洋光台って、それほど歴史はないと思っている方も多いと思うが、どんな町にもそれぞれの長い歴史があるんだよね。現在のような団地が立ち並ぶ町が始まったのは51年前のことだ。1970年3月、JR根岸線の磯子駅〜洋光台駅間が延伸開業し、6月からは公団住宅の入居が開始された。昨年がちょうど50周年の年だったのだが、コロナ禍の影響で記念式典が延期されてしまった。残念……。
しかし、そんななかで昨年、洋光台北団地エリアの新たな拠点として、建築アイデアコンペが実施された集会所と、隣接する屋外広場・住棟ファサードのリニューアルが完成した。これから新たな50年に向けて出発するわけだが、磯子区民文化センター杉田劇場では昨年、洋光台に立っている電柱から町の歴史を発掘するミニ散歩を開催した。観察の対象は電柱に取り付けられたケーブル名だ。
最初に訪ねたのは「弁才」。洋光台駅の改札を出て裏側、新杉田方面に行った辺りにそれらは並んでいる。これが字名であることは、昔の地図から確認できるのだが、では、そもそも、その字名の由来は何なのかというと、よく分からない。おそらくこの地名が付けられたエリアのどこかに弁財天があったのだろう。
「矢部野」。これは簡単だ。洋光台という町は昔の矢部野町の全部と田中町、栗木町の一部からつくられた。だから洋光台の前身はほぼ矢部野町といっていい。このケーブルは洋光台駅裏側から田中、栗木方面にかけて広がっているのだ。
これは何だろうか? Aって?
そうしたらBなんてのも出てきた。
C.D,E,Fは発見していないけど、Gというケーブル名があった。
昭和30年代の根岸湾埋立の際には、湾内を区切ってイ地区、ロ地区、ハ地区というように、イロハ順の名称をつけていた。そこから類推すると、当時ほとんど何もない区域をA,B,C……と区分けしていたと考えてもよさそうだ。その区分名がそのままケーブル名として利用されているのかもしれない。
【美味しい地域情報】
人と人をつなぐコミュニティーカフェ「よっしーのお芋屋さん」
洋光台北団地エリアのリニューアルでできた、あたらしい団地・集会所OPEN RING。
そこに併設されているコミュニティーカフェ。
ここは焼き芋をメインにしているが、野菜やパンなどもある。
もちろんスイーツ系もありだ♪
さらに、こんなものも~
ここまで来たら、やっぱり焼き芋でしょ🎵
左が安納芋。右は紅はるか。
ここのは皮まで食べられる。皮と実の間に栄養素があるそうだ。
安納芋はネットリと甘くて美味しい~~
【参考】
よっしーのお芋屋さん公式facebook
よっしーのお芋屋さん公式ツイッター
by うめちゃん
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