横須賀からは、
3枚のカードが発行されています♪
①スカジャン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/bd/d0f0d0d651141feee6d456547f38ad56.jpg?1732586256)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/62/24b222e094ba9e8b66856894c0ba896f.jpg?1732586369)
②ペリー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/62/ce283c1a053abc3daa11be6bee6df9dd.jpg?1732586300)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/38/4dbdfe21c7bd7d1a257f93b3a7f48697.jpg?1732586353)
③浦賀奉行所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/da/814c614bcf2db340ea1df052af834494.jpg?1732586326)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f9/dec85a91dd1b611a6d85bdfa6523e108.jpg?1732586327)
①の『スカジャン』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/27/bceed4b98d9f6a0b352fa2454902d65a.jpg?1733037010)
マンホールは、
ドブ板通りの入り口にあります😄
『ドブ板通り』↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/af/0320e0ce7ee4bbcc8662465e05c46c1c.jpg?1731235189)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/bb/fb9aa50e6a032d7eae0be03f295b3f56.jpg?1731235240)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/11/26af53bc20a52354c7d22531fec260d3.jpg?1731235189)
過去ブログ『BECK』の回で書いたので、
もし宜しければ、ご覧になって下さい。
さて、ここからが本題。
今回、
マンホールカードを貰いに行って
色々と興味が沸いたので、調べました🧐
1853年 浦賀に黒船来航
幕末史の1行目ですね〜👀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ad/9ec7d67dcb10e947b70c96c846c1d5f6.jpg?1732754586)
マシューCペリー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/8f/eb679354641bda0b5bdf6192989f0c04.jpg?1732754587)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/8f/eb679354641bda0b5bdf6192989f0c04.jpg?1732754587)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/0e/402c09aa510d48ec2330fb2a47c66592.jpg?1732815365)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/6f/a0bb7d94fee2872aed22102e8e9f45ed.jpg?1732815365)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b7/21ac4eabafabf2f6f966dc72a344c84d.jpg?1732815365)
では、みなさん。
浦賀って何処だか、ご存知ですか?
意外と
地元民でも、アイマイです😅
場所は、ココ↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/68/0c1f1bda0dd4223043d6fedd0e89aedb.jpg?1731238802)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/01/eadad6af64fc2dd46d48eb9841dbcb5a.jpg?1731239108)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/53/2fc8874e946b14c123dfb729660f57f0.jpg?1731238802)
この『浦賀』が、絶妙な場所なのです。
何故なら、観音崎を抜ければ、
江戸湾ですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/29/b9abdec22fdebca493221fc75c36f60a.jpg?1731238995)
幕府側は、
勿論入って来て欲しくはありません。
しかし、
ペリーさんは、
直接、幕府前までは、来ませんでした。
実は、
入って来なかったのではなく、
入って来れなかったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/a7/a6c3ae1344c5c100221e19fdfdf37bf4.jpg?1731238995)
もし海上封鎖されたら、
袋のネズミです。
いくら黒船が巨大とはいえ、
総勢1000人強しかいない乗組員だけでは、
戦になりません。
「黒船」と聞いて巨大艦を想像しますが、
実際は、次の通りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/bd/c12c4cfbc66adfeb150c80f6b06b2e65.jpg?1732754480)
サスケハナ号
外輪型の蒸気船で、木造船です。
黒いのは、タールが塗ってあるんですね。
長さ 78.4m
幅 13.7m
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/1d/194a276109001f753973bc7ad9eeeaa9.jpg?1732931058)
大体、「中学校の校庭」にスッポリ入る
サイズでしょうか。
勿論、巨大だと思いますが…
↓下の写真は、横浜です♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/f2/aa17c082900e26b18831e5f7557fe11b.jpg?1732815240)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/7d/673fd30502cc5921066b077ad651d187.jpg?1732815240)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6f/700ad9e96d6553c11bdc21c0f35ade52.jpg?1732617807)
右に見える崖
実は、昔の海岸の名残です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/4b/f8fbede8258b5b1a8c291243d9e25640.jpg?1733037112)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/39/997f7b96b947ebb84651971bcfbc6a40.jpg?1732617806)
現在の海岸線は、
崖から約2Km海側の埋め立て地、
首都高速と工場地帯が広がっています。
黒船の威光を見せるには、
出来る限り岸に寄せたい。
しかし、
江戸湾は、遠浅の海。
座礁の恐れがある為、
迂闊に近寄れなかったのです。
また、
サスケハナ号、
大砲の最大射程距離は、約3000m。
有効距離だと約1000mです。
江戸時代、
海岸線は、現在の東京駅の八重洲辺りまであったと言われています。
後に、
お台場に砲台建設を予定していた事から、
お台場あたりまで
黒船が寄れるとしましょう。
それでも
お台場から江戸城まで直線距離で、
約10Km。
到底、砲弾は届きません。
音は、聞こえると思いますが。😓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a6/407c8c864c26f0157ad5aa25c085b73c.jpg?1732816355)
浦賀湾
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/01/3fa103f77433976f4ae75efa93198588.jpg?1732931135)
浦賀の渡の所に、
マンホールは設置されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4a/16f33fca45bc8086fb7cad380e1e7fa5.jpg?1732931135)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d4/935ccc7b43af45631faed164d5a57905.jpg?1732931136)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4a/16f33fca45bc8086fb7cad380e1e7fa5.jpg?1732931135)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d4/935ccc7b43af45631faed164d5a57905.jpg?1732931136)
浦賀湾内には、ドックの跡があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3b/6ec0f3e1d6c221638251e254f76458ca.jpg?1732931202)
浦賀ドック
明治期に造られたドライドックです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7d/7f33064186c3267a6f1e42f7974236a9.jpg?1732931202)
ここで、造船及び修理がされました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7d/7f33064186c3267a6f1e42f7974236a9.jpg?1732931202)
ここで、造船及び修理がされました。
↓浦賀の海
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a0/621fb4bd724535aa0571519551ef9797.jpg?1732931135)
そもそも、
黒船の威光によって
開国を迫ろうとした訳ですが、
浦賀の光景を見た時、
ペリーさんは、
作戦の失敗を悟りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/5d/5695a2e92f91666e943f9bad0cdc1ca9.jpg?1732931135)
浦賀の海岸には、
黒船を見ようと、
たくさんの群衆がいました。
その顔には、恐怖よりも好奇心に
目を輝かせていたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/20/9b148b6e7bd858efa27a27bd9d006985.jpg?1732931296)
浦賀奉行所の模型
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/9c/b39667d7918cd139fcfe83dac2901d45.jpg?1732931328)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/3a/11d37e11cc66d9f96818f3878ec6a6ff.jpg?1732931328)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c9/42b4d07ebe86e2c38fbdd218ceb3c298.jpg?1732931382)
浦賀に到着すると、
すぐに浦賀奉行所からの
100艘余りの小舟に取り囲まれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/76/7134a51f348412cf80f7331b97d305e1.jpg?1732816852)
↑取り囲みの模型例(対イギリス船)
責任者と通訳が、
すぐさま乗船許可を求めてきました。
サスケハナ号にペリーさんが乗っている事が
分かっていた行動でした。
幕府側は、長崎経由で
ペリーさんの情報を
一年前近く前から得ていて
対策を練っていたのです。
この時、
幕府の老中首座をしていた男は、
阿部正弘です。↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/0f/b34b8ff6527d68d86b238cd167d3001b.jpg?1732816158)
1843年
史上最年少(25歳)で老中になった人
ペリーの来航を知っていた幕府。
しかし
防衛策をとる事は出来ませんでした。
お金がなかったのです。
そこで考えられたのが、情報戦。
ペリーさんの来航は、
幕府の役人はもとより、
一般庶民ですら、
来る事を知っていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/84/de132d091c78f80d7f173e0c5f042601.jpg?1732903590)
↑瓦版のペリーさん
その情報はどこから?
勿論、幕府です。
幕府は、敢えて情報を流す事で、
人垣を作る事に成功したのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/25/67735e3fa711cc02472e38f9de586ef3.jpg?1732932167)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/c3/5a1a34ca9233495ce798f36d11ead25e.jpg?1732932167)
先程申しました通り、
ペリーさんの威嚇策は、
上手くいきませんでした。
情報戦の緒戦は、幕府の勝ちでしょう。
まさに「幕末の阿部外交」と
言ったところでしょうか。
ペリーさんは、開国を迫るも
幕府は、長崎の出島に向かえの構え。
このままでは、国書も渡せず
帰国する恐れもあります。
ペリーさんには、
幕府に知られてはならない
問題がありました。
実は、大統領から
「発砲禁止命令」が出ていたのです。
また、日本が世界の東端にあるため、
中国経由で渡って来ましたが、
船の備蓄がもって20日程だったそうです。
もし幕府が、この事を知れば、
確実に今回のミッションは
失敗に終わるでしょう。
一方の幕府も緒戦は、抑えたものの、
話し合い以外の手立てがありませんでした。
幕府のお金がない為、
防衛手段がなく、
仮にペリーさんが強硬策に出て
江戸湾内に入って来た場合、
海上封鎖をする力はありませんでした。
なので、
出来れば
このまま大人しく帰っていただけないかな、
というところが、本心でしょう。
両方、得策のないまま、
一週間の膠着状態。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ea/02416463510809e0b25df2efc8ef1992.jpg?1732932200)
先に動いたのは、
ペリーさんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/fb/a0661bfa47da2cee02ac58d736918f06.jpg?1732850941)
4隻の中、
ミシシッピ号を先行させて、
江戸湾内に侵入。
続いて
残りの3隻も江戸湾内へ。
前述した通り、
幕府に制止する力はありません。
一方、
ペリーさんもビビっているのでしょう。
先行のミシシッピ号は、
羽田沖まで来ましたが、
3隻は、横須賀沖で停泊。
もしここで止まれば、
また無駄に時間がかかります。
備蓄もありません。
ペリーさんが、最後の賭けに出ます。
『国書を受け取ってくれるだけでいい。
返事は、一年待つから。』
この物凄い譲歩案。
ペリーさんのキラーカードですよね。
軍人ではありますが、
一流の政治家のように思えます🧐
ギリギリの状態でしたが、
このターンは、ペリーさんに軍配が
上がりました。
追い払う力のない幕府に
断る理由がありませんでした。
↓久里浜の海
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/2a/ee3afe9c81633de7879954a97b9b9a38.jpg?1732931966)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/01/c9f56ce84c9d3e9bcf112c2510ebc7f9.jpg?1732931966)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/07/2495ba3f95afc63d2414635cf9f9a49d.jpg?1732851919)
170年前、
この浜にペリーさんが来たんですね〜😆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/57/4e7e82e339cc98fda4dc27751825d525.jpg?1732932044)
横須賀の久里浜にて
国書受け渡しが行われました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/14/e989545e71cd497574629bc6372054d0.jpg?1732861168)
ペリーさんの一方的な勝利?
本当に?
この状況を読み切って
利用した人物がいるのでは?
先ほどの
老中首座阿部正弘です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a1/793a1ecb174048836ac2f27338e75dc2.jpg?1732992650)
ボクは
この阿部正弘という人が
実は、開国の仕掛け人なのでは?
と疑っています。
彼は、国際的視野が広く、
勿論先年の中国の出来事も承知でした。
(アヘン戦争からの香港割譲)
このままでは、
近く日本も二の舞になると考えたでしょう。
何がベストな選択なのかと考えた時、
「開国」
浮かんだように思えてなりません。
ただこのまま「開国」を唱えても、
幕府の中の反対派に阻止されます。
そんな時のペリーさん来航です。
機に乗じる絶好の機会だと思いませんか?
つまり
「黒船来航からの開国」というのは、
鎖国していた日本を
ペリーさんが
無理矢理こじ開けたのではなく、
鎖国に限界を感じていた阿部さんが、
ペリーさんを利用して、
開国に持っていったのではないか。
というのが、今日の結論です。
ペリーさんは、
国書を渡すミッションを成功させました。
阿部さんは、
平和的に開国への道を開く事に成功させました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/76/2b2725fd74316d8235c395fde6a65f29.jpg?1732959575)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/85/ce3ac60b042bdd9c74fadffc79c78f0e.jpg?1732959575)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b8/18182a086eb6de9032fb1931220309e1.jpg?1732931885)
翌1854年、
再びペリーさん来航。
(今度は、9隻で😓)
横浜にて
日米和親条約を結びました。
内容は、
下田、函館の港を開きます。
お互いずっと仲良くしましょう。
まさに
思い描いた通りの開国です。
出来れば、
このままいって欲しかったが、
歴史を見れば、違う事が分かりますよね。
ご存知の通り、
尊王攘夷、戊辰戦争、
激動の幕末を迎える事になります。
欧米との不平等条約に苦しんだ
日本は、対外戦争に向かいました。
日米和親条約の後、
阿部さんも
ペリーさんも相次いで亡くなりました。
もし彼らが、
もう少し生きていたら、
歴史は
また変わったものだったかもしれません。
そして
黒船によって
近代化の扉を開けたのもアメリカなら、
原爆によって
近代日本の息の根を止めたのもアメリカ。
運命的なものを感じますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/69/978e1b058fc3bb32923213cf359f650a.jpg?1732878854)
ちょっとしたキッカケで
集め出したマンホールカード。
色々な再発見もあり、勉強にもなり、
面白いですね〜😁
ここまで
ご覧になって頂き
ありがとうございます。
それでは、また次回〜🫡