HORIの熱血野球野郎

- FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE -

オムレツライスでも飲もうか 中編

2024-01-18 10:22:22 | Weblog

「なぜカレーにするのか?」
「プロテインを飲めばいいのでは?」
前編を見て、疑問に思う者も居るはずだ。

しかし、HORIがHORIであるために、誰にも譲れないバックボーンとして、俺には「米を飲む」理由がある。

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TORAOの話をしよう。

TORAOは寡黙な人だった。少年期の記憶を尋ねたときには「飢えと軍歌しか覚えとらん」と語っていた。終戦後、手の平を返していく大人達の姿は、強烈な違和感として脳裏に焼き付いているとも教えてくれた。

山を拓き、水路を引き、豊かな田畑を作ることに人生を捧げた。その強靭な肉体と精神の土台には「米は剣よりも強し」という哲学があった。

「人間の強さとは、科学による暴力の相互支配ではない。飢えたもの同士が食べ物を分け与えられる愛と勇気だ」

そんなTORAOのもとに人々は集まり、ひとつの里山の風景が形作られていった。

TORAOは俺の祖父であり
俺の名付け親でもある。

"ヒューマニズム・オン・ザ・ライス" 

"ご飯の上の人道"

TORAOが少年兵として沖縄で見た、言葉にしたく無いような凄惨な風景。そして、晩年にようやく完成を見た、自然や人間同士が調和する里山の風景。

TORAOの思想と生き方を
最も明快にあらわした言葉
Humanism On the RIce こそ
HORIの由来なのだ。

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俺の実家には、大人30名が2年間は生き延びられるだけの米の備蓄(7200kg=120俵=48石)があった。
そして、1年ごとに新米と備蓄米を入れ替えるため、3年目となった備蓄米を食べていく。単純計算で1人が1日2合は食べないと、このサイクルを回すことは出来ない。

地主的な存在だった我が家が、里山の住民の為に始めた備蓄であり、その分だけ、家族は多く消費する必要もあった。ウェイトアップ期の俺は1日8合という目標を自身に課したのだ。

これをクリアするためには、米を"飲む"しかなかった。

俺は米が炊かれることで大量の水分を吸収することに着目した。実験的に米だけを食べて生活したが喉は渇かず、水の代用が出来そうな期待が持てた。

しかし、米は水のように飲む訳にはいかず、即時の水分補給が難しい。特に運動中は致命的なデメリットとなる。

飲める米を求めて様々な調理法を試行した。おかゆは喉に張り付き、雑炊は水分が多過ぎて米が思ったほど摂取できない。リゾットは緩めに炊かないと飲み込めず、毎日作るには時間が掛かり過ぎる。フードプロセッサに米を入れて餅になってしまったこともある。

そんな試行錯誤をしていたある日、ブラウン管から流れて来たのがウガンダ・トラがカレーを飲み干す姿だった。わずか10秒でカレーをたいらげるトラの姿を見て、俺の脳髄が沸き立った。

カレーは作り置きが出来て日持ちもする。タンパク質やビタミンなど不足する栄養を、溶かした具材で補うこともできる。辛さを抑え、カルダモンのような清涼感のあるスパイスを軸にすると喉も渇かない。何より飲み込みやすい。カレーは極めて優秀な飲み物だったのだ。

つづく



オムレツライスでも飲もうか 前編

2024-01-15 09:24:48 | Weblog

おはこんハログーテン
ご機嫌いかがかな?
地上に舞い降りたHORIだ。

君たちは日比谷公園にある「松本楼」に行ったことはあるか?言わずもがな、日本の洋食史を作った銘店だ。

俺は日々のトレーニングで、ジョグ(※)とランを筋疲労に合わせて使い分けている。
※ジョグと言っても3分強/kmが俺のペース。だいたい箱根駅伝の平均速度だ。
ジョグのルートは日比谷公園を通る設定をしているが、そんな俺にとっての給水所が「松本楼」なんだ。

以前、オーナーの子息と仕事を共にしていたのが縁となり、一報入れておけばオンタイムで俺に水分を補給してくれる。

むろん水分とは、下のいずれかを指している。
・ビーフカレー
・ハヤシビーフ
・オムレツライス 2色ソース
もう一度言う。俺にとってはこれが水分だ。
尊敬する師の教えでもある。

白球を追っていた中学時代。俺は身長185cmで体重65kg。パワーよりもスピードに振った動きを意識していた。その方が、プレーに粗さの目立つ中学生の試合で、得点機会に恵まれることが多かったのだ。

ただ、当時の監督から
「HORI。お前に目の前の勝ちは求めない。15年後、世界の舞台に立つイメージをして日々を生きろ」と言われ、同時に20kgのウェイトアップを命じられた。

そこからは地獄の日々だった。

毎朝、3Lの水筒に3合の米とカレーを注ぎ込み、菜箸でグチャグチャにかき混ぜる。それをまるで麦茶のように部活や授業の間に飲み続けた。

もともと少食だったことが災いし、最初は激しい運動によって何度も吐き戻した。グラウンドの隅に溜まる吐瀉物。そこに顔を埋める自分。屈辱的だった。

人間の身体は残酷で、2時間置きに飲まなければ、自分の限界を超えて体重を増やすような吸収が難しい。教室、体育館、下駄箱、トイレ、所構わず飲み続けた。
思春期の周囲の目は一瞬で冷やかなものとなり、俺に好意を寄せていた女たちも顔を見るだけで避けるようになっていった。

そんな若き人生のどん底を、精神的に支えてくれたのが我が心の師。ウガンダ・トラである。師匠の食べ様は、まるで自分を全肯定する聖母のような存在だった。

つづく



大谷と俺 俺と大谷

2024-01-13 18:53:00 | Weblog

おはこんハロチャオ
みんな、元気にしてたかい?

突然の投稿でさぞ驚いただろう。
このブログは開設から6066日が経過した。
16年以上の月日が流れたわけだ。

喜んでくれ。HORIの再臨だ。
大丈夫。世界は終末を迎えたりしない。
すこし気が変わっただけさ。

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俺はスケジュールが空いているとき(※)
※年に数えるくらいしか空白の休日はないんだ。
だから、これを見て連絡を貰ってもなかなか掴まらないよ。すまないね。

散歩の足を少しだけ延ばし
帝国ホテルインペリアルラウンジに行く。

ウェッジウッドから漂う湯気の向こうに
遥かニルギリの鮮やかな街並み
雄大な山嶺と茶畑を回想しながら
日本の行く末に思い耽っていたときだ。

ふと1つの問いが浮かんで来た。

「この16年間で、JAPANから
 HORIを超える天才は現れたか?」

答えは否。

唯一、肩を並べた人間が大谷翔平だ。
彼も思想と行動が高次元でリンクする
天才の十字架を背負い生まれて来た者。

とは言え、
彼のマンダラチャートは浅はかに感じる。
視野が野球だけでなく天球に広がる
高IQの超人類級…すなわち"HORI"は
16歳で既にその域に到達していた。

ちなみに次点は、芦田愛菜だよ。

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ラウンジの開放的な窓からは
日比谷公園越しに
皇居の坂下門が目に入ってくる

今年で令和も6年目になるのか

なぜだろう
俺の心の一欠片は
未だに平成を引きずったまま

あの未曾有の天災
こりん星の大爆発から立ち直れずに
いまも虚空を彷徨っている