悲しみや苦しみは、自分の成長の材料であるという事である。
人生が軌道に乗っている間は、決して人は自身を振り返らない。
心が軋む、痛む、苦しむ、そういったときに、
「なぜこんな目に遭うんだ」「なぜ自分だけこんなみじめな思いを」
とことん落ち込んだ、そのあと。
そう、その言葉の後に自分を癒す言葉が出てきたとき、
それがまさに、その時、心に浮かぶ想念が、
真に天が私たちに語り掛ける天の声である。
悲しみを経験することで、人の痛みが分かるようになる。
人に痛みを与えないような行動がとれる。
同じような苦しみを持った知人に、優しく癒してあげられる。
かなしみは、決して、否定されるべきものではないのだ。
今の自分に不足している何かが与えられたとは考えられないだろうか。