前回の続き(章吾様の言葉を聞いて作成)
家族に裏切られ、生きて行く気力を失い、睡眠薬を大量に飲んだ僕。意識を失い、次に目が覚めた場所は、病院のベットの中だった。
なんだ、死ねなかったのか。一時退院した僕は行く場所もなく、本庄市役所に行って、生活保護を受けるしかなかった。
最初の住まいは市で紹介された東松山のアパートだった。そこの経営者との癒着があるのか?とにかく住むのにはかなり酷い場所で、やくざもんの出入りしているアパートだった。隣の声は筒抜け、鍵が掛からないから、たまに間違って人が入って来る。台所以外は全て共同だった。とりあえず、そこに数ヶ月は居る様に言われた。
大量にあった僕の荷物は、勝手にコンテナに預けられ、出すのに18万円もかかった。市役所に借りて、ひと月1万円ずつ、返すのに18ヶ月もかかった。
そして次に知人が見つけて来たアパートに引っ越すのだが、それが今の4階建てのアパートだった。昔作ったアパートなんでエレベーターもなく、4階まで階段を上がる。この年で(70代後半)で4階迄の道のりは正に地獄の階段だ。途中で疲れていつも休憩するか、ひっくり返るか、どちらかだ。
ただ良いのは、本庄駅のすぐ近くと云う事だけ。
そのアパートを見つけた知人がやたらと弁護士を連れて来て僕をけし立てた。僕を追い出した家内を訴えれば、お金が取れるよ。と云うのだ。
家内は貧しい家庭に育ち、ひもじい生活をして来た。だからお金に執着しているんだろう。最初は気がつかなかったが、僕のおばあちゃんが亡くなり、お袋が亡くなり、家内が経済を握ってから、お金に執着する様になり、人が変わってしまった。
いや、最初から金が目当てだったのだろう。家内のいとこに弁護士がいて、最初はよく遊びに来ていたのだが、そのうち来なくなった。家内とは郵便でアレコレやり取りしている様だった。たぶん、その弁護士からアレコレ知恵を授かって、僕から財産を取り上げる計画を練っていたんだろう。
まんまとはめられた。40年もDVやってたなんて、無実無根。勝手なでっち上げでマスコミが騒ぎ出し、テレビのニュースでも取り上げられた。誰が考えたって、40年もDVやってたら、良い役は回って来ないし、40年もDVされて逃げ出さないのもおかしなものだ。僕の性質を良く知る人なら、そう云う事が出来る人かどうか分かるはずだ。
僕が家内を訴えないのは、お金がなくて弁護士が雇えないと云う理由もあるけど、お金の取りっこは嫌だから。お金が欲しいならくれてやる。そんな気持ちだからだ。
だけど裏切られたのは悔しい。僕の血を分けた本当の子供がふたり居るのに、なんで庇ってくれないのだろう。お父さんはそんな人じゃないよ。となんで言ってくれないのだろう。メールをしても返事はなしのつぶてだった。
ひとりで本庄のアパートに居ると、死神が寄って来る様で、また、この世から居なくなりたいと思う様になり、二度目の自殺未遂をする。運良くか?運悪くか?またしても違った知人が発見し助かってしまった。
死ぬ事しか頭になかった。もう一度やろう。そんな時に上里町で料亭『小菊』を営む木村社長に『(埼玉県)寄居町に昼カラオケがあるから行ってみましょう。』と誘われた。最初は、『僕はそんな所には行きませんよ。』と断った。でも『世話になっているから。一緒に』と言うのでしぶしぶ行きました。
そこで歌手の水沢巡美さんと巡り合い、僕の歌を気に入ってくれて帰ってからFacebookで探してくれてお友達になった。僕の為に歌を作ってくれると云う。
実は僕は50年前にアルバムを出しているのだが、その時のディレクターが水沢さんのアルバムを出した時の編曲家で、土持城夫さんだ。水沢さんの口から土持先生の名前が出た時にはビックリした。
僕が新宿、六本木、渋谷のクラブでピアノの弾き語りをしていた時、熱心に通って来たのが土持城夫先生だ。
君の歌はなんか良いんだよな〜歌をやってみないか?とスカウトされた。先生とは良く都内の飲み屋に行って飲んだ。と言っても僕はお酒、アルコールが苦手なんでもっぱら珈琲やらジュースやらを飲んでいた。
なにか運命的なものを感じない訳には居られなかった。共通点が沢山ある。小さい時に虐めにあった事。僕は六本木出身で水沢さんは六本木に作詞の勉強に来ていた。僕のお婆ちゃんは群馬県出身(藪塚町)。水沢さんも群馬県出身(高崎市)。僕は家内に家を追い出され、水沢さんは弟さんと喧嘩をして家を出ている。
最初は、『本庄の歌を書いているのですが、本庄の良い所を教えて下さい。』とメッセージが来た。本庄には悪いがなんにもない。『なんにもないよ。』と正直に答えるしかなかった。ただ、本庄に合併した児玉には千本桜があるよ。と教えた。
(愛犬ポエチとの思い出の場所だ。いつもポエチと散歩をした場所。近くにコンビニがあり、散歩の後にガリガリ君を買っていた。ポエチもガリガリ君が大好きであげないと涙をこぼした。)
すると、たちまち『本庄ロマン』と云う詞が仕上がり、流石シンガーソングライター、作詞家だ。と感心した。そこで『僕の歌も作って下さい。』とお願いしてみた。するとまた、僕の人生を調べて、昔のコマーシャル(アイフル)をもじった『愛降る人生』(作詞作曲・水澤巡美)と云う詞をたちまち作ってしまった。
私にプロデュースさせて下さい。と言って来た。50年前に土持先生からスカウトされた奇跡がまた僕の身に起きた。僕はなんてラッキー(幸せ)なんだろう。
裏切られた家族を見返す為に僕は復活しなくてはならない。このまま人生を終わらせてはならない。今度は水澤先生と残りの人生を過ごしてゆく決心を固めたのだ。
本庄市は冷たいよ。僕が観光大使に選ばれたって、なんの仕事も寄越さないよ。だから嫌いなんだよ。
そこで僕が生まれた所は『六本木』なので、『すきすき六本木』(作詞・水澤巡美・作曲・池田進)と云う歌をレコーディングする事になった。純烈の歌に『六本木が嫌い』と云う歌があり、水沢さんは六本木の脚本家連盟でやっている作詞家養成講座に通っていたから、六本木は大好きだと言う。
9日に池田進先生主催の発表会が北区赤羽 の赤羽会館であり、水沢さんがゲストで唄った。池田先生から水沢さんが音源(ラフ)を受け取り、水沢さんの車の中で聴かせてもらったが、かなりカッコいいノリの良い仕上がりだった。担当した編曲家は池田先生のご友人の隼トシヒデ先生です。
レコーディングは11月1日。日暮里のスタジオで午後1時から。前日に池田進先生がリーダーを務める池田進とグリーンアイズの新曲発売記念ディナーショーが池袋のメトロポリタンであり、『すきすき六本木』を初披露する事になった。まだ、音源が届いたばかりで、これから暗記、歌い込みです。
乗り出した船。頑張ります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます