子供が生まれた。
鬱と診断されて、
休職した後
カミさんから言われた。
カミさんは不妊治療をしてて
実った形だ。
おめでとう、よく頑張ったと
口では言ったが不安以外何もなかった
お腹の子に影響がないように
出来ること、動けることは動いた
ただ、頭の中に一番に子供はなく
身体を治す。
それしか、考えられなかった。
働けなくなったら
収入が無くなったら
カミさんは働けない身体
障害年金が年金60万程度入ってくるだけ
たがら、
よく、お腹の子供のことで
いっぱいのカミさんと
子供のことは二の次の自分で
よくぶつかった。
お互い、いっぱいいっぱいで
ただ、お互い仕方ないしかなく
食生活も支出もめちゃめちゃ
子供が生まれた日
朝、7時から病院に行き、
夕方、5時に生まれ、
夜、9時に帰った。
未熟児だったので
何かと説明があった。
必死で聴いたが、
疲れてて、後で読み直そうと
思った程。
そして、今、住んでる家の
道路に面してる方に
江戸時代らしいが
古い母屋があるのだが
そこを急遽、壊すことになり
原因は水道管の損傷で
母屋の下を通ってるので、
もう、20年以上誰も
住んでなく、
手入れもここ数年ほっちらかし
手作り補強の部分も
壊れ落ち、剝がれ落ち
瓦も何枚か駆け出した。
だから水道管の仮工事で
すますか、壊して綺麗に治すか。
親父の決断で、壊すことに
なったのだが、今月下旬に壊す
という予定が決まり、まだ
中には埃だらけの昭和の遺物が
たっぷりと。
ほとんどがなんでこんなにある
というくらいの
コップ、陶器、漆器の類
中の物を片付けといてくださいと
業者に言われて、片付けようと
したら、木の戸や敷居など
壊す時に、余り影響無いのに
親父が燃やすと言い出し、
木のものも、ガラス、プラ
一気に野焼きすると言い出し。
野焼きは禁止のはずと言っても
他の人も、燃やしているから
昔から燃やしているから。
十年離れた田舎の無法行為に
なんかどっと疲れ、
俺、一人で分別、捨てに行くから
触るなとキツく説得。
余分な仕事。
外した木戸を処理せんと
他のものが片付けない。
軽トラで、めーいっぱい入れても
まだ、残りがあり、
ゆーとるうちに、カミさんが出産
フラフラの翌日、ゆっくりするつもりが
親父がゴソゴソ。
ボケてるわけではない。
言うことを聞かない。
親父をまだ説得。
すぐに残りの木戸やタンスを
ギリギリに御園に持って行き、
残りの分別が何がなんやら
わからんものを、
うちの裏の車庫で使ってる小屋
急いで、ぶち込み、
家の周りを軽トラで
二往復荷台目一杯つめこんで
軽トラの荷台に荷物残したまま
さっさと着替えて、子供の面会。
四日市の市立病院は土日祝日は
保育器のところの部屋に
入るのに予約を入れないと
入れないので
片付け終わったのが
12時40分
とりあえず3時に予約を
とり。急いで病院へ
とりあえず、どっかで
昼飯と休憩を入れないと
倒れるし、事故ると思い、
2時ちょいすぎに
シグマについたのには
ほっとした。
ただ、ソファに座った瞬間
バッグも携帯も車に置いてきたことに
気付いたが、もういい疲れた。
ふつうにランチを注文し
ソファでグデグデ
雑誌を読む気力もなく
ただ、飯がなんか嬉しかった。
少し休めたと思った。
その後、子供と面会。
正直、父親になった感覚がない
忙しすぎて、頭がそっちにいかないのか
よくわからない
管だらけの小さな生き物が
元気に動いてる。
元々小さなものに可愛いと思う感覚が
人よりも無く。
可愛いよりも可哀想と思う。
可愛いことをアピールしないと
生きて行けない。可愛いだけ
可哀想に思える。
この子は俺の子として
生まれて良かったのか
いまだ、不安しかない。
ただ、行政手続が大変そう。
しばらく、何の為に休んで
治療してるのか、
わからない日々が
続くと思う。
鬱と診断されて、
休職した後
カミさんから言われた。
カミさんは不妊治療をしてて
実った形だ。
おめでとう、よく頑張ったと
口では言ったが不安以外何もなかった
お腹の子に影響がないように
出来ること、動けることは動いた
ただ、頭の中に一番に子供はなく
身体を治す。
それしか、考えられなかった。
働けなくなったら
収入が無くなったら
カミさんは働けない身体
障害年金が年金60万程度入ってくるだけ
たがら、
よく、お腹の子供のことで
いっぱいのカミさんと
子供のことは二の次の自分で
よくぶつかった。
お互い、いっぱいいっぱいで
ただ、お互い仕方ないしかなく
食生活も支出もめちゃめちゃ
子供が生まれた日
朝、7時から病院に行き、
夕方、5時に生まれ、
夜、9時に帰った。
未熟児だったので
何かと説明があった。
必死で聴いたが、
疲れてて、後で読み直そうと
思った程。
そして、今、住んでる家の
道路に面してる方に
江戸時代らしいが
古い母屋があるのだが
そこを急遽、壊すことになり
原因は水道管の損傷で
母屋の下を通ってるので、
もう、20年以上誰も
住んでなく、
手入れもここ数年ほっちらかし
手作り補強の部分も
壊れ落ち、剝がれ落ち
瓦も何枚か駆け出した。
だから水道管の仮工事で
すますか、壊して綺麗に治すか。
親父の決断で、壊すことに
なったのだが、今月下旬に壊す
という予定が決まり、まだ
中には埃だらけの昭和の遺物が
たっぷりと。
ほとんどがなんでこんなにある
というくらいの
コップ、陶器、漆器の類
中の物を片付けといてくださいと
業者に言われて、片付けようと
したら、木の戸や敷居など
壊す時に、余り影響無いのに
親父が燃やすと言い出し、
木のものも、ガラス、プラ
一気に野焼きすると言い出し。
野焼きは禁止のはずと言っても
他の人も、燃やしているから
昔から燃やしているから。
十年離れた田舎の無法行為に
なんかどっと疲れ、
俺、一人で分別、捨てに行くから
触るなとキツく説得。
余分な仕事。
外した木戸を処理せんと
他のものが片付けない。
軽トラで、めーいっぱい入れても
まだ、残りがあり、
ゆーとるうちに、カミさんが出産
フラフラの翌日、ゆっくりするつもりが
親父がゴソゴソ。
ボケてるわけではない。
言うことを聞かない。
親父をまだ説得。
すぐに残りの木戸やタンスを
ギリギリに御園に持って行き、
残りの分別が何がなんやら
わからんものを、
うちの裏の車庫で使ってる小屋
急いで、ぶち込み、
家の周りを軽トラで
二往復荷台目一杯つめこんで
軽トラの荷台に荷物残したまま
さっさと着替えて、子供の面会。
四日市の市立病院は土日祝日は
保育器のところの部屋に
入るのに予約を入れないと
入れないので
片付け終わったのが
12時40分
とりあえず3時に予約を
とり。急いで病院へ
とりあえず、どっかで
昼飯と休憩を入れないと
倒れるし、事故ると思い、
2時ちょいすぎに
シグマについたのには
ほっとした。
ただ、ソファに座った瞬間
バッグも携帯も車に置いてきたことに
気付いたが、もういい疲れた。
ふつうにランチを注文し
ソファでグデグデ
雑誌を読む気力もなく
ただ、飯がなんか嬉しかった。
少し休めたと思った。
その後、子供と面会。
正直、父親になった感覚がない
忙しすぎて、頭がそっちにいかないのか
よくわからない
管だらけの小さな生き物が
元気に動いてる。
元々小さなものに可愛いと思う感覚が
人よりも無く。
可愛いよりも可哀想と思う。
可愛いことをアピールしないと
生きて行けない。可愛いだけ
可哀想に思える。
この子は俺の子として
生まれて良かったのか
いまだ、不安しかない。
ただ、行政手続が大変そう。
しばらく、何の為に休んで
治療してるのか、
わからない日々が
続くと思う。