旧杉田劇場の舞台幕。
戦後すぐのころは都心部の劇場や映画館が壊滅しており、ここ旧杉田劇場が娯楽の殿堂として多くの市民を集めていた。しかし、昭和23年頃になると関外方面に劇場が復活し、また映画もあちこちで上映されるようになり、歌舞伎や時代劇ばかりやっていた旧杉田劇場の経営は厳しくなってきた。
そんな折に、劇場を応援するため、地元の有志により舞台幕を新しく寄贈したいという話が出た。そこで、浜中学校の美術の先生に赴任が決まっていた間邊典夫さんが、10日でデザインを描き上げたという。「杉田らしい舞台幕」にという思いから、杉田のシンボル「梅」と杉田の「海」、そして遠浅の「海」にあふれる「ウミネコ」をモチーフに描かれている。
この舞台幕には資金を提供した磯子区内の商店や個人のお名前が載っている。中央で一番目立っているのが、栗木で温室を経営していた志村高明氏だ。
右から4つ目に、「杉田町 天ぷらの店 伊藤政治」というお名前がある。昭和23年当時の地図がないため、店の名前や位置が不明であったが、昭和30年代の明細地図と商店街リストから、これが「政寿司」の前身であることが判明した。
昭和34年の磯子区明細地図。市電の終点「杉田」電停前に「寿し政」という店が載っている。「寿し」と「政」が逆転しているが、今でもここに「政寿司」があるので同じ店だ。しかも、経営者が伊藤政治であることも示している。
昭和33年の商店会名簿。「寿司・うなぎ・天ぷら 市電杉田終点前 政寿司」とある。電話番号は(3)8147で、現在のお店の番号(771)8147と同じだ。
もちろん「政寿司」では天ぷらもやっている。近いうちに昼めしを食べに行ってみよかな、と思っている。
ところで、この地図を眺めていて、「政寿司」のちかくに、旧杉田劇場の経営者・高田菊弥の自宅があることも分かった。高田菊弥と伊藤政治はご近所仲間だったのだ。おそらく高田菊弥は「政寿司」でしばしば一杯やっていたに違いない。
byうめちゃん
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