「プロテインを飲めばいいのでは?」
前編を見て、疑問に思う者も居るはずだ。
しかし、HORIがHORIであるために、誰にも譲れないバックボーンとして、俺には「米を飲む」理由がある。
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TORAOの話をしよう。
TORAOは寡黙な人だった。少年期の記憶を尋ねたときには「飢えと軍歌しか覚えとらん」と語っていた。終戦後、手の平を返していく大人達の姿は、強烈な違和感として脳裏に焼き付いているとも教えてくれた。
山を拓き、水路を引き、豊かな田畑を作ることに人生を捧げた。その強靭な肉体と精神の土台には「米は剣よりも強し」という哲学があった。
「人間の強さとは、科学による暴力の相互支配ではない。飢えたもの同士が食べ物を分け与えられる愛と勇気だ」
そんなTORAOのもとに人々は集まり、ひとつの里山の風景が形作られていった。
TORAOは俺の祖父であり
俺の名付け親でもある。
"ヒューマニズム・オン・ザ・ライス"
"ご飯の上の人道"
TORAOが少年兵として沖縄で見た、言葉にしたく無いような凄惨な風景。そして、晩年にようやく完成を見た、自然や人間同士が調和する里山の風景。
TORAOの思想と生き方を
最も明快にあらわした言葉
Humanism On the RIce こそ
HORIの由来なのだ。
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俺の実家には、大人30名が2年間は生き延びられるだけの米の備蓄(7200kg=120俵=48石)があった。
そして、1年ごとに新米と備蓄米を入れ替えるため、3年目となった備蓄米を食べていく。単純計算で1人が1日2合は食べないと、このサイクルを回すことは出来ない。
地主的な存在だった我が家が、里山の住民の為に始めた備蓄であり、その分だけ、家族は多く消費する必要もあった。ウェイトアップ期の俺は1日8合という目標を自身に課したのだ。
これをクリアするためには、米を"飲む"しかなかった。
俺は米が炊かれることで大量の水分を吸収することに着目した。実験的に米だけを食べて生活したが喉は渇かず、水の代用が出来そうな期待が持てた。
しかし、米は水のように飲む訳にはいかず、即時の水分補給が難しい。特に運動中は致命的なデメリットとなる。
飲める米を求めて様々な調理法を試行した。おかゆは喉に張り付き、雑炊は水分が多過ぎて米が思ったほど摂取できない。リゾットは緩めに炊かないと飲み込めず、毎日作るには時間が掛かり過ぎる。フードプロセッサに米を入れて餅になってしまったこともある。
そんな試行錯誤をしていたある日、ブラウン管から流れて来たのがウガンダ・トラがカレーを飲み干す姿だった。わずか10秒でカレーをたいらげるトラの姿を見て、俺の脳髄が沸き立った。
カレーは作り置きが出来て日持ちもする。タンパク質やビタミンなど不足する栄養を、溶かした具材で補うこともできる。辛さを抑え、カルダモンのような清涼感のあるスパイスを軸にすると喉も渇かない。何より飲み込みやすい。カレーは極めて優秀な飲み物だったのだ。
つづく