HORIの熱血野球野郎

- FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE -

オムレツライスでも飲もうか 前編

2024-01-15 09:24:48 | Weblog

おはこんハログーテン
ご機嫌いかがかな?
地上に舞い降りたHORIだ。

君たちは日比谷公園にある「松本楼」に行ったことはあるか?言わずもがな、日本の洋食史を作った銘店だ。

俺は日々のトレーニングで、ジョグ(※)とランを筋疲労に合わせて使い分けている。
※ジョグと言っても3分強/kmが俺のペース。だいたい箱根駅伝の平均速度だ。
ジョグのルートは日比谷公園を通る設定をしているが、そんな俺にとっての給水所が「松本楼」なんだ。

以前、オーナーの子息と仕事を共にしていたのが縁となり、一報入れておけばオンタイムで俺に水分を補給してくれる。

むろん水分とは、下のいずれかを指している。
・ビーフカレー
・ハヤシビーフ
・オムレツライス 2色ソース
もう一度言う。俺にとってはこれが水分だ。
尊敬する師の教えでもある。

白球を追っていた中学時代。俺は身長185cmで体重65kg。パワーよりもスピードに振った動きを意識していた。その方が、プレーに粗さの目立つ中学生の試合で、得点機会に恵まれることが多かったのだ。

ただ、当時の監督から
「HORI。お前に目の前の勝ちは求めない。15年後、世界の舞台に立つイメージをして日々を生きろ」と言われ、同時に20kgのウェイトアップを命じられた。

そこからは地獄の日々だった。

毎朝、3Lの水筒に3合の米とカレーを注ぎ込み、菜箸でグチャグチャにかき混ぜる。それをまるで麦茶のように部活や授業の間に飲み続けた。

もともと少食だったことが災いし、最初は激しい運動によって何度も吐き戻した。グラウンドの隅に溜まる吐瀉物。そこに顔を埋める自分。屈辱的だった。

人間の身体は残酷で、2時間置きに飲まなければ、自分の限界を超えて体重を増やすような吸収が難しい。教室、体育館、下駄箱、トイレ、所構わず飲み続けた。
思春期の周囲の目は一瞬で冷やかなものとなり、俺に好意を寄せていた女たちも顔を見るだけで避けるようになっていった。

そんな若き人生のどん底を、精神的に支えてくれたのが我が心の師。ウガンダ・トラである。師匠の食べ様は、まるで自分を全肯定する聖母のような存在だった。

つづく




コメントを投稿