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AZUMI (ryo.ta) のつぶやき日記 #DavidBowie 情報まとめ

記事「追悼:デヴィッド・ボウイの出演映画」

2021-02-24 06:49:52 | #david bowie
2016/01/10の訃報をうけ、イマジカTVのサイトに寄せた追悼文。
現在、イマジカTVはWOWOWの子会社となり、当時記事を掲載していたページは、ページとしてはあるようなのですが、当該記事は掲載されておりません。
担当の方も替わられてしまった様子で、記事をご依頼いただいた担当者に確認の上、こちらのブログにて内容を掲載いたします。(ご許可いただきありがとうございます)
ただ、掲載時の最終稿は手元に保存してありませんでしたので、修正第二稿を一部手直しして掲載することといたします。


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追悼:デヴィッド・ボウイの出演映画。


日本時間では2016年1月11日の午後。デヴィッド・ボウイ死去の報が世界中をかけめぐった。


彼の死を悼む番組では、「イギリス出身のロック歌手で、30本を超える映画にも出演した俳優でもある」などと表現されていたが(実際に出演でクレジットされている映画は40本に上る)、音楽に縁遠く役者としての顔しか知らないという方も多くいらっしゃることだろう。


彼の出演作をいくつか紹介しようと思う。


『地球に落ちて来た男』
原題:THE MAN WHO FELL TO EARTH
1976年
監督:ニコラス・ローグ
出演:デヴィッド・ボウイ、リップ・トーン、キャンディ・クラーク、パック・ヘンリー


物語は、滅亡の危機にある星に妻子を残し、移住できる星を求める旅へと出発した男が、不慮の事故で地球に墜落するところから始まる。男は地球人を装いトーマス・ジェローム・ニュートンと名乗る。故郷の星から持ってきた鉱物を元手に大富豪となり、故郷へ戻るための宇宙船開発に取り組むが、彼が異星人であることに気が付いた研究者達により全てを取り上げられ長い軟禁生活が始まる。そして、人々が彼のことを忘れ去った頃、自由の身となるが、酒浸りとなった彼はただひとり地球人とは別の時を生き続けるのだった。


原作はウォルター・デヴィスの小説「地球に落ちて来た男」。脚本のポール・メイヤーズバーグは、主人公の異星人トーマス・ジェローム・ニュートンに「わたしの人生は秘密ではないが、個人的なものなので公表しない」と私生活を一切見せなかった大富豪ハワード・ヒューズのイメージを投影したという。時間に追われることなく悠々と過ごす謎を秘めた大富豪の姿は、本来の姿を隠し老いることの無い異星人の姿として描かれた。1970年代前半にデヴィッド・ボウイがはアルバムやステージでジギー・スターダストという異星人キャラクターを演じており、その姿あってのこの映画への起用だったのだろう。ジギーの造形とこの映画の異星人のイメージが共鳴しあって、その後の「デヴィッド・ボウイ」というキャラクターの確固たる土台になった。


なお、2015年12月にニューヨークで上演された舞台『LAZARUS』は、前述の原作小説にインスピレーションを受け、デヴィッド・ボウイと劇作家エンダ・ウォルシュによって書かれ、イヴォ・ヴァン・ホーヴェが演出・監督した。ニコラス・ローグによって映画化された『地球に落ちてきた男』の主人公トーマス・ジェローム・ニュートンに焦点を当て、小説から40年後の世界を舞台とし、彼に安らかな結末を迎えさせてあげたい、宇宙に返してあげたい、と願う天使と出会う物語である。舞台では遺作となったアルバム『★』に収録されている“Lazarus”の他、 “This Is Not America”や“Life On Mars”、“All the Young Dudes”、“Heroes”といった彼の過去の名曲がフィーチャーされている。




『ジャスト・ア・ジゴロ』
原題:JUST A GIGOLO
1978年
監督:デヴィッド・ヘミングス
出演:デヴィッド・ボウイ、シドニー、ローム、マレーネ・ディートリッヒ、キム・ノヴァク、デヴィッド・ヘミングス、クルト・ユルゲンス


1920年代。主人公のポール(デヴィッド・ボウイ)は、戦場では青年将校であったという誇りを胸に、一匹の豚を手土産に故郷ベルリンへと帰ってくる。荒廃した故郷でつまらないアルバイトで食いつなぐ日々を送っていたポールは、上官だったヘルマン(デヴィッド・ヘミングス)からの政治結社への誘いを断り、今度はバー“エデン”の経営者セマリング少佐(マレーネ・ディートリッヒ)によって見目麗しいジゴロへと姿を変える。その美しさは冒頭の豚を抱えた姿からは想像が付かないだろう。


ところが、政治抗争の激化によって発生した市街戦に巻き込まれたポールは、あろうことか流れ弾に当たって命を落とす。だが、物語はここで終わらない。流れ弾に当たり死亡したのがポールだと知ったヘルマンによって、彼は党員の鏡として英雄にまつりあげられてしまう。冷たかった家族たちも悲嘆に暮れ涙を流し英雄となったポールを見送る。


見た目の美しさだけではなく、内に何かを秘めてはいても面に出さず、運命に翻弄され続ける気弱そうな青年ポールを好演するデヴィッド・ボウイ。前年に発表されたアルバム『英雄夢語り(ヒーローズ)』の一節、“We can be Heroes. Just for one day”の歌詞が呼応する。


撮影では実際に会うことが叶わなかったデヴィッド・ボウイとマレーネ・ディートリッヒ。この作品はマレーネ・ディートリッヒの遺作となった。




『ハンガー』
原題:THE HUNGER
1983年
監督:トニー・スコット
出演:デヴィッド・ボウイ、カトリーヌ・ドヌーヴ、スーザン・サランドン


舞台は1980年代のニューヨークだが、都会の喧騒からはかけ離れた中世の様式美を漂わせた佇まいに、美しいミリアム(カトリーヌ・ドヌーヴ)と、彼女の永遠の恋人となったジャック(デヴィッド・ボウイ)は静かに暮らす。妖しくも美しい二人の吸血鬼は、ゴシック・ポップのバンド“バウハウス”が繰り広げる妖しいステージをみつめながら、犠牲者となる若者を物色する。


ある日、ジャックは突然年を取り始める。独り取り残される寂しさに新しい恋人(スーザン・サランドン)を求めるミリアム。そして姿だけ老いさばらえていくジャックは、遂にミリアムの手で棺へと納められる。


人間離れした美貌を永遠に保つ吸血鬼。そんな役を絶世の美女カトリーヌ・ドヌーヴとともに演じるデヴィッド・ボウイ。その美しさは別格である。特殊メイクによって老いさばらえていく姿すらも美しく感じられるのは、デヴィッド・ボウイだからだろうか。




『戦場のメリークリスマス』
英語題:MERRY CHRISTMAS, MR LAWRENCE
1983年
監督:大島渚
出演:デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、トム・コンティ、ビートたけし


第二次世界大戦の中、ジャワ島の奥の山中にあった日本軍捕虜収容所を舞台に、当時の日本軍人の心意気や生き様をかっこよくも苦々しく描きだす。戦争映画でありながら戦闘シーンは無い。


捕虜収容所で起きた事件を軸に、収容所所長の陸軍大尉ヨノイ(坂本龍一)と粗野な軍曹ハラ(ビートたけし)という対照的な二人と、日本語が少し話せるため連絡役となった英国陸軍中佐ジョン・ロレンス(トム・コンティ)と反抗的な陸軍少佐ジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)との間には、徐々に友情が生まれていく。


原作はサー・ローレンス・ヴァン・デル・ポストの「影の獄にて」「影なき牢格子」「種子と蒔く者」の三部作である。彼は1926年に日本に滞在しており、第二次世界大戦中のジャワ島で日本軍の捕虜となった際、多少の日本語が話せたため日本軍との連絡将校を務めた。


この映画でデヴィッド・ボウイを初めて観た、という方も多いはずだ。砂埃にまみれた軍服や薄暗い屋内や全編に漂う鬱屈した空気といった色彩の薄い画面の中で、青く鋭くそして力強い瞳に、風に揺れ輝く金髪、そして、鮮やかな赤い花をむしゃむしゃと食べる姿は見た人の心に強烈な印象を残す。日本軍将校ヨノイ(坂本龍一)の心に深く刻まれるという役割を担うには、これほどに最適な存在はなかっただろう。大島渚監督が焼酎のコマーシャルに出演していたデヴィッド・ボウイを見て依頼した、というのも頷ける話だ。


撮影中、坂本龍一はこの映画の音楽をデヴィッド・ボウイと共作できないかと考えていたそうだが、ボウイが余りにも演技に専念していたためになかなか言い出せず、結果的にはボウイは俳優としてのみこの映画にかかわることとなった(撮影が終了したら、後にとてつもない世界的ヒットとなる『レッツ・ダンス』のレコーディングに入ることにもなっていた)。あの有名なテーマ曲のヴォーカル入りヴァージョンを録ったのは同じデヴィッドだがシルヴィアンである。


『ラビリンス/魔王の迷宮』
原題:LABYRINTH
1986年
監督:ジム・ヘンソン
出演:デヴィッド・ボウイ、ジェニファー・コネリー、マペット


幼い弟の世話に手を焼いていた美少女サラ(ジェニファー・コネリー)に、奇抜な衣装に身を包んだゴブリンの王ジャレス(デヴィッド・ボウイ)が妖しく迫る。ゴブリン達とかけあいながら、煩わしいことなど何も無いと実に楽しそうに歌って踊るジャレスは、美しく着飾ったほんの少し大人っぽいサラの手を引き夢の世界へと誘っていく。


キラキラと輝く舞踏会のシーンはおとぎ話やファンタジーの世界そのもの。『セサミ・ストリート』等で知られるジム・ヘンソンお得意のマペット(とはいえカエルのカーミットなどよりも遙かに造形の凝った人形たちだ)の動きや表情のひとつひとつ、クリーチャーたちの細かな動きやセットの素晴らしさ、撮影技法の面白さが目を引く。そして、デヴィッド・ボウイならではの怪しさと美しさが、ゴブリンの王という存在を面白くしている。少女の夢の存在である彼は、少女が夢から現実へ目を向けた瞬間にもろくも崩れさる。その悲しみの表情はほんの一瞬。その一瞬にジャレスの思いの全てが表現されている。


ジェニファー・コネリーは、ボウイ逝去に際して「14歳の時に初めて会ったのですが、それまでこんなとんでもないアーティストと会ったことはなかったし、その後もです。彼がいなくなって世界はより灰色になることでしょう」とコメントを出している。




『ニューヨーク恋泥棒』
原題:THE LINGUINI INCIDENT
1992年
監督:リチャード・シェパード
出演:ロザンナ・アークエット、デヴィッド・ボウイ、マーリン・マトリン、エスター・バリント


ニューヨークはマンハッタン。流行の先端を行くようなバー“ダリ”を舞台に繰り広げられるラブ・コメディ。


文字通りダリの絵をモチーフに作られた“ダリ”。子供の頃から天才マジシャンのフーディーニのようなエスケープ・アーティストになることを夢見るウェイトレスのルーシー(ロザンナ・アークエット)に、ハンサムでミステリアスでどこか飄々としたバーテンダーのモンティ(デヴィッド・ボウイ)が、グリーンカード(=永住権)を得るために偽装結婚をもちかけるところから騒動が巻き起こる。


デヴィッド・ボウイ演じるモンティは、見た目の格好良さとは裏腹にちょっとマヌケ。ジュリアン・テンプル監督による短編『Jazzin' for Blue Jean』でデヴィッド・ボウイが見せた間抜けなペンキ屋を彷彿とさせる。


出演者それぞれの個性と物語の展開がとてもよく合っていて、ロザンナ・アークエットの演技もさることながら、過激なファッションで登場する彼女の親友ヴィヴィアン役のエスター・バリントがいい味を出している。デヴィッド・ボウイと結婚する直前のイマンがちょっとだけ意味深な役で出演しているのも一興。




『バスキア』
原題:BASQUIAT
1997年
監督:ジュリアン・シュナーベル
出演:ジェフリー・ライト、マイケル・ウィンコット、デヴィッド・ボウイ、デニス・ホッパー、ゲイリー・オールドマン、クリストファー・ウォーケン、ウィレム・デフォー、コートニー・ラブ


1988年、27歳の若さでこの世を去ったジャン=ミシェル・バスキア。彼の親友であるジュリアン・シュナーベルが監督を務め、彼の生涯をつづる映画である。


ニューヨークに暮らす黒人の青年バスキア(ジェフリー・ライト)は、“セイモ”と名乗るストリートの落書きアーティスト。バスキアの絵を気に入った美術評論家のルネ・リカード(マイケル・ウィンコット)によって売り出され、次々と対策を製作し金と名声を手に入れる。


バスキアはアンディ・ウォーホル(デヴィッド・ボウイ)とも親しくなり、大物画商プルーノ・ビショップベルガー(デニス・ホッパー)が協力を申し出ると、それまでの恩人や友人達よりも大物達を相手にするようになり、友人達は次々に離れていった。アンディ・ウォーホルとだけ親交を深めていたバスキアは、彼の急死によりドラッグの吸引を加速させ、遂にヘロインの過剰摂取でこの世を去るのだった。


アンディ・ウォーホルが実際に着用していたカツラやサングラスやジャケットを着用し、思い入れたっぷりに役を演じるデヴィッド・ボウイと、実際にアンディ・ウォーホルと親交のあったデニス・ホッパーが実に楽しそうに画商役を演じ、二人が連れだってニューヨークの町を歩く姿がとても印象的である。ウォーホルの急死をバスキアに告げるデニス・ホッパーの涙は演技では無かったようにすら思える。




この他にも、PV出身監督ジュリアン・テンプルの『ビギナーズ』(1986)とか、マーティン・スコセッシがキリストの生涯を描いた『最後の誘惑』(1988)とか、デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最後の七日間』(1992)とか、『エブリバディ・ラブズ・サンシャイン』(1998)とか、クリストファー・ノーランの『プレステージ』(2006)とか……出演作品を数えていくと実に40本にも上る(ちなみに彼の音楽が使われた作品について言えば、TVシリーズなども含めるとなんと500作品近く!)。もちろん全てが重要な役というわけではなく、ほんのチョイ役という場合も少なくなかったが、例え一瞬であっても観る者に強烈な印象を残すのがデヴィッド・ボウイという人である(だからこその起用でもあっただろう)。


数々の多彩な役柄以上に彼が演じきったのは、他ならぬ「デヴィッド・ボウイ」というキャラクターそのものだったのかもしれない。音楽や映画のみならず、さまざまな場面で強烈な印象を残す存在だった。ほんの数秒しか登場しないこともあるが、その役割を充分に、いや、おそらくそれ以上の存在感をもって演じていた…


最後のアルバムとなった『★(ブラックスター)』の最後の曲は「I Can't Give Everything Away」というタイトルで、執拗にその歌詞が繰り返される。爽やかな曲調もあいまって、さながら『デヴィッド・ボウイ』という映画のエンド・クレジットに流れる余韻溢れるクロージング・ソングのようである。



(2016年1月16日/田村涼子)
(2020年9月15日一部改訂/ryo.ta)

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昨年、前担当の方に確認をとっておりましたが、なかなか掲載のタイミングがなく今になりました。
お誕生日の日に追悼文もなぁ…と、思っていたのと、情報が次々出てきてまとめるだけで手いっぱいになりました。節目(5年)だったんだ…と後から気づきました。追悼イベント・コンサートだけでなく、記念商品などがまだまだたくさんあるようで、ネットを開くと次々と情報が飛び込んできてぐるぐるしています。

David Bowie はいつまでも、みんなの心の中に生き続けているんですね。


#davidbowie #映画 #追悼

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