京急杉田駅から杉田坪呑方面に歩いている途中で、こんな電柱を発見した。石川島支線と名付けられたケーブル名が表示されている。
杉田で石川島といえば「石川島播磨重工」、今のIHIが思い出されるが、会社があるのは海側の埋立地である。なぜ、この内陸部に「石川島」の名称があるのか。
それは、ここに同社の寮があったからなのだ。
これは横浜市のホームページに掲載されている昭和30年代の地図。杉田第2踏切から坪呑方面へ行く道の途中に、「石川島機械製造KK内山寮」というのがあったことが分かる。
いつだったか、寮が廃止されて一帯が更地になった。
この写真は2018年に撮影。こうして眺めるとかなり広い敷地だったんだね。
ここが開発されて戸建て住宅を建築する計画が出ていた。
あわせて31戸かな…
と思ったら、78戸もできるのだった。
現在の地図。
ここに石川島(IHI)の関係施設があったことを記憶して残しているのが、冒頭に掲げたNTTのケーブル名なのである。
〔IHIの歴史〕
1853(嘉永6年) 石川島造船所創設
1945(昭和20年) 石川島重工業
1960(昭和35年) 石川島播磨重工業
2007(平成19年) IHIに変更
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