖人の合作です。法然聖人の浄土宗の真実の謂れを浄土真宗と名付けるのです。
法然聖人を支えたのは善導大師ですが、それは源信僧都の『往生要集』を通して受け入れられた事実であり、源信僧都による中国の思想の解釈の助けがあって可能となりました。
◇「親鸞」の名乗りの意味
法然聖人は、浄土宗の依りどころとして「三経一論」を挙げられます。「三経」とは、浄土三部経(『大無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』)のことで、「一論」とは天親菩薩の『浄土論』を挙げられています。
しかし、『浄土論』については何も語られていないのです。「三経一論」と言いながら師資(しし)相承(そうじょう)(師匠の教えを代々引き継ぐ)の中に天親菩薩の名前も上げておられません。
親鸞聖人は、法然聖人が曇鸞大師の書物を通して天親菩薩の『浄土論』の存在を知ったことに注目し、曇鸞大師を通して天親菩薩の『浄土論』の教えを理解するに至った経路を見出そうとされました。
曇鸞大師が天親菩薩の『浄土論』(詳しくは『無量寿経優婆提舎願生偈』)を註釈する元にしたのが龍樹菩薩でした。龍樹菩薩が仏教の中に難行道・易行道という枠組があると仰っている。曇鸞大師は、その枠組で言えば、浄土教は、難行道ではなくて易行道であると解釈論理を示されました。
実は『浄土論』に書いてあるのは菩薩道です。浄土に往生しようとする者は、礼拝・讃嘆・作願・観察・廻向という自利利他の行を修め、「妙樂(みょうらく)勝(しょう)真心(しんしん)」と言われる悟りに相応しい心を完成して浄土往生を実現すると言ってあるわけです。
これは、どう見ても天親菩薩が瑜伽行と言われる仏教をもって浄土教を解釈しているようにしか見えません。
これに対して、曇鸞大師の『往生論註』には一番最初に龍樹菩薩の「難易二道」を出し「この枠組みの中でこの書物は読むべきだ」と決めて、独自の解釈論理を示して、善導・法然に教えをつなぎ、浄土教が仏教全体を包む教義体系へ仕上げて行く道筋をつくりました。
その道筋が見えてきたときに、親鸞聖人は、天親菩薩の「親」と曇鸞大師の「鸞」をとって「親鸞」と名乗られました。
< 感謝を込めて >
この投稿は、亡母五十回忌および亡父三十三回忌法要を迎えるに際して拝読した梯 實圓 2023『正信偈講座』本願寺出版社の豊かな内容を讃嘆し、その趣意を脳裏に沁み込ませる事を目的としてまとめた「小冊子」・梯 實圓 2023『正信偈講座』本願寺出版 取意讃嘆ノートに基づいた「抄録版」であります。
僭越ではございますが、諸人をあるがままに救わんとする親鸞聖人の教えを皆さまと共有させていただきたいとの意図をもって、ここに投稿掲載させていただきました。
母の往生を機縁として、恵日山真光寺にて聴聞に与らせていただき、三代にわたる住職様より、折に触れて親鸞聖人のお説教「自然法爾」(*)を学ばせていただきました。
この度、親鸞聖人御生誕八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要記念として発行された 梯 實圓 2023『正信偈講座』本願寺出版社 は、私にとって50年間のお導きの総集編ともいえる御本にて、永年のお導きに感謝の意を込め恵日山真光寺へこの「小冊子」を奉納させていただきます。
*:じねんほうに「念仏を称える生活の中で、その人は姿かたちがないままに仏となっている」
恵日山 真光寺 納骨堂 前室(休憩所)に備えご紹介いただきました
恵日山真光寺のホームページ(「新着!資料の部屋」)にリンクを貼って掲載していただきました。
「正信偈講座」をキー・ワードとして検索(少し下の方にスクロール)できるようになりました!
西本願寺 阿弥陀堂 帰敬式の日(2016年5月15日) 撮影:釋智秀(前田秀一)