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再び鹿嶋へ。
鹿嶋神宮の境界線に近い辺りを巡ります。
「照明院阿弥陀堂」
樹齢およそ500年。葉の先にギンナンが着くという珍しい銀杏です。もう葉も落ちた後でしたので、小さなギンナンがたくさん掃き集められていました。
「白鳥の里」(?)
この辺りは元大洋村。『白鳥が童女に化身して、石を積んで池を作り堤を築こうとするが完成しなかった。白鳥は飛び立ち、二度と戻って来なかった』という白鳥伝説があります。
「白鳥山大光寺照明院」
「潮騒はまなす公園」「文太長者屋敷跡」
江戸時代まで続いた文太長者屋敷は、3回建替えられていたそうです。木の下がこんもりしていて、わずかに痕跡が解ります。
「角折」
『昔、(角のある)大きな蛇がいた。海に出ようと穴を掘ったが、角が折れて落ちてしまった』また『倭武天皇(=ヤマトタケルノミコト)がこの浜に設営し、食事を作ろうとしたが水がなかった。そこで(水を得ようとして)鹿の角で地面を掘ったところ、角が折れてしまった』という伝説が残ります。実際、この一帯は砂利の下に厚く粘土層があり、とても硬いのだそうです。
「霜水寺跡」
真言宗豊山派の寺院。残った礎石に、焦げた跡があります。
潮騒はまなす公園が出来る前からあった弁財天。
弁天池は、粘土層の上を流れる水が地表に湧き出し自然に出来た池です。
全長154mのローラー滑り台の上からは、太平洋が望めます。
「北の一の鳥居(戸隠神社)」
鹿島神宮の北の境界線。ただし、道を挟むように作られている場所ではなく、もう少し北、大きさももっと立派なものだったろうというお話でした。
「飯沼街道」
飯沼街道は水戸城下(茨城県水戸市)から下総国飯沼宿(千葉県銚子市)まで。鹿島神宮・息栖神社・飯沼観音を結ぶ街道でもありました。
「東の一の鳥居(明石の浜)」
鹿島神宮のご祭神「武甕槌大神」、香取神宮のご祭神「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」がここから現れたと伝えられています。
この道の方向に「沼尾神社」があります。
「津の宮」「西の一の鳥居(大船津)」
津の宮=香島神の別宮。大船津は、古代から水上交通の要所でした。奈良時代には防人が西国警備に船出した所でもあるそうです。
「跡宮」
明石の浜から現れた「武甕槌大神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」は沼尾神社へ向かいました。その後、「経津主大神」は香取神宮へ。「武甕槌大神」は跡宮神社→鹿島神宮へと移られたのだそうです。
写真だと祠のように見えますが、大きくてしっかりした造りのお社。亀トにより選ばれた女性祭主「物忌」(ものいみ)についての説明書きもあり、古代には重要な場所だったのだと解ります。
「神野向(かのむかい)遺跡」
郡家(ぐうけ)は郡ごとに置かれた役所。郡衙(ぐんが)とも呼ばれています。郡庁・正倉・厨跡等の遺構。2月20日まで調査。
「鎌足神社」
中臣鎌足誕生の伝説地
「宮中野古墳群」「夫婦塚古墳」
夫婦塚古墳は、全長107.5mの大きな前方後円墳です。
「沼尾神社」
経津主大神を祀る香島地域の古社。
「坂戸神社」
天児屋根命を祀る香島地域の古社。鹿島神宮本宮・沼尾神社と坂戸神社の三社をもって「香島天大神」と総称され、鹿島神宮境内には、沼尾神社・坂戸神社の遥拝所が設けられています。
写真のような案内の矢印や、解説看板が設置されました。
全長15kmと長い事、かなり寂しい場所がある事、コンビニ等がほとんどない事などありますので、無理な計画はせず、出来れば多人数でお出掛け下さい。
詳しくは「鹿嶋 神の道」HPへ。
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