いえ、普段ならこういうことはなるべく書かないようにと努めて意識しているのですが…なんかあまりに自分の目に付くところで露骨に起きたものですから…。
まずは予め申し上げておきますと、以下の文面は極めて自分判断的な書き方をしております。内容は必ずしも真実であるとは限らないのでそれをご了承の上で軽~く聞き流していただけると有難いかと思います。
要は、渋谷あたりの頭の悪そうな若者が口にする「今世間で流行っている○○、あれ最初に始めたのオレ」的な思い上がった内容ですので…。
某所の漫画サイトには私の(ミゼットシリーズ以外の)作品も寄稿させていただいているのですが、同じくそこで作品を寄せている数名の(しかもお互いに面識の無い)作家さんがここ数日同時多発的に自作の「スピンオフ」作品を銘打った紹介文を載せていたのを見て、何だか複雑な心境に…。
『スピンオフ』なる単語はずいぶん昔から存在します。私が記憶している限りでも『トレッキー』と称するスタートレックフリークの間では古くから用いられてきた用語ですが、まだその頃は一部の人間の間でのみ通ずる専門用語的なものであったと思います。
それが割合世間で通じるようになったきっかけは、かの『踊る大捜査線』シリーズの影響であったのではないかと(個人的には)考えているのですが、もしそうだとしたら、その「スピンオフ」なる言葉を最初に㈱ロボット社内で発したのは私である可能性が高いと考えるのです。
話は社内で某劇場作品『ス○ー▲ト■ベ◎ー◇』公開直後のこと、そのグッズ制作のお手伝いとして仲間数名と社内に出入りしていた私はその際派生企画のアイデアも提出させていただいたことがあったのですが、その際に「スピンオフ」という単語を企画キーワードとして押したことがありました。
もちろん「スピンオフ」という言葉自体既にあったものですし、自分が知っていることを他者は知らないだろうと思い込むのは頭の悪い慢心以外の何ものでもないのですが、それから数年先、『踊る~』シリーズで「スピンオフ」が用いられ、その後各社の制作する邦画でも後を追うように用いられるようになっていった挙句、先日のそれに至る原因の中核(少なくともその周辺)にいた者としては…苦笑いするしかないわけです。
でもね、「自分が元祖」的な発言をしてもそれで別に何が偉いって訳じゃあないんだな、これが。
これは今回の件だけにとどまらず全てに通じることだけど、大切なのはその用語やアイデア、仕様の本質をちゃんと理解し作品として制作することができる…あるいはそういう意識を心がけ続けることであって、例えばその「権利」を持っていたとしてもその本質を見失った人間が舵取りしている(また消費側も含めた周囲が舵取りを放任しちゃってる)作品は遅かれ早かれ自滅していくことになりかねない。
「有形ブロックに根ざしたアクションフィギュア」として、そういう作品にはならないように気をつけたいものです。何をかいわんや。
まずは予め申し上げておきますと、以下の文面は極めて自分判断的な書き方をしております。内容は必ずしも真実であるとは限らないのでそれをご了承の上で軽~く聞き流していただけると有難いかと思います。
要は、渋谷あたりの頭の悪そうな若者が口にする「今世間で流行っている○○、あれ最初に始めたのオレ」的な思い上がった内容ですので…。
某所の漫画サイトには私の(ミゼットシリーズ以外の)作品も寄稿させていただいているのですが、同じくそこで作品を寄せている数名の(しかもお互いに面識の無い)作家さんがここ数日同時多発的に自作の「スピンオフ」作品を銘打った紹介文を載せていたのを見て、何だか複雑な心境に…。
『スピンオフ』なる単語はずいぶん昔から存在します。私が記憶している限りでも『トレッキー』と称するスタートレックフリークの間では古くから用いられてきた用語ですが、まだその頃は一部の人間の間でのみ通ずる専門用語的なものであったと思います。
それが割合世間で通じるようになったきっかけは、かの『踊る大捜査線』シリーズの影響であったのではないかと(個人的には)考えているのですが、もしそうだとしたら、その「スピンオフ」なる言葉を最初に㈱ロボット社内で発したのは私である可能性が高いと考えるのです。
話は社内で某劇場作品『ス○ー▲ト■ベ◎ー◇』公開直後のこと、そのグッズ制作のお手伝いとして仲間数名と社内に出入りしていた私はその際派生企画のアイデアも提出させていただいたことがあったのですが、その際に「スピンオフ」という単語を企画キーワードとして押したことがありました。
もちろん「スピンオフ」という言葉自体既にあったものですし、自分が知っていることを他者は知らないだろうと思い込むのは頭の悪い慢心以外の何ものでもないのですが、それから数年先、『踊る~』シリーズで「スピンオフ」が用いられ、その後各社の制作する邦画でも後を追うように用いられるようになっていった挙句、先日のそれに至る原因の中核(少なくともその周辺)にいた者としては…苦笑いするしかないわけです。
でもね、「自分が元祖」的な発言をしてもそれで別に何が偉いって訳じゃあないんだな、これが。
これは今回の件だけにとどまらず全てに通じることだけど、大切なのはその用語やアイデア、仕様の本質をちゃんと理解し作品として制作することができる…あるいはそういう意識を心がけ続けることであって、例えばその「権利」を持っていたとしてもその本質を見失った人間が舵取りしている(また消費側も含めた周囲が舵取りを放任しちゃってる)作品は遅かれ早かれ自滅していくことになりかねない。
「有形ブロックに根ざしたアクションフィギュア」として、そういう作品にはならないように気をつけたいものです。何をかいわんや。