1999~2000、少しずつそれぞれのベクトルがずれ始めているのを感じながらみんながんばったいた、KENYAもNAO-SHOWとバンド活動でまた懲りずに東京へ行くといいだし俺もそっと見送った。しばらくは何事も無かったかのように時が過ぎていった、俺ももう少しまともになろうと思い、仕事すっかみたいな感じで某ハウスメーカーに勤務した、そんなある日電話が鳴った「KENYAが書置きして居なくなったんだけど仙台に帰ってますか?」NAO-SHOWからだった、「いや連絡無いけど、何か喧嘩でもしたのか?」「いやよくわかんないすけどね・・・」俺はNAO-SHOWが夜中にKENYAでも襲っちまったかなどと勝手な想像をしながら、仙台の街中を10日くらい探した・・・いなかった。しばらくしてやっと連絡がきた、郡山の友達ん家まで来てると、居所が分かったんで一安心した、ギブソンのJ200を売りに出し郡山まで辿り着いたらしい、更に浮浪者からパンと新聞紙までもらい・・・ブルースだ!
(ずいぶんしてから結局NAO-SHOWも仙台帰ってくることになり、KENYAと車で迎えに行った・・・2人の愛の巣を見てゾッとした、こんな所に男2人で暮らすなんて考えられないようなボロアパートだった・・・おかえりなさいとか言っちゃってたのか×××)
そんなこんなしてると今度は俺が郡山へ転勤になった・・・
<12>Road fallen angels~路上の堕天使達 次回へ続く
(ずいぶんしてから結局NAO-SHOWも仙台帰ってくることになり、KENYAと車で迎えに行った・・・2人の愛の巣を見てゾッとした、こんな所に男2人で暮らすなんて考えられないようなボロアパートだった・・・おかえりなさいとか言っちゃってたのか×××)
そんなこんなしてると今度は俺が郡山へ転勤になった・・・
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