北海道・積丹半島南方の日本海に面した原子力
発電所のある泊村にも『鰊御殿』があります。
明治27年に建設された鰊番屋と大正5年に建設
された客殿の二つの建物は渡り廊下でつながれ
ており、鰊漁が全盛期の莫大な富がもたらした泊
村繁栄の象徴だったそうです。
写真:鰊御殿とまり
右手前の建物が鰊番屋、奥の赤煉瓦の建物
が客殿です。
この時代にしては珍しく他の鰊番屋と異なり、
屋根が瓦葺です。
発電所のある泊村にも『鰊御殿』があります。
明治27年に建設された鰊番屋と大正5年に建設
された客殿の二つの建物は渡り廊下でつながれ
ており、鰊漁が全盛期の莫大な富がもたらした泊
村繁栄の象徴だったそうです。
写真:鰊御殿とまり
右手前の建物が鰊番屋、奥の赤煉瓦の建物
が客殿です。
この時代にしては珍しく他の鰊番屋と異なり、
屋根が瓦葺です。
番屋の造作は、明治38年頃と言われており、
全て地元の山から切出した木材により制作
されたものだそうです。
北海道内に現存する最大規模の番屋であり、
木割は大きく豪壮・雄大で総勢200人前後
の人員を収容していたそうです。
かって一起し千両と謳われた鰊は既に幻の
魚となりヤン衆のさんさめく声も絶えて久しく、
今はただ番屋のみがその影を残し、ヤン衆の
息吹を今に伝えています。
※ 昨年の台風18号で、かなり損傷したようです。
写真:奥の障子から向こうが親方の居住部分で
囲炉裏平面の手前を中二階に備え三段と
し漁夫の寝台(ネダイ)として構成されている。
写真は、三段目の寝台から撮ったものである。
全て地元の山から切出した木材により制作
されたものだそうです。
北海道内に現存する最大規模の番屋であり、
木割は大きく豪壮・雄大で総勢200人前後
の人員を収容していたそうです。
かって一起し千両と謳われた鰊は既に幻の
魚となりヤン衆のさんさめく声も絶えて久しく、
今はただ番屋のみがその影を残し、ヤン衆の
息吹を今に伝えています。
※ 昨年の台風18号で、かなり損傷したようです。
写真:奥の障子から向こうが親方の居住部分で
囲炉裏平面の手前を中二階に備え三段と
し漁夫の寝台(ネダイ)として構成されている。
写真は、三段目の寝台から撮ったものである。
北海道・留萌から日本海沿いに約22Km北上した小平町(オビラチョウ)
に現存する日本最北端の重要文化財「鰊番屋」に立寄りました。
明治から大正にかけて北海道西海岸の鰊漁は全盛期を極めており、
特に当番屋付近の海岸は千石場所とも言われ、波間を渡るヤン衆
やモッコ背負いの人波で浜は湧き返っていたそうです。
写真:番屋の中央から左が親方の居住部分、右が漁夫の生活部
に現存する日本最北端の重要文化財「鰊番屋」に立寄りました。
明治から大正にかけて北海道西海岸の鰊漁は全盛期を極めており、
特に当番屋付近の海岸は千石場所とも言われ、波間を渡るヤン衆
やモッコ背負いの人波で浜は湧き返っていたそうです。
写真:番屋の中央から左が親方の居住部分、右が漁夫の生活部
★ 武蔵塚
熊本の大津街道沿いにある武蔵塚には、樹木が生い茂る
奥まった所に墓石があり、甲冑を着け、太刀を持ったままの
姿で、武蔵が埋葬されていると云われています。
これは「細川公参勤の節には御行列を地下にて拝し、御武
運を護らん」という武蔵の遺言に従ったものだそうです。
熊本の大津街道沿いにある武蔵塚には、樹木が生い茂る
奥まった所に墓石があり、甲冑を着け、太刀を持ったままの
姿で、武蔵が埋葬されていると云われています。
これは「細川公参勤の節には御行列を地下にて拝し、御武
運を護らん」という武蔵の遺言に従ったものだそうです。
★ 武蔵の供養塔
武蔵と仲の良かった泰勝寺の春山和尚の墓の
隣に武蔵の供養塔があります。
また、これに隣接した所に細川家の墓地があり、
ここには明智光秀の娘で、織田信長の仲立ちで
細川忠興の妻となった細川ガラシャ(玉子)の墓
もあります。
武蔵と仲の良かった泰勝寺の春山和尚の墓の
隣に武蔵の供養塔があります。
また、これに隣接した所に細川家の墓地があり、
ここには明智光秀の娘で、織田信長の仲立ちで
細川忠興の妻となった細川ガラシャ(玉子)の墓
もあります。
★ 西の武蔵塚
武蔵の墓は、三箇所にあると云われています。
その一つが、「西の武蔵塚」です。
島崎にある寺尾家の墓地の奥に武蔵の戒名を
刻んだ墓石があります。
これは、「五輪書」を授ける等、武蔵と縁の深か
った寺尾家との関係によるものであろうと伝えら
れています。
〔田舎道を行く途中、犬に吠えられながらでした
が墓石に合掌して参りました〕
武蔵の墓は、三箇所にあると云われています。
その一つが、「西の武蔵塚」です。
島崎にある寺尾家の墓地の奥に武蔵の戒名を
刻んだ墓石があります。
これは、「五輪書」を授ける等、武蔵と縁の深か
った寺尾家との関係によるものであろうと伝えら
れています。
〔田舎道を行く途中、犬に吠えられながらでした
が墓石に合掌して参りました〕