深奥無限

自分の趣味や思い出を思うままに

北海道・小平の鰊番屋②

2005年05月28日 | Weblog
番屋の造作は、明治38年頃と言われており、
全て地元の山から切出した木材により制作
されたものだそうです。
北海道内に現存する最大規模の番屋であり、
木割は大きく豪壮・雄大で総勢200人前後
の人員を収容していたそうです。
かって一起し千両と謳われた鰊は既に幻の
魚となりヤン衆のさんさめく声も絶えて久しく、
今はただ番屋のみがその影を残し、ヤン衆の
息吹を今に伝えています。

※ 昨年の台風18号で、かなり損傷したようです。

写真:奥の障子から向こうが親方の居住部分で
   囲炉裏平面の手前を中二階に備え三段と
   し漁夫の寝台(ネダイ)として構成されている。
   写真は、三段目の寝台から撮ったものである。

北海道・小平の鰊(にしん)番屋①

2005年05月26日 | Weblog
北海道・留萌から日本海沿いに約22Km北上した小平町(オビラチョウ)
に現存する日本最北端の重要文化財「鰊番屋」に立寄りました。

明治から大正にかけて北海道西海岸の鰊漁は全盛期を極めており、
特に当番屋付近の海岸は千石場所とも言われ、波間を渡るヤン衆
やモッコ背負いの人波で浜は湧き返っていたそうです。

写真:番屋の中央から左が親方の居住部分、右が漁夫の生活部

それからの武蔵を訪ねて⑮

2005年05月18日 | Weblog
★ 武蔵塚

熊本の大津街道沿いにある武蔵塚には、樹木が生い茂る
奥まった所に墓石があり、甲冑を着け、太刀を持ったままの
姿で、武蔵が埋葬されていると云われています。
これは「細川公参勤の節には御行列を地下にて拝し、御武
運を護らん」という武蔵の遺言に従ったものだそうです。

それからの武蔵を訪ねて⑭

2005年05月11日 | Weblog
★ 武蔵の供養塔

武蔵と仲の良かった泰勝寺の春山和尚の墓の
隣に武蔵の供養塔があります。
また、これに隣接した所に細川家の墓地があり、
ここには明智光秀の娘で、織田信長の仲立ちで
細川忠興の妻となった細川ガラシャ(玉子)の墓
もあります。

それからの武蔵を訪ねて⑬

2005年05月10日 | Weblog
★ 西の武蔵塚

武蔵の墓は、三箇所にあると云われています。
その一つが、「西の武蔵塚」です。
島崎にある寺尾家の墓地の奥に武蔵の戒名を
刻んだ墓石があります。
これは、「五輪書」を授ける等、武蔵と縁の深か
った寺尾家との関係によるものであろうと伝えら
れています。
〔田舎道を行く途中、犬に吠えられながらでした
 が墓石に合掌して参りました〕

それからの武蔵を訪ねて⑫

2005年05月06日 | Weblog
★ 引導石

武蔵の友人である春山和尚が居た泰勝寺へ向う道の
左側にある引導石は、武蔵の葬儀の途中、柩を置いた
とされる石で、ここで待ち受けていた春山和尚が引導
を渡しました。
この時、「一天晴たるに雷鳴一つあり」と二天記に記し
てあります。