続、方丈記

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

閃光ー今は昔

2012年07月02日 | コラム
雷鳴とともに稲妻が走った。
今の世相を映すかのように気象も不安定だ。

青い閃光は不気味だ。

連合赤軍の浅間山荘事件が日本国中を震撼させた時、大学生だった私は東急東横線で
横浜から神田まで通学していた。当時の横浜駅は東口と西口の降り口があったが、西口の
発展に比べ東口は閑散としており特に東口は暗く鼠色の隔壁が不気味で、夜、女性は
一人歩きをためらう環境にあった。また、東口から続く高架下の地下通路は国鉄東海道線の
電車の轟音と通過間隙の静寂さがその舞台効果を一層引き立てていたように思う。
さらに暗闇の中に飛び込んでくる光、パンタグラフが発する閃光も心体を射抜く効果は
十分であった。

爾来40年、今の横浜駅は全くの別世界で昔日の姿はどこにもないらしいが、
摩擦電線から発する青い閃光は今も残っているに違いない。

芥川龍之介の遺書と評される「或阿呆の一生」を読み返した時、浮かんだ情景である。


     芥川龍之介「或阿呆の一生」 八 火花

 彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也、烈しかつた。
彼は水沫の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。
彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。
彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
 架空線は不相変、鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。
が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。