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晋州城と論介(ノンゲ)の怨念【義岩】

論介(논개)の怨念を今も感じる🌀

川の中に
わずか1畳ほど大きさの「義岩」 

文禄、慶長の役の時の三大激戦地の1つ、1593年7月 2度目の攻防でついに晋州城は陥落する。


晋州(チンジュ)の場所は釜山と光州の間


南江の北


矗石門入ったら矗石楼があり、地下に入るような階段を下りると義岩。


矗石門入った所で記念撮影
この後、表紙写真のような団体が前から迫ってくる。


東の入口、矗石門

南江沿いに晋州城はある。


矗石楼:チョクソンヌ(촉석루)
南江(ナムガン)沿いの岩の絶壁に厳かに高くそびえ立っている矗石楼は、嶺南(ヨンナム=慶尚道)で一番美しい楼閣と名高い建物。












義岩へ行く道



この岩の平らな上面の広さは幅3.65m、長さ3.3mであり、南江の川面に浮かぶように突き出ている。








晋州城矗石楼の岩壁の下にあるこの岩は、壬辰倭乱(文祿の役)以前は危険な岩として危岩と呼ばれた。


その時、妓生(キーセン,役人などを歌舞で接待した官妓)・論介(논개,ノンゲ)が、岩上に立っていました。

毛谷村六助という人物と言われている一将が進みでると、論介がこれに抱き着き、南江に飛び込み共に死にました。




晋州の戦いあと、日本軍は晋州城矗石楼で勝利の宴を開きました。

論介がこの岩から倭将を抱きしめ身を投げ殉国したことで広く知られるようになった。

以降彼女の犠牲精神を賛えるべく、義岩という名で呼ばれた。


論介(ノンゲ)논개の肖像画、
享年19歳



義妓論介の門

晋州(チンジュ)城攻防戦は、文禄の役における2回の攻城戦。

朝鮮半島の晋州城を守る朝鮮軍を日本軍が攻撃、文禄元年10月4日から10日までの第一次晋州城攻防戦では朝鮮軍が守りきり。

文禄2年6月21日から29日までの第二次晋州城攻防戦で日本軍に敗れた。





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コメント一覧

王島将春
はじめまして。福井市在住の王島将春(おうしままさはる)と言います。聖書預言を伝える活動をしています。

間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めて下さい。ヨハネの黙示録6章から19章を読めば分かりますが、携挙に取り残された後の7年間の患難時代は、苦痛と迫害の時代です。患難時代を経験しなくても良いように、携挙が起きる前に救われてください。
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