続、方丈記

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

2012年07月14日 | コラム
朝早く10羽あまりの燕が我が家の庭の電話線でさえずり交わしている。
見たところ若燕、巣立ったばかりの若鳥のようだ。
この時期から察すると飛来以来2代目であろう。雨の中でも平気で線に止まっているように見えるが
頻繁に体を震わし雨滴を振るっている。初飛来の個体に比べて、やはりどことなく脆弱さは拭えない。

今年の燕の飛来は例年に比して可成減少しているらしく、NHKニュースでも取り上げていた。
このことは、私もこれまでの経験値に照らし合わせても納得のいく事象である。

「毎年、営巣してきた燕が去年は全く寄り付かなかった。今年は巣を作ってくれたがな。」
磯で釣りをしながら友が言った。「思い起こせば、婆さんが死んだ年なんだよな。伝聞だけどな、
不幸事があったり、また、ありそうな家には燕はやって来ないと言うが本当だな。」

これに似たような話もある。
田舎のことだから其処此処の家の軒先には足長蜂が巣を作るが、火事を出すだろう家には最初から
寄り付かぬという言い伝えがある。真偽は別にしても興味深い伝承である。
そういえば、全国でミツバチが減少しているようだ。減少というより激減らしい。蜂箱から一斉に
逃避したという話もよく聞く。なにか嫌な雰囲気を感ずる今日この頃である。

「初夏眠覺曉 處處聞啼鳥」
早朝の10羽の燕のさえずりは喧騒であり、飼い猫2匹が電話線下で身動きもせず3m上を注視してる。
その様は滑稽であり微笑ましいが、燕の命運への不安要素でもある。

ともかく、敷地に集う燕の存在は、我が家は不幸と当分無縁であるとの証左と解釈したい。


海潮音(上田敏)
燕の歌 
ガブリエレ・ダンヌンチオ

弥生ついたち、はつ燕、
海のあなたの静けき国の
便もてきぬ、うれしき文を。
春のはつ花、にほひを尋むる。
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染分縞は
春の心の舞姿。

あゝ、よろこびの美鳥よ、
黒と白との水干に、
舞の足どり教へよと、
しばし招がむ、つばくらめ。
たぐひもあらぬ麗人の
イソルダ姫の物語、
飾り画けるこの殿に
しばしはあれよ、つばくらめ。
かづけの花環こゝにあり、
ひとやにはあらぬ花籠を
給ふあえかの姫君は、
フランチェスカの前ならで、
まことは「春」のめがみ大神。