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あなたが「何故、生まれて来たのか」なんて簡単です。
38億年から40億年前に最初の命が生まれたからです。
これを原始生命とでもしましょう。
仮に科学進んでDNAやRNAなどすべての生命メカニズムが解明されたとしてもそもそもその現象がすべて既知の自然法則(光や熱、放射線、磁気、引力など)のみで偶然起きたのか、何かの必然(人類がまだ知らないの法則)で起きたのか、解明までにどれほどの時間(とき)を要するのかは憶測も出来ない。
原始生命が誕生する時だけ何かが起きたとをどう証明できるのか疑問ですがこの再現追求は科学者にお任せするしかありません。いつの日か科学者が「命が生まれた過程とメカニズムの再現証明」を見せてくれることでしょう。結局、偶然か、必然かの事象証明ができても原因証明はその偶然は何故、その必然は何故の追及が繰り返すことになり原始生命の誕生理由を考えることは無意味であると云うことに帰結します。
何故宇宙があるのかと同じことです。
では命の存在理由もないのかとはなりません。
それは心の存在する世界でのみ命の理由があり、この心≒霊の最小単位である生命個体レベルの細胞の生死に於いてのみその理由は意味をもつのです。
命とは本能と機能を覚えて伝える為に生死を必要とする。つまり、覚えて伝えることが責務とすれば「命は果すべき責を持って誕生し、死滅する」と考えます。
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