此処最近は、同じ部署の連中からは蔑まれ、他部署からは坊主憎けりゃ袈裟までとばかりに嫌われている。
或る懇意な同僚から云わせると、
「見た目と雰囲気で受け入れ難い人物が居るが、其れがお前なのかもな。俺は別にお前が嫌いとかは一切無いが」
雰囲気で嫌われても、対処のしようが無い。
此れは努力してもどうにもならぬ事である。
まぁ、そう云うデメリットを持ちながら此の世に出たのなら他の厄事と相殺しながら生きて行くしかない。
呼ばれず、声も掛けられていなかったが、作業の事なので、吾も聞かねばと和に加わろうとしたら、
「〇〇、こっちに来なくていいから其の作業の続きをやってくれ」
そして、
「其の日の作業予定や、今後の事については、其の都度、Oから指示が有るから、其れに従う様に」
と止められてしまった。
此れ迄、こう云う類の話の和には参加していたが、今やすっかり部外者扱いである。
環境の変化と云う奴は、徐々に変化するイメージが有るが一夜にして状況が変わる。
一つの作業が終われば都度報告し、次の作業の指示を仰ぐ。
其の度に面倒臭そうな顔をされる。
一々、段取りをするのが邪魔くさいのだろう。
いや、吾の存在自体が鬱陶しいのであろう。
煙たがられているが、吾はあからさまに他人を攻撃した憶えも無い。
まぁ、ブログで悪態を吐きはするが.....。
此の事以来、同僚等の吾への接し方も変わった。
此方が挨拶をすれば返すが、此れ迄の様に世間話をしなくなった。
何時も話の和にいたが、知らぬ間に和から外れている。
まぁ、其の雰囲気は察していたので、敢えて和に加わる事も無い。
今や、云われた事だけをしていればいい。
此れ迄は気を利かしてプラスαの事もやって来たが、其れも必要無い。
個人の評価は、行った言動では決まらない。
以前にも当ブログで書いたが、素行が多少悪くても、ちゃんと仕事で結果を出せる者が会社にとって必要な人材だと書いた。
其れに付け加えるとすれば、相手の懐に飛び込める者である。
幾ら精神論や正義感を振り翳しても、何等結果も出さず、使えない者は会社にとって不要な人材なんだと云う事をしみじみ思った。
プロセス(経過、経緯)が大事だと云うが、実生活では不要である。
其れに重きを置くのは、自己啓発(精神論や正義感、親切心を含む)と云う怪しげ100%なものか、宗教教団と云うまやかし100%の団体である。
世の中は、残念ながら正直者が馬鹿を見る様に出来ている。
物事は程々にやって丁度良い。
クソ真面目にやる程馬鹿らしい。
真面目なんぞは、何の得(徳)にもならぬ。
つい先日、産経新聞に投稿されたご老人の詩に心打たれたばかりだと云うのに、其の傍からヤケクソな気持ちが湧き上がって来た。
何をどう生きればいいのか齢を重ねる毎に解らなくなって来た.....。
漠然とした不安感が消えたと思ったら、今度は迷いが生じて来た。
煩悩と云う奴は底の知れぬ存在である。