東洋最古の天文台
瞻星台(チョンソンデ,첨성대)
地盤沈下で毎年1ミリずつ傾く重大な欠陥が発見されていた。
瞻星台は,新羅時代、善徳女王 (西暦632~647年)によって建造築造された。
2009年の調査により、瞻星台が建っている地盤が沈下しており、中心軸の傾きが毎年約1ミリメートルずつ増していることが明らかになった。単純に石材を積み上げた構造であるため、このまま補修を施さなければ将来的な崩落もありうることが指摘されている。
2016年9月に起こった慶州地震は瞻星台に大きなダメージを与えた。傾きは一気に20ミリメートル増加し、224ミリメートルとなったほか、最上段に組まれた井字石をはじめとする石材の隙間も数ミリメートルから数センチメートル広がった。韓国の国立文化財研究所は復元補修を検討しているが、地震発生前の精密な構造記録が作成されていなかったことが問題視された。
建材には花崗岩が使われており、円筒状で上に行くほど窄まっている。高さは9.108メートル、地上部分の直径は4.98メートル、上層部の直径は2.85メートルである。花崗岩は厚さ約30センチに加工されており、27段積み上げられている。
地上部分に入口はなく、中腹部分にあたる13段から15段の部分に四角い窓が一つある。この窓にはしごをかけて内部に出入りしたとされる。
内部は地上部分から花崗岩の12段部分まで土で埋められている。
19段と20段の部分と25段と26段の部分に床がある。
町全体が文化財という感じで,2000年12月にユネスコの世界遺産として登録された
天井はなく、上部は開放されている。
町全体が文化財という感じで,2000年12月にユネスコの世界遺産として登録された
天井はなく、上部は開放されている。
1910年に瞻星台の存在を学界に認知させたのは、朝鮮総督府観測所所長をつとめた和田雄治であった。
気象学者であった和田は、現地に足を運んで、1909年4月に放棄状態となっていた瞻星台を確認、伝承と文献記録の研究とともに、文化財としてその保護に努めた。
釜山から1時間、慶州には歴代の大王やその関係者の古墳が点在、次回は古墳の写真を掲載予定です。🍷🍶🍾