聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:5

2017-05-31 23:01:18 | エキュメニズム関連
 既にこのアメリカ人大司教は、今世紀中のアメリカ政治を特徴付けることとなる汎民主主義的帝国主義を自分のものとするです。教会と、(カトリック教会から排斥されたはずの)フランス革命の考えを世界中に押し付ける使命があるとするこの帝国主義とを結び付けるという考えは、それ自体全く驚くべきことでした。しかし時代は人々の考えが少しずつ道を外れて行く時代でした。


 クライン神父は『ヘッカー(Haekker)神父の生涯』と言う本を訳します。この翻訳本にはアイルランド大司教の序言と、ギボンズ司教の手紙が付けられ、まさしく『政党宣言』でした。しかしこの訳本は排斥され書店から取り除かれました。後にシャルボネルはこう告白しています。「疑いも無く、これらの人々(ヘッカー神父、アイルランド大司教、コアン(Koane)司教、クライン神父)が代表する考えのために背教することになった。しかしわたしはそれをわたしの解放と呼びます。」(Revue chretienne, 1er octobre 1899)

 つまり、既に「新しい教会」そしてその「新しい司祭」が問題になっていたのです。この「新しい教会」は諸宗教の精神的一致という観念のうえになり立っています。つまりその土台は個別の誰にも属してはいなく全ての者として属する土台の上に、です。これはまさしくフリーメーソンの定義そのものです。

 「フリーメーソンは、全ての気候の住民に、全ての礼拝様式の人々に合う普遍的な道徳であり、その一つの不変の道徳は排他的な土着の諸宗教よりもより広く普遍的である。」(Tableau Historique, philosophique et moral de la Franc-Maconnerie, par le F∴ Ragot, secretaire du Grand-Orient, in l’Action francaise, 15 aout 1907)

 既に19世紀の中葉にはグラン・オリエントはこう信仰宣言しています。「この地球上の個別の宗教を全て含むある一つの世界的宗教がある。それこそ、我々が信奉するものである。」(Bulletin du G. 4. O∴ de France, juiller 1856, in l’Action francaise, 15 aout 1907)

 そして奇妙なことに、この考えは『世界的イスラエル契約(l’Alliance Isra lite Universelle)』と全く同じ考えです。

 既に19世紀中葉から、フリーメーソン的な考えを、世界統一宗教を支持する巨大なそして不気味な運動が起こっているのです。この運動は、ローマ・カトリック教会の基礎、すなわち天主からの啓示自体を否定するにも拘わらず、教会の懐の中にも幾人かの信奉者を持っていたのです。

 教皇レオ13世は1896年6月29日に『サティス・コニトゥム』(Satis cognitum)というすばらしい回勅を発表しています。(興味がある方は、デンツィンガー・シェーンメッツァー『カトリック教会文書資料集』エンデルレ書店3300~3310をご覧ください。)

 「イエズス・キリストは、大体の点では似てはいるが、使徒信経を唱えるとき我々が『我は唯一の教会を信じ奉る』と言う程に唯一の不可分の教会を形成するこれらの絆によって互いに結ばれていない別個の複数の共同体から成る一つの教会を考えもされず、創立もされなかった。」

 レオ13世の言うことを、今世紀初頭にピオ11世は、その回勅『モルタリウム・アニモス』の中で、全く同じことを繰り返されています。

(写真はコーランに接吻する教皇ヨハネ・パウロ二世)

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:4

2017-05-31 22:59:07 | エキュメニズム関連
 背教した司祭ヤサント(Hyacinthe)は1900年の万博で諸宗教の議会を開かせるために猛烈に弁護した独りでした。アルチュール・ロトはこう書いています。

 「ヤサント神父は、いろいろな聖職者、いろいろな信仰者の間にすべてを糸つに集める超宗教が将来できるであろうとあらゆる機会を使って断言している。更には自分は今からその超宗教の司祭である、と言っている。これこそ彼の背教である。ホラント(Holland)牧師やヤシント神父が、ユダヤのラビ、イスラムのムフティー(コーランの解釈をする僧侶)やデルヴィッシュ(イスラムの僧侶)、インドのファキール(托鉢僧)、またその他の淫祠邪教の偽りの神々の僧侶たちと一緒になって1900年の万博のアトラクションに宗教の議会と演劇を催そうと組織作りをするのは許される。しかしカトリック教会はこの種の如何なる展覧会にも加わってはならない。カトリック教会こそがイエズス・キリストの教会である。カトリック教会はその天主なる創立者によって今あるごとくあるのである。カトリック教会のみが宗教真理の唯一の保管場所である。カトリック教会は他の宗教から受けたり取ったりするものは全く無いのみならず、彼らに与えるべきものを全て持っているのである。教義に関することに対して教会は如何なる黙認も妥協も認めない。教会の道徳は福音の道徳それ自体である。

 カトリック教会は、他の如何なる宗教に対しても、教会が天主ご自身によって創立された所に由来する優越性を持ってしか姿を現すことができない。カトリック教会は無であるか、全てであるかのどちらかである。」(La Verite , 26 septembre 1895)

 パリ枢機卿大司教はこの『諸宗教の市』を禁止しました。しかしシャルボネル神父はこう不平を書きます。「多くのラムネーたち、ラコルデールたち、モンタランベールたちの声はもみ消された。しかし今日一人の『英国のマニング』、一人の『米国のアイルランド』、一人の『ローマのレオ』はいにしえの捨て去られたリベラルな福音を復活させようと望んだ。つまり多くの人々の福音を。」

 シャルボネルは一人残され、自説を曲げようとせず、終に司祭を辞めてしまいました。

 前世紀末の革新派たちのアイデアは、教会を「世俗・現代の中に」溶け込ませることでした。米国のアイルランド大司教猊下(Mgr Ireland)は、こう書いています。

 「教会と世俗!この二つを親密に結び合わせよ、そうすれば二つの心は一致して鼓動を打つだろう。人類の神は世俗において、超自然の啓示の神は教会においてはたらかれる。この二つ両方とも、はたらかれるのは一つの同じ神である。」アイルランド大司教猊下によると、この世俗は民主主義に行き着くので(注:勿論、カトリック教会に反する勢力や、フリーメーソンの闇の活躍による革命の結果として)教会は民主主義に加担参加しなければならないと言いました。

 革新派はついに教会は「理解した」と言いました。レオ13世はフランス・カトリック信者に『共和制参加運動Ralliement』を押し付け、アイルランド大司教は「フランス国民に対する(レオ13世の)栄えある回勅は長い間人々が望んでいた平和の口づけを教会から民主主義にもたらした!」しかし、このミネソタ州のセイント・ポールの大司教は少し懐疑主義で有名なエミール・ゾラと似ていました。アイルランド大司教はフランスの民主主義の召命を疑うのです。そして、2年後にはアメリカ合衆国こそその召命を持つとこのように宣言するのです。

 「わたしは合衆国共和国に天主からの使命が授けられたと信ずる。この使命は、その模範と道徳的影響力によって、人類の自由と人権の世界的君臨のために世界を準備することである。アメリカは自分だけのために生きない。人類の運命はアメリカの手にゆだねられた。如何なるモンロー・ドクトリンもアメリカの民主主義を太平洋・大西洋の海岸に押し止どめ得ない。」しかし彼の考えはレオ13世によって排斥されました。

 既にこのアメリカ人大司教は、今世紀中のアメリカ政治を特徴付けることとなる汎民主主義的帝国主義を自分のものとするです。教会と、(カトリック教会から排斥されたはずの)フランス革命の考えを世界中に押し付ける使命があるとするこの帝国主義とを結び付けるという考えは、それ自体全く驚くべきことでした。しかし時代は人々の考えが少しずつ道を外れて行く時代でした。

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:3

2017-05-31 22:58:02 | エキュメニズム関連
『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:3

 この『諸宗教の市』はカラフルで、アメリカ人好みのパレードのスタイルで、シカゴではあまり問題にも成らなかったかも知れません。しかしクライン神父とシャルボネル神父とが万国博覧会の折りにパリで諸宗教の世界議会を組織立てようという提案をしたとき、レオ13世が『カトリックは彼らの会議から遠ざかるのが賢明である』と言い、彼らはそれを放棄しなければならなかったほどの大きなスキャンダルがおきました。しかし、事態は熱気を帯びていました。シャルボネル神父は『諸宗教の精神的一致(Union morale des religions)』というのを提唱しました。彼はRevue de Paris誌の1895年9月1日号にこう書いています。

 「人々を分裂させる教義上のすべての特殊な違いについて沈黙を守るという契約を結ぶだろう。それは、心を一致させるものによる、すべての信仰のうちにある道徳を高めてくれる力による、共通の行動の契約である。それは、昔の幻想を打ち捨てること、人々を教義の細かい違いに縛り付けた『言い掛かり』をつける長い伝統と離別することであり、新しい時代の到来を告げるものである。この諸宗教の最高の一致のための時は来た。」 

 これは1717年のフリーメーソン創立憲章の中の考えと全く同じものでした。この憲章によるとフリーメーソン会員は「すべての人にその個人的意見の選択の自由を残しつつすべての人々の同意する宗教のみに縛られる。それによって、フリーメーソンはそれなくして永遠に分裂し続けるであろう人々の中で、真の兄弟愛を創るセンターとなり手段となるだろう。」こうして、既に19世紀の終わりにはフリーメーソンの考えが聖職者と信者の一部の中に目に見えて浸透していったのです。

 ルミール(Lemire)神父や、ノデ(Naudet)神父などのような有名な近代主義者たちは、このシャルボネルの提案に拍手喝采を送りました。ノデ神父が編集長を務めていたル・モンド紙は「それは宗教が良いということをすべての宗教によって断言させることである。それは第一に神々ではなくて、すべての宗教が多かれ少なかれ完全にもっている神の観念があらわになるであろう。」

 しかし、アルチュール・ロトはこう答えています。

 「いろいろな宗教を目前にして信仰のない者に、天主の御国にまで考えは到底及ばない。さらにそれは他の多くの人々の信仰を失わせる。いつの時代もそうであった。ローマ人たちは異邦の民の神々を知るようになるに従って、自分たちの神々への信仰を失って言った。まず、彼らは自分たちに信じさせるために、また自分の臣民たちに信じさせるために、異邦の神々もローマの神々と同一の神々だとした。次に、彼らは結局如何なる神々も信じなくなってしまった。この交ぜ合わさりの為に不信心にしなってしまったのである。

 パリにおいても同じことが起こるであろう。同じ目的のために統合し、合同の行事の中に解け合った多数の諸宗教の光景のために、人々は懐疑の念を増すだけとなるであろう。かくも多くの宗教を目前にして人々は『すべての宗教はどれも良いものだ』とか『宗教はどれでもかまわない』と容易に信じてしまうだろう。かくも多くの神々を見て『これらのすべては全くどれもこれも価値のないものだろうか』と考えるか或いは『このうちにひとつ本物があるのだろうか』と自問するようになるだろう。」

 ラムネーという異端者の時のように、人はキリスト教はようやく19世紀の末に始まったばかりであるかのような印象を受けていました。そして、『道を離れてしまった人々の心を勝ち取るために』教義については沈黙を守らなければならないかのような印象をもっていました。

 レオ13世は『共和制参加運動Ralliement』は良くない結果をもたらしてしまったと思い始めていましたので、フリーメーソンの地下活動に特に注意を払い、絶えずそれを告発し、こう知らせました。「この沈黙の契約は反乱者たちを教会に呼び寄せるどころか、カトリック信者らを教会から離れさせてしまうだろう」と。

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:2

2017-05-30 04:24:36 | エキュメニズム関連
例えば、「諸宗教の議会」という考えは19世紀の末、1893年のシカゴでの万国博覧会のとき生まれました。

その2年前には、ルター派、メソジスト、ユニテリアン、ユダヤ教のラビ・ヒルシュそしてシカゴのカトリック大司教フェチャン(Fechan)猊下より成る委員会が作られました。この委員会はすべての信仰の代表者たちに「1893年の博覧会で人類の宗教的調和の絵をこの世に贈るために」協力してくれるように招待し、宣言を公表しました。

「歴史上初の世界中の宗教の代表者たちを集めて会議を開き」「これらの様々な宗教の共通の宝である、基本的な真理の性質とその数とを面白く人々に見せる」ことを提唱しました。ギボンズ(Gibbons)枢機卿は「この諸宗教の議会の目的は真理を捜し求める人々に、様々な宗教のそれぞれの資格を示し、彼らがそれらの中から自分の良心に訴えるものを選ぶことが出来るようにするため」だと発表しました。言い換えると、政党の代わりに宗教がそれぞれ自分の綱領を自慢しあって選挙運動をさせる、と言うのです。しかし、選挙運動がそうであるように、投票者によいイメージを売らなければなりません。そこで、アメリカのカトリック信者はローマ教会の教義上のいくつかの教に関して沈黙を守った方がよいのではないか、と言う考えが心を奪うのです。

アメリカ人たちはフランスに来てフランスのカトリック信者にこう教えるのです。例えばギボンズ枢機卿はパリでこうお説教しました。「フランス人司祭はこの世代の人々にこの世代の言葉を話さない。彼らは昔のように話し世の中が変わったことを知らない人が住む遥か彼方の辺鄙な所から来たかのように見える。」

それに対して、アルチュール・ロト(Arthur Loth)というカトリックの素晴らしいジャーナリストがラ・ヴェリテ紙にこう勇敢に答えています。

「福音はすべての時代、すべての国々、すべての社会状態のために成された。…近代社会の教えは福音の教えと全く正反対である。…勿論、福音の宣教は、宣教する時と国によって相応しく適応される。しかし、我々の住む社会のように物質主義の社会のただ中において効果的であるために、聖職者とカトリック信者との行動は何よりもまず聖パウロの勧めから息吹を受けなければならない。この勧めは、フランスにおいてと同じようにアメリカにおいても相応しいものである。『“Nolite conformari huic saeculo.”この世代と妥協しないようにせよ。』」

1895年9月15日、教皇レオ13世は『諸宗教の市(いち)』という原理そのものを排斥し、ギボンズ枢機卿にこう書いています。「我は、『宗教問題、あるいは道徳問題を取り扱うために、カトリック信者が区別なく教会を離れたものたちと一つに集まる集会』をアメリカにおいて開催しようとしていることを耳にした。自分の信条(parti-pris)を省略し、カトリックの教えのいくつかの原理を忘却の彼方に追いやるその沈黙の事実にいかなる罪もない等と信じてはならない。これらのすべての真理は如何なるものであれ、その真理の創立者にして教師は同じ一人しかおられない。すなわち天父の懐のまします御独り子である。」

しかしそれにもかかわらず17日間、ギボンズ枢機卿は深紅の枢機卿の服を着け、ブラーマンは赤の服を身にまとい頭には緑のターバンを巻き、仏教とは白い衣を身につけ、中国人と日本人の僧侶は絹の服を身に纏い、人間の霊的・物質的幸福について自分のやり方で礼拝をして皆に見せていました。

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」

2017-05-30 04:23:04 | エキュメニズム関連
『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」

大教養学部カトリック研究会が1955年に訳したピオ12世の『ミスティチ・コルポリス』という回勅の日本語訳を中央出版社は1964年に出版してくださいました。その翻訳・出版の御労力には日本人のカトリック信者を代表して心から感謝申し上げます。我々は、いつの時代にでもどこの国にでも真理である、教会の教えを知りたいのです。実にピオ12世はこう言われるのです。

「教会を、彼らが言うように「霊的な」ものであるかのように、“触れる事も見ることもできない何か”だと想像し、それによって“信仰によっては離れているにもかかわらず、多くのキリスト教共同体が目に見えないある一つの絆で互いに結ばれているようなもの”だと考える人々は、天主の真理から離れています。(14)」

「しかし、《生まれ変わりの洗礼を受け、真の信仰を宣言している人で、かつ他方で、不幸にしてこの(神秘)体の全体から離れなかった、或いは非常に重大な過失のために正当な権威によってこの体から切り離されなかった人々》だけが、教会のメンバー(肢体)を構成します。使徒(聖パウロ)は、私たちはユダヤ人もギリシア人も奴隷も自由人も区別なく、一つの体となるために一つの霊によって皆洗礼を受け(コリント/FONT>12:13)」たと言うのです。従って信者の真の集いにおいては、ただ一つの体、唯一の聖霊、唯一の主と唯一の洗礼しか無いのですから、ただ一つの信仰しかあり得ないのです(エフェゾ4:5参照)。そして教会の教えに耳を傾けることを拒む者は、主ご自身のご命令により異教徒、収税吏と同様に見なされべきです(マテオ18:17参照)。従って、信仰或いは統治の理由のために分裂している者たちは、この同じ体において生きられず、従ってこの同じ天主の霊を生きることもできません。(21)」ピオ12世の教えは明確であいまいな所がありません。

ところで、ピオ12世教皇が、昔からのカトリックの教えをはっきり宣言されているにもかかわらず、注解者はその訳注の中でピオ12世に明らかに全く反対してこう書いているのです。

「誰が神秘体の肢体であるかという問題を扱っているが、これは、一つの課題として今日まで持ち越されている(ママ!)。41頁」

 更には、「ローマ・カトリック教会に属していない人々と教会とのつながりについての考え方は、第二バチカン会議とともに、新しい段階に入った。離別の兄弟であっても、洗礼を受けている人には洗礼による基本的な一致があり、聖霊は離別の兄弟のうちにも働いているのである(ママ!)。139~140頁」

しかし、誰がカトリック教会というキリストの神秘体の肢体で、誰がそうでないかは、教会はその創立のときから良く知っていました。教会は2000年間に亙り、天主は、通常の聖化手段としてカトリック教会を創立されたのであるから、カトリック教会を通して、その信者こそに聖霊が働いていると知っていました。この注解者が書いていることは実は第2バチカン公会議が考え出したことではありません。このようなリベラルな考えは歴代の教皇様が再三排斥し続けて来た考えです。この注解者はせっかくのカトリックの聖伝の教えを堅持するピオ12世の回勅に異端の疑問を投げかけることにより、何も知らない日本人の信者を惑わし毒を与えているのです。

今回は、そのことにテーマを縛って見てみることにしましょう。