アジア・女1人旅, 徒然に

アジアを1人で歩く、女のつぶやきです。
旅行へ行く前の準備、行ってからのアクシデント、出会いをつづってみます。

初めてのアジアー中国編2

2011-02-18 | アジア
旦那はトイレの住人に変化したので、仕方ない。
中国まで来て、ホテルの部屋に閉じこもっているのも、もったいない。

どちらにせよ、私がいようといるまいと、回復はしないのだし。。。

その日はフリープランだったので、北京市街をぶらぶら。
私は赤に黒のチェックのワンピースだったから目立ってしょうがない。

だって、皆、青の人民服。

屋台で、小さいリンゴを串焼きに刺した物を賞味する。
意外とうまい。人民元で1元程度だったろう。
当時は、人民元と外人専用の兌換券に分かれており、
外国人が人民元を持つのは、禁じられていた。

私がいつ人民元をゲットしたのか、詳細は忘れたけど、
何処かで、おつりでもらったのだろう。

帽子屋に行くと、人々が群れをなして、買い物に来ている。
無理矢理押し入って、カウンターの前に立つ。
手振りで、帽子を取って貰う。しかし少々大きい。
もう少し小さいのを求めるが、「メイヨー」でダメだった。
仕方なく、大きめの人民帽をゲット。「メイヨー」って、無いの意味だ。


おじいちゃんに、漢方薬をプレゼントしようと思ったけど、
私たちが持っていた鞄は小さめだったから、スーツケースを買いに行った。
やはりそこの店も人が一杯だ。
色々考えて、キャスター付きの物を選ぶ。

それにしても、当時の中国人はシャイだった様に思える。
誰も話しかけてこなかったし、ぼったくりもなかったと思う。

そう言えば、中国の大地に降りたったとき、あーこれが大陸なんだな
って思った。
空港をでても山が無い。
道路は整備されていたが、車は殆ど走っておらず、
道路の両サイドには馬車が行き交う道があった。そして、自転車の群れ。

次は中国のトイレ事情。
私たちが泊まったのは北京飯店で高級ホテルだったが、
ホテルのロビーのトイレには扉が無い。
5個の内、2つは扉が有ったけど。
他の3つは扉が有った形跡が認められた。蝶番が悲しそうに残っていた。

そう言えば、万里の長城でもトイレがあったが、有料だった。
でも、ここは元々扉は付いていなかった。
金額は忘れたなぁ。やはり、旅日記は必要だ。

中国人同士は、トイレ中の人が、別の人と話をしている。
所変われば、こんなものだ。
私なぞ、2日で慣れた。かなり順応性はあるようだ。

旦那もなんとか2日かかって復活した。

お陰で、清の西太后が作らせた、頤和園(いわえん)、人造湖の昆明湖
を見ることができた。
池は凍っており、氷の上を少し歩いてみた。確かに誰も歩いていなかったが。
清の末期にこんな、でかい物を作るなんて、流石中国!


最終日、ガイドに何度頼んでも、連れて行って貰えなかった、「中国書店」に
連れてて行って貰った。
今考えると、中国の観光局にでも相談していたんだろう。

日本で買うと、1000円もする、「文物」や「考古」らをたった、1.5元でゲットできた。
考えて見れば、何処とは言えないが、日本のとある本屋は、ぼったくりだと思ったね。

最終日の夕食は四川料理。
はっきり言って辛すぎて食べれなかった。
フナとか、色々入っていた気がするが。

他の日の昼食は何処に行っても、炒め物。しかも、何故か、ピーナッツが
入っている。正直うんざりだった。

最後、空港で両替をしたのだが、人民元を指して何か言ってるのだが、さっぱり解らない。
困っていると、後ろで並んでいた人が「何処で手に入れたのか聞いてるよ」
と言われ、やっと理解した。
お釣りで貰ったって言うと通訳をしてくれて有り難かった。

でも、考えてみれば、旦那は何をしてたんだろう?
買い物も、税関の手続きも私がして。

旦那が「かぎタバコ入れ」が欲しいって言うんで、買うことにしたのだが、
1万元と言う。それは高すぎるやろ?

なんとか値切って、7000元にしたが、今はこれでも高すぎたように
思える。
確かに、すごく綺麗だったけど。

他は、清時代の朱肉入れ。朱肉を買った(現在でも活躍中)。

旦那に言いたい一言「お前はカルガモか?」
う、つい愚痴ってしまった。ごめんなさい(m_m)

こんな訳でなんとか、初海外は終了。
収穫は「私って結構何処ででも順応出来るんだ」ってことかな?

それが、今後のインドへの旅の足がかりとなる。

閑話休題も入れながら、続きを書いて行こうと思う。












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