家内が亡くなってずいぶん時間が経過した。そろそろ普通状態に戻ってきそうなものだが、相変わらず虚脱状態が続いている。何しろ60年以上の夫婦生活だったのだ。何かにつけて家内の事を思い出す。忘れてつい家内の名前を呼びそうになる。何事も家内に相談すれば簡単に片付くような気が残っている。そうか、家内はもう今はいないのかと再確認すること屡々。如何に家内に頼っていたか思い知らされる。夫婦は男と女、相互に助け合い補い合って生活して行くものだ。
しかしある時全く私同然の悲哀を味わっている老人の事が放送された。似た境遇の人もいるものだなあと感じて近親感を抱いた。世の中は広い。似た境遇の人が沢山いても不思議ではない。しかしだからと言って寂しさとか悲哀感が軽減されるわけではない。あくまで個人個人の感情なのだ。私は私の悲しさを抱き続ける他ないのだ。
ただ確かに時間の経過に伴って悲哀の感情が薄らいでいく。私はそれに期待したいと思っている。時間が多くを軽くしていく。深い悲しみも次第に薄らいでいく。逆にそれも悲しい事に違いないがそれに頼るしか方法はないのだろう。もう直新米が取れる。近隣の農家に頼まなければならない。そう思った瞬間家内の事が浮かんだのだ。そういうことは家内が万事処理していた。そんな些細なことからまたしても亡き家内の事を思い出してしまうのだ。未練たらしい私。猛暑が続いている。早く涼しくならないか。暑いのはご免だと大声で叫びたい。