聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

結論:韓国のナジュのメッセージの公式否認

2017-05-23 23:58:31 | 聖母マリアとその出現について
5.メッセージ

 ファチマのメッセージの核心は誰にでも明らかです。ファチマでマリア様は「聖なるカトリック信仰の喪失」を嘆かれ、最後の大離教の時が来たことを警告されるのです。それから私たちを救う対策として、「彼らを救うために天主はこの世に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでいます。」(ファチマの聖母)と言われました。ファチマの聖母は、何よりもまずカトリック信仰を語ります。聖パウロもいうとおり「信仰がなければ天主に嘉されることは出来ない」からです。ファチマでは、聖母は何よりも天主に対する信仰、天主に対する愛、これを説きました。信仰がないところには、正しい道徳があり得ないからです。プロテスタント信仰には彼らなりの「道徳」があます。例えば、離婚は認めるとか。イスラム教徒にはそれなりの「道徳」があります。例えば4人まで妻をめとって良いとか。さらに、超自然の信仰のない時に、道徳は御利益主義になり下がります。例えば、これをするとこんな良いことがある、とかです。

 ラ・サレットというところでは、聖母は、人々が天主の御名をみだりに使うこと、日曜日にミサに与らず主日を守らないこと、を嘆かれました。

 聖母は、まず天主への信仰、愛を語ります。

 しかし、ナジュの「聖母」は、聖なるカトリック教会の信仰を守ることについては一言も話しません。「この世は今、腐敗と堕落のためにやつれてゆきます。」(p208)「さあ、急ぎなさい。倫理道徳が堕落に向かって走っています。」(p256)

 天主は全人類をキリストのもとに一つに集めようという計画をもっています。それがカトリック教会というキリストの神秘体における一致です。真の天主、聖三位一体を信じることによってのみ、真理においてのみ、全人類は一つとなり得ます。その時平和の君キリストが全人類に平和を下さるでしょう。しかし、天主のいないところに真の一致も平和もあり得ません。

 ところで、ナジュの「聖母」は、また信仰の遺産による真理における一致について何も話しません。ただ、天主のいない国連的な一致の話ばかりしています。フリーメーソンの会員が言いそうな、愛、協力、平和、一致ばかりを話しています。「世界中の国々が一致しなければならないこの時・・・」(p80)、「全ての人が一致団結するように祈りなさい」(p81)。

 さらに、ナジュの「聖母」は堕胎に反対します。しかし、その理由は、聖母からのものらしくありません。

 つまり、カトリック信者なら、堕胎がいけないのは、天主の掟であるから、と言うのでもしょう。或いは、堕胎がいけないのは天主のみが人間の生死の絶対の権をもっているから、と言うでしょう。或いは、天主の御旨にもとるから、または、人間が天主の似姿であと驍ゥら、と言うでしょう。カトリック教会は、二千年間、天主の十戒や、新旧約聖書に基づいて、倫理を教えました。つまり、全ては天主のみ旨に基づいています。教会は、倫理体系を人間の尊厳を土台に作り上げたことはありません。天主を信じない人々が、天主ない倫理体系を作ろうとして、全てを人間の尊厳や、人間の自由を土台に、新しい倫理を構築しようとしています。

 ところで、ナジュの「聖母」が堕胎に反対なのは、ただ、胎児が「人間としての尊厳を奪い取られ」(p115)ているから、なのです。胎児が「ママ、私は生きたい!生かせてママ!」(p116)と願い、胎児の人権と自由のために「聖母」は堕胎に反対します。

「今のこの時代は、悪魔が良心までも堕落させる不道徳をもって貞潔の徳を犯し、殺人を行わせ、堕胎によって人間の尊厳性を破壊し・・・」(p205)、「良心まで腐敗させる不道徳によって人間の尊厳を破壊させ、堕胎によって残酷な殺人まで行わせるのです。」(p216)

 マリア様は永遠の至福におられ、過去・現在・未来を既にご存じのはずです。しかし、ナジュの「聖母」は、ヒステリックで忍耐心に欠け、こう言います。「娘よ、今あなたはあまりにも焦っています。私もあせっています。」(p85)「さあ、早く私の勧めに従いなさい。私は、もうこれ以上がまんして待っていられません。」(p259)

 聖母は全能の仲介者、全ての聖寵を私たちに施して下さる方、天主の御母なのですが、ナジュの「マリア様」は「私にほどこしを下さい。そうです。この天の乞食に(!!)施しを下さい。」(p90)と言います。

 戦争は、天主が人類の犯す罪のために下す天罰です。平和は天主のみが与えることの出来る恵みです。私たちを罰するために、天主は、敵軍を起こして私たちに向けて戦争を仕掛けることを許されるのです。人間の作る自然のレベルでの一致や、愛などは、もし天主がいなければ、裏切りに変わります。平和の元后である聖母は、真の平和をもたらすために、全ての人々が真の宗教、カトリック教を信じ、天主のもとで敬虔に生きることを願われるはずです。

 しかし、ナジュの「聖母」は超自然の信仰は語りません。こう言います。「一致が欠け、愛が滅ぼされたため、人間が罪悪の中で泣きわめき、ののしり合う声が戦争の爆音に変わり、天をつくような痛みで神の聖なる怒りを招いています。」(p144)

 ナジュの「聖母」は自分のために大聖堂を建設することを要求します。「大聖堂を準備しなさい。・・・“マリアの救いの箱船”である大聖堂の建設のために努力して下さい。」(p225)と、非常にしばしば「聖母」は大聖堂を建設しなければならないことを強調します。

 しかもナジュの「聖母」は、この大聖堂建設こそが救いの最終手段であるかのようにおだてています。「私の末っ子である韓国を非常に愛した私は、この国を通して、私の愛と勝利が全世界に広がっているようにするでしょう。」(p242)「今ここは、イエズスの愛の聖心を私の愛の心がいつも一致する愛の王国となるでしょう。また、世界中でこのようなことは得難い救いの場所となるでしょう。今ここにおいて、私たち(イエズスとマリア)の聖心の光が継続的に照らし、バラの香りが漂い、奇跡の泉では、永遠の生命の水[!!!???]が飲まれるでしょう。」「こうした[ママ]散らばっている子らを私の心の愛の中に呼び集めるには、出来るだけ早く大聖堂を建設しなければなりません。[つまり、大聖堂がなければ、子供たちは聖母の元に戻ってこないということです]」(p238)「マリアの“救いの箱船”の大聖堂の建設を助けて下さい。」(p240)「さあ、愛の母である私と一緒に、誘惑に落ちてゆく霊魂たちの前途を照らしてあげましょう。そのために、マリアの救いの箱船大聖堂をあなた達皆で力を合わせて準備しなさい。」(p251)「良い種子は100倍の収穫を収めるということを信じ[福音書では、“良い種子”ではなく、“良い土地に落ちた種”のことをキリストは話されています]、汚れない私の心に全く委ねて働くなら“マリアの救いの箱船”の大聖堂が出来上がるでしょう。早く急がねばなりません。」(p259)

結論:

 私たちは、メッセージではなく、教会の過去の公教要理、教皇様方の文書、過去の不可謬の公会議の決議をますます勉強しなければなりません。カトリック教会は決して誤ることがありません。 私たちは、メデュゴリエと共にナジュを初めとするあらゆる未認可のメッセージや、非認可のメッセージから遠ざかるようにしましょう。

1997年9月8日マリアのトマス小野田神父


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。