最近のテレビでは「ポツンと一軒家」とか「廃村集落」とかのあまり人が訪れないような地区などを取材して関心を集めている。勿論私もそうした番組を見ることは大好きだ。しかし両者は似ているが根本では異なるようだ。前者の場合は主にそうした人里離れた場所でも住人がお互い支え合って逞しく生活しているが、後者の場合には次第に住人が減少していき、遂には無人部落と成り、日常生活の後は窺がえるけれども、現況は過ぎ去った過去の寂しい生活臭だけが漂うものだ。
それにしても本当に「廃墟後」くらい見て寂しいものはない。多くは生まれ故郷である。炊事道具も食事用具もそのまま残っている。教科書など学校生活を思い出させるものもある。何より朽ち果てた家屋の悲惨な状態がそれまでの寂しい生活状態を物語っている。人里遠く離れた生活は生活する者には難儀を強いる。雑草が背丈を超えるほど伸びている山道、やっと人が通えるくらいの周辺には樹木が茂り中には倒木や朽木がある。そんな場所に多くの時間をかけて行き来するなど至難の業だ。次第に便利な場所を求めて人は故郷を去ることになる。
人々はそうして街や都会を目指すのだが都会は実は砂漠以上に厳しい場所だ。第一人情などなくて当然だ。「東京砂漠」と言う歌謡曲があるがその通りだと思う。犯罪の多さがその証明だ。新聞報道など見れば毎日のように凶悪な事件が報じられて、まさに恐ろしいとしか言いようのないシーンが頻出する。昨日も街中で自動車を暴走させて楽しむ馬鹿な若者たちを映し出していた。また、せっかく大学まで行かせてもらいながら、大麻とか、麻薬に手を染める愚かな若者の姿なども映し出していた。貧富の格差社会と言われるが、貧の方はまだ罪は軽い。親世代が莫大な富を手にした若者世代こそ罪が重いのだ。