続、方丈記

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

重力

2012年07月11日 | コラム
重力を強く感ずる今日この頃の私。

立ったり座ったりの場面では必ず「よいしょ」の掛け声を伴うようになった。
一日の労働をねぎらう場である座椅子にセットされた私の体躯は、深く深く地球の中心に向かって沈んでいく。
体細胞の一つひとつが、主である私の指揮権から離脱して重力の為すがままの勝手な行動を取り始め、周りの空間そのものも下に下へと向かってねじ曲がっていくのを感ずるのだ。
そんな時、たまらず私は家人の誰彼構わずに呼び集めるのだった。
「頼む、誰かちょっと来て!」
何事かと隣室から駆けつけてきた娘に私は言う。
「細胞が云う事を聞かず立ち上がれん。俺の代わりにトイレで用を足してきてはくれまいか?」

“神の粒子”という名も持つ宇宙のすべてに質量を与えると考えられる「ヒッグス粒子」とみられる素粒子が発見され、欧州合同原子核研究所の大型粒子加速器「LHC」による実験での最終確認に入っているというニュースが飛び込んできた。
今のところ「ヒッグス粒子」である確率は99.99993%の確率だというから間違いではないはずだ。それも違う角度で検証していた2チームが同じ結論に至ったというのだからホンマものだと素人の私は断定している。

7/4付の毎日新聞配信でヒッグス粒子について次のように解説していた。

「宇宙が誕生した137億年前の大爆発(ビッグバン)の瞬間、ヒッグス粒子を含むあらゆる素粒子は光速で飛び回っていた。しかしその約100億分の1秒後、宇宙が急膨張したことで冷やされ、水蒸気が水になるような「相転移(そうてんい)」という急激な変化が起きた。その時、飛び回っていた素粒子の周りにヒッグス粒子が結露のようにまとわりつき、素粒子は水の中を泳ぐように動きづらくなった。この「動きづらさ」が質量と考えられている。」

ということは、光は質量のない素粒子ということなんだろうな。
なぜ、ヒッグス粒子が光にまとわりつかなかったのだろう?などと一般相対性理論も理解できない私ではあるが、夢想に耽るのであった。

質量を持てば、周りの空間も曲がり重力も体感できる。そもそも私の体が組成出来ているのはヒッグス粒子(ヒッグス場)のおかげということであろうことは、ここで理解できた。

「よいしょ」の掛け声は、ヒッグス粒子に由来していたのだ。