表面上は楽しくおしゃべりできるが、本音ではまるっきり分かり合えない人々なんだよなぁ、うち……。
実家に帰ってからこっち、ぼんやりしてしまってだめだなぁ。
母から喪中だよ、と言い切られたので、喪中欠礼状の印刷中。……ついでに、「あれ、私、お嬢様育ちだったんじゃね?」疑惑を聞いてみたところ、村の中ではそこそこ、いや、そうでもないだろうという微妙具合。でも母(の家)はお嬢様だったかもしれない。実際には学生時代に父(私の祖父)が亡くなって、家族の中では一番真面目というか細かい方だったから(だってお母さん(私の祖母)も妹(私の叔母)も、ぱっぱらぱーだったんだよ!とのこと。ぱっぱらぱー……まあ楽天家なお二人ではある)、家のことはほぼ母の肩にかかっていたらしい。「お母さんもお兄ちゃんも家のこと何もしないから、全部私がやっていたのよ。妹と弟、学校に行かせてさ…弟の学費、私が出したんだから(※母は高卒)」……まあ全部が本当かは分からないんだが(父や私と違って話を盛るタイプではないので、ほぼ本当だとは思うが、記憶違いが全くない訳じゃない人なので)、一族の中で一番の苦労人だったことは間違いない。
母から見て祖父の世代は、村長とか県議会議員がいて、地域の水路整備などをして石像が建った人もいる。母の父(私の祖父、上で亡くなっている人)には乳母がいたし、人力車で通学してたとか、使用人のいる生活だった。……母のエピソードを聞くたび、一族は”そう”であっても、母自身はそういう”いい身分”になかったんだよなぁと思うと、それは時代とのめぐり合わせや、「女だったから」ってことじゃないかと思ってしまって、何か複雑な気分になる。私の実家(父の家)では、昭和の家父長制度が色濃くて、完全にヒエラルキー最下位にされていたし…嫁という名の女中とか下働き扱いに見えたよ。……私自身は女だけど兄弟全員女だったから第一子、長子として祖父>父>私の位置にいたからね……(多分祖母、母より上だった)、うちの実家独自の判断基準かもしれないけど、何だかなぁって。
……結局、うちの実家は私で終了だと思うと、母は何だったんだろうと思わないでもない。まあ本人の口から、そういうマイナスな話を聞いたこと一度もないし、勝手な同情に逆に腹をたてたりするのかしら。……母は、私にどうしろってことはほぼ言わないからなぁ(父はたまに言う)。でも「結婚しないの?」と言われると、母みたいな生活はしたくないんだよなぁというのが一番の理由でもあった……。