皆さん^^こんにちは♪
だいぶ間があいてしまいましたが、続編スタートです。
仕事の合間に、家の東側の樹木伐採や、町の草刈りに休みも無く働いてました><
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孫の顔を見て、長男夫婦と久々の出会いを楽しみ、お嫁さんの御両親のお宅にもお邪魔して、1時間30分の滞在は、
凄く有意義で楽しい時間になりました。
コロナが発生していない岩手県にも気を使い、宿泊先の宮城県女川温泉を目指して帰る事に♪
お嫁さん宅でお父さんが、我々と孫との写真を撮影して下さいました。
後ろ髪引かれる思いでホテルへ・・・午後 1時30分、ヤリスを走らせます。
予約した時間は午後6時のチェックイン!
時間はギリギリ到着か?しかし、我々にはどうしても寄りたい場所が・・・・。
陸前高田・・・散々悩み、妻に切りだすと、やはり同じ思いだったらしく立ち寄る事に♪
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2014年 6月 8日の陸前高田。
山一つ崩して、大量の土砂を運ぶための巨大なベルトコンベヤーが動く橋!
かつて、「希望のかけ橋」と呼ばれました。
大津波の面影が残る陸前高田には、かつての松原に変わり、巨大なパイルドライバー(杭打ち機)が林立!
震災遺構の「奇跡の一本松」と「ユースホステル」が、悲しきモニュメントとして残されていました。
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そして、2021年10月16日(土)、再訪した私達を待っていてくれたのは、活気付く街並みと、
整備された陸前高田の姿でした^^
高田松原震災復興祈念公園として、立派に生まれ変わっていたんです。
どこまでも真っすぐな路を進んで行くと、献花台とお祈りの場所が設けられていました。
もうこの瞬間に、ホテルの予約時間の事は頭から消え去り、復興に携わった方々への感謝と、災害で亡くなられた
方々への想いが心を動かし、先へ先へと歩を進めて行く秋風春風夫婦。
更に先へと突き進み、足の負担も考えられませんでした。
そしてついに、あの防波堤の先に到着。
見渡せば、震災の面影が震災遺構として残されているのが確認出来、心が痛みます。
かつての「道の駅」。
震災遺構として、今も残る悲しきモニュメント「奇跡の一本松」、「ユースホステル」、「気仙中学校」。
振り向けば、長い道のりだった事が分かります。
訪れる皆さんは、それぞれの思いを携えて、この道のりを歩いて来るんですね。
献花台と祈りの場所(海を望む場)に到着です。
降り続く雨も気にしないで、妻と一緒に深々と頭を垂れ黙とうしました。
自然と胸が痛くなった。
かつての震災で、長男と連絡が着かなかった時は、本当に心配で心配で、数日後にNTTの支援により、衛星電話に
3時間も並んだ長男から、生きた声を聞いた時は、本当に嬉し泣きでした。
当時はお嫁さんとの出会い前でしたが、お嫁さんも無事に生き残り、やがて長男と出会い結婚してくれました。
しかし、津波によって亡くなられた方々も凄く多く、ここでのお祈りは、私達夫婦には特別のお祈りだったんです。
献花台とお祈りの場の前は海。
そして、かつての松原の再生プロジェクトも進んでいます。
もう、3.11の悲劇は繰り返したくない!
そう、あらためて願いました。
(震災遺構 陸前高田ユースホステル)
(震災遺構 奇跡の一本松)
(復興遺構 希望のかけ橋 基礎)
役目を終えた「希望のかけ橋」は、復興遺構として、基礎部分のみが残されていました。
絶対にあの日を忘れない。
そして語り継ぐために。
やっぱり、ここに来て良かった・・・それが素直な感想でした。
多くの方々が慰霊に訪れてました。
そして、再び「南三陸自動車道」に乗り、宮城県内へ、雨天の為か漆黒の闇が早々に視界を遮る中、
宮城県女川温泉に到着♪
なんとか、17時30分に到着♪
1日の走行距離、642.9km!ハイブリッドのおかげで無給油で来れました^^
余裕で、後148km走れます。
今回はここまで、次回もUP出来るように頑張ります♪
風化させず語り繋ぐことの大切さ。
画像拝見し、心が痛み新たに自然の恐ろしさを
再認識しました。
ご子息とやっと連絡取れたときの、お二人の姿
本当に嬉し涙だったことでしょう。
先日も、地震が山梨で起こったとき、富士山爆発⁈
違って欲しいと願いつつ、3.11を改めて
思い起こし胸が痛く悲しさがこみあげてきたわ。
母のような大らかで優しい海も,ひとたび怒ったときは本当に恐ろしい魔物の様に感じますね。
穏やかで静かな時間が1日も早くすべての人たちの
頭上に降り注がれることを祈っています。
大切なわが息子よ。
どうぞ 自身も大切にしてくださいよ。
貴方は自分のことは後回し 人のために尽くす
素晴らしいことですが、先ずは自分そして家族を
大切にしてくださいね。
岩手の長男宅に通う度に復興して行く岩手県♪
長男もお嫁さんも震災被災者、そして巡り合い結婚。
幸せも有り、悲しみも有り、あの地震と津波は絶対に私の記憶からは消えません。
重い内容に胸を痛められたお母さん、ありがとうございます。
私も、穏やかで静かな時間が1日も早くすべての人たちの、
頭上に降り注がれることを祈っています。
はい、御心配感謝します。
自分をも大切にして行きます♪
いろいろコロナ自粛でクリスマスだ正月だと騒ぐ人も、少なくなりましたね。一年生の孫が言うには給食ですら前を向いて黙々と食べるように指導があるそうです。
震災以来、けっこう~長いこと、我慢をしながらの暮らしのようにも感じます。
ただ、実際、一本松とか見られませんので、こうしてお写真を拝見出来て、身が引き締まります。
あの当時、遅れて卒業式で「天を恨まず・・」の卒業生代表の答辞をされた少年は、もう、立派に成人なされたのだろうな~と思い、感慨深いです。
亀の歩みの復興ですが、この先ずっと、(あれがあったから今がある!)と、思えるようにしていきたいです。
年末年始、どうぞお元気でお過ごしください♡
生活をされて来た事を、ブログのやりとりで私は知っています。
そして、このブログにコメントを下さったお気持ちもお察しします。
私は、図らずも、長男を津波をで失っていたら・・・と思うと、
今もあの日は脳裏に蘇ります。
あの日以来、さまざまな岩手県内に行きました。
さまざまな姿も見て来ました。
今回は、震災遺構と復興遺構を見て来てブログに残しました。
見ていただいて、また二色 恋さんもお辛い気持ちにさせてしまいましたね。
亡くなられた方々のご冥福を祈ると共にこれからも復興を皆で支えていきたいですね。
来年も秋風春風さんのブログ楽しみにしています。
どうぞ良いお年をお迎え下さい✨✨
こちらこそ、昨年中は大変お世話になりました。
本年も、どうぞよろしくお願いします。
かつて、津波による大被害の傷痕も、今ではここまでになりました。
数年おきに長男の住む岩手に通い続け、ずっと眺めていた景色。
3.11依頼、惨状しか見れなくなり、やがて少しづつですが、
復興し続けて行く姿を応援するようになりました。
涙に感謝します。
ありがとうございます。