gooブログはじめつすました!

未練な私。虚脱状態続く

家内が亡くなってずいぶん時間が経過した。そろそろ普通状態に戻ってきそうなものだが、相変わらず虚脱状態が続いている。何しろ60年以上の夫婦生活だったのだ。何かにつけて家内の事を思い出す。忘れてつい家内の名前を呼びそうになる。何事も家内に相談すれば簡単に片付くような気が残っている。そうか、家内はもう今はいないのかと再確認すること屡々。如何に家内に頼っていたか思い知らされる。夫婦は男と女、相互に助け合い補い合って生活して行くものだ。

しかしある時全く私同然の悲哀を味わっている老人の事が放送された。似た境遇の人もいるものだなあと感じて近親感を抱いた。世の中は広い。似た境遇の人が沢山いても不思議ではない。しかしだからと言って寂しさとか悲哀感が軽減されるわけではない。あくまで個人個人の感情なのだ。私は私の悲しさを抱き続ける他ないのだ。

ただ確かに時間の経過に伴って悲哀の感情が薄らいでいく。私はそれに期待したいと思っている。時間が多くを軽くしていく。深い悲しみも次第に薄らいでいく。逆にそれも悲しい事に違いないがそれに頼るしか方法はないのだろう。もう直新米が取れる。近隣の農家に頼まなければならない。そう思った瞬間家内の事が浮かんだのだ。そういうことは家内が万事処理していた。そんな些細なことからまたしても亡き家内の事を思い出してしまうのだ。未練たらしい私。猛暑が続いている。早く涼しくならないか。暑いのはご免だと大声で叫びたい。

コメント一覧

shuttlebus2022408
わいわいさん

わいわいさんがご長男を25歳で亡くされたお話し、大切なご長男を25歳と言うこれからの人生半ばで亡くされたと言うのは到底想像もできない深い悲しみ虚脱感であったでしょう。「長い時の経過が次第に心の傷を癒やしてくれた」とおっしゃるお言葉を深い同情で噛みしめています。人はそうして悲しみから脱却して行くのですね。お言葉、有り難うございました。
わいわい
最愛の奥様を亡くされた寂しさ、虚脱感が今なお続いており、「如何に家内に頼っていたか思い知らされる」と述懐されているブログを拝見し、同情を禁じ得ません。「時間が多くを軽くしていく。深い悲しみも次第に薄らいでいく。」おっしゃる通りだと思います。
ちなみに、今を去る34年前に、長男が25歳で病死した折りに私どもが味わった悲しみ、虚脱感は、言葉では言い表せないほど深いものでした。しかし、その後の長い時の経過が次第に心の傷を癒やしてくれたことを、今改めて思い出した次第です。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事