豆日記

小豆原一朗の日記

ライブスケジュール&あの時の僕ら

2022年10月29日 | 豆日記

レコーディングが終わった。
エンジニアは前作同様、カワバタさん。
前作よりも方向性がハッキリしていたのもあり、想定していたよりも早めに終えることが出来た。
(前回難航したので、ビビりすぎてに)

まだラフミックスの状態だけど、ハイクオリティー。
演奏や曲もバンドのグルーヴも過去最高に良いと思う。
ああ、完成が楽しみだ!!

素晴らしいクオリティーに感謝。
そして音源制作ってクオリティー求めるととてもお金かかるのよね。
お金も回収しないと…

そんな期待と不安にまみれた以下、ライブスケジュールです。

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●11/7(月)新宿Marble
「このはしわたるべからず vol.15」
ハシグチカナデリヤ
クオーツ星
イロマキトリドリ
YUEY
開場18:30/開演19:00
前売¥2600(D別)/当日¥2900(D別)
予約はこちら
配信¥1000
アーカイブ2週間(〜11/21 23:59)

●11月9日(水)江古田ロックンロール以外は全部嘘
小豆原一朗(クオーツ星)
saya.
ひらこーじん
古川ケイタ(クラクションズ)
開場18:30/開演19:00
前売り2000円
ご予約はこちら
toumeinotuki@yahoo.co.jp

●11/15(火)代々木Labo
~ labo 18th Anniversary!! ~
マロンブランド
クオーツ星
ヘルメッツ
安藤匠
もりきこ
東風あんな
529411
開場17:30/開演18:00
前売2500円/当日3000円(ドリンク代別途600円)
ご予約はこちら
toumeinotuki@yahoo.co.jp

●11/21(月)江古田ロックンロール以外は全部嘘
小豆原一朗ワンマン
「いくつになってもハッピーバースデー」
小豆原一朗(クオーツ星)
(O.A)なおのがヤバイ
開場19:00/開演19:30
前売3,000円(+1D)
ご予約→toumeinotuki@yahoo.co.jp

●11/22(火)池袋Adm
クオーツ星レコ発企画
「おい!音楽!」
クオーツ星
サナダヒデト
the MADRAS - acoustic set -w/カメダタク(key:オワリカラ/YOMOYA)
開場18:30/開演19:00
前売3000円(+1D)
eプラスご購入はこちら
ご予約→toumeinotuki@yahoo.co.jp

●11/23(水・祝)京都Livehouse nano『LOW-FI DAYS』
ネコグルマ
クオーツ星
雨市
Fancrab
開場18:00/開演18:30
前売¥2000/当日¥2500(+1drink¥500)
ご予約→toumeinotuki@yahoo.co.jp

●11/24(木)名古屋鶴舞K.Dハポン
クオーツ星レコ発企画名古屋編
「おい!音楽!」
クオーツ星
WiLLY-NiLLY
(O.A)ししど
開場18:30/開演19:00
前売3000円+1Drink/当日3500円+1Drink
ご予約→toumeinotuki@yahoo.co.jp

●11/25(金)山梨甲府naked
クオーツ星レコ発ツアー「おい!音楽〜甲府編~」
クオーツ星
テツヤムクン
云わぬが花たろう
アクタモクタ
開場18:00/開演19:00
¥2000+ドリンク別
ご予約不要

●11月30日(水)大久保ひかりのうま「僕の好きな場所」
小豆原一朗
佐々木泰雅
村上リョーケン
佐古勇気
奥山漂流歌劇団(ひとり編成)
開場18:30/開演19:00
2000円+オーダー
ご予約はこちら
toumeinotuki@yahoo.co.jp

●12月18日(日)高円寺ウーハ
しずくだうみ
小豆原一朗(クオーツ星)
OA:sommeil sommeil
開場19:00/開演19:30
TICKET:3,000円(+ワンオーダー)
チケット受付は10/14 20:00〜
https://tiget.net/events/208195

●1/9(月・祝)新宿Marble
ハシグチカナデリヤ
ザ・マスミサイル
クオーツ星
開場18:30/開演19:00
¥3000(D別)
ご予約はこちら

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カワバタさんのところで録音する度に出る話題。

「昔、まめ君エレキ弾いてたよなあ。あの音源あるけど、みんな聞く?」

これをバンドメンバーに言うのだが、絶対に聞かせたくないと阻止している。
もう15年くらい前の話だし、どうでもいいと思われるけど、今でも穴があったら入りたいくらいに消えたくなる。
バンドから抜けてから音源は聴いてない。

「まあ、俺の紹介ってことで、そこなら友達価格でクオリティー高く録れるよ」
当時、カワバタさんのスタジオを教えてくれたのはタダセンパイだった。

今はなき浅草KURAWOODで対バンしてから、個人的にライブを見に行ったりしていた。
曲が好きとか、ライブが楽しいとか、色々要素はあったけど、僕らみたいな若手にも気さくに話しかけてくれて、とにかく面白い人だった。

僕らは大学のサークルで結成したバンドだった。
コピーバンドだった。主にやってたのはブルーハーツ。
みんな同級生で、僕はギター初心者、同じくベース初心者のイッコーさん、唯一バンド経験のあるタカマサがドラム、楽器が全くできないというタクローがボーカルだった。
タクローのボーカルはお世辞にも上手いとは言えず、ステージングも照れ混じりのナヨナヨした動きでカッコ悪かった。

友達の紹介で知り合った。人見知り&自意識過剰の僕は気まずい思いをしていた。

「ねえ、ぼーっとしようよ」

初めて交わした会話がこれで、こいつとは落ち着いて話せた。不思議なやつだな〜と思った。

妙に親近感の沸くやつで、楽器も弾けないのに軽音サークルの部長になっていた。
柿生という駅に一人暮らししてて、友達でよく遊んだりしてた。
BUMP OF CHICKENや当時流行ってた青春パンクくらいしか音楽を知らなかったので色んなCDを貸して教えてあげた。
好きなものは少年ジャンプと深夜アニメとゲーム。大好物はマクドナルド、趣味沢山寝ること。親から仕送りでバイトもせず。
「お前、クソみたいな生活だな。」
僕の毒舌にも笑って良いリアクションしてくれた。

身内ノリの学園祭でコピーバンドしかしてなかったのだが、
僕がこっそり作ってた歌詞のないオリジナル曲をメンバーに聞かせて、タクローに歌詞をつけてもらったことから、大学4年生になってからオリジナルバンドとなった。

僕が当たり前のように就職活動していたら、

「まめさん、バンドやろうよ!曲良いんだからやるしかないよ!なんとかなるって!」

自分はちゃっかり教職とってるくせして、俺の就職活動を辞めさせた。
俺も音楽やりたい気持ちが強くなって結局、大学卒業してバンドの道を選んだ。

町田の方にある大学のスタジオを使わせてもらって、往復4時間かけて通った。
大江戸線と小田急線に揺られながら毎回アルバム4枚以上は聴いてた。
ロック雑誌や当時の流行り、名盤と言われたクラシック。
今思えば、それが一番音楽の勉強だったのかもしれない。

ほぼ素人の僕らは右も左もわからず、手探りでオリジナル曲を作り。
僕が曲作り、MTRで簡単な打ち込みを作り、メンバーに渡し、タクローが歌詞をつける。
抽象的な言葉やとってつけたような言葉の並ぶタクローの歌詞には何一つ共感できなかったが、歌詞なんて正直なんでもいいと思ってた。

「メロディーがよければ、絶対に評価してくれる!」そう信じてた。でも、タクローが歌うとなんか違った。
その頃の僕のデモ曲は今と同じように変な転調や強引なコードチェンジを繰り返してて、メロに乗る言葉は「ららら」しかない。
間違いなく、僕以外が歌うには難しい曲ばかりだったと思う。
簡単なコード確認やなんちゃって英語でメロのニュアンス出したり、もっと伝わりやすいやり方あったと思うが、そういうのに気づけないほどド素人だった。

高いノルマを払ってなんとかライブハウスに出さしてもらってた。
初めの頃は来てた軽音のみんなも来なくなり、動員は1人か2人でライブ出るだけで1人当たり1万円くらい払ってた。
対バンも同じようなレベルのバンドでお客さんなんてほとんどいるわけなく、SNSもない時代で、ライブ後アンケート配って新規開拓を狙ったけど、稀な人が2回くらい来てすぐ来なくなった。
とんでもない道を選んでしまったんだなと思った。

半年くらいでイッコーさんが辞めた。
元々ビジュアル系が好きで友達ってことで付き合ってくれてたけど、好きな音楽も全然違うし、将来を考えたらマイナス面しかなかったと思うので、誰も止めなかった。

そのすぐ後にネットのメンバー募集から「せきどん」(タクローが命名)が加入した。

僕らの2つ年下で、一人暮らししてる大学生だった。
明るくてコミュニケーション能力も高く、僕らとも対バンとも打ち解けるのがうまかった。

僕らの初めての企画。新宿マーブルだった。
とにかく知り合い、家族をかき集めて100人以上動員した。
いつもお金払って出てたライブハウスからお金をもらった。
「これくらい使っても大丈夫でしょ」って後日、4人でステーキを食べに行った。
これが唯一の成功らしい成功だった。

次のライブからまた2,3人のお客さんしか来なかった。またノルマ地獄だった。
ライブ後の精算の度に、「楽器隊も曲も良いけど、ボーカルがもっとよくなればなあ」と言われることが多くなってきた。
メンバーの中でも「タクローさえ成長してくれれば」という思いが強くなった。
今思えば、全てのうまく行かないことを誰かのせいにしたかったのかもしれない。

タクローが弱音を吐いたことは一度もなかったが、いつまでもステージで緊張していた。
ダメな自分をよく見せようとして無理してる感じだった。
ボーカル教室にも通ったりしていたが、成果はあまり出ていなかった。
僕に出来ることは曲作ることくらい、と思い、沢山曲だけは作った。が、タクローの歌詞が上がってくるのは遅かった。
「そのうちなんとかなるっしょ」という今までは笑えたタクローの発言もイラッとくることが多くなった。
ここら辺から、せきどんの様子が変わってきた。

「タクローさん、歌が下手なのは分かりきってるんですけど、もっと心打つようなMCできないんですか?ライブに対して本気じゃないんじゃないんですか?」
「まめさんは良い曲作って終わりなんですよ、バンドのアンサンブルとか考えてないんですよ」
「◯◯さん、企画呼んでください!そこで30人呼べなかったら全員で逆モヒカンになりますんで!」

間違いなく、メンバーの中でせきどんが一番本気だった。
ゆるい軽音活動の延長線上のような僕らは相変わらずゆるかったんだと実感した。
しかし、無理矢理カリスマ性なんて出てこないし、タクローのゆるくて親近感あるキャラとは全く別ベクトルを求めているようにも感じた。

ある日のスタジオ終わりで、せきどんがタクローの胸ぐらを掴んだ。
「お前、なんでそんな成長しないんだよ!前に言ったことひとつも出来てねえじゃん!!」
いつもは敬語だったせきどんが怒りを露わにした。
力いっぱい自分のベースを地面に叩きつけて、ベースのヘッドを真っ二つに折って帰っていった。

僕とタカマサはかける言葉も見つからず、
タクローは町田の広場で無言でぼーっとしていた。

しばらくしてタカマサから「彼女と結婚したい」という理由で脱退を告げられた。
タクローの柿生のアパートで4人で話し合った。
僕とタクローがいくら止めてもタカマサの意思は強かった。
大学から続いてた人生で初めて出来た彼女との結婚。
いつもとぼけてるようなタカマサから初めて涙を見た。
ずっと無言だった、せきどんが「もう、やめましょう」と僕らを制して決着がついた。

元軽音の同級生でフリーターしていたS君がドラムサポートになってくれた。
タクローととても仲が良く、僕やせきどんには心を開いてくれない印象だったが、
彼のドラムはめちゃくちゃうまかった。

カワバタさんとのレコーディングはそのくらいの時期だった。
この頃になるとメンバー同士の会話はほぼなかった。
横浜の駅からスタジオに行く道中も無言だった。

「タダセンパイの紹介バンドにしては、珍しく大人しい!」
初めましてのカワバタさんは気さくで優しい人だった。
今まで友達に録音してもらっていたが、もっと音源のクオリティーをあげるべきだという話をした。

衝撃的だったのが、せきどんが別人かっていうくらいに楽しく会話していた。
バンド加入した時みたいだった。
戸惑ったが、僕とタクローもそれに合わせて笑いながら会話した。

1日で2曲とった。
カワバタさんの手際はテキパキと無駄がなく、あっという間に今までとは比べ物にならないハイクオリティーな音源が出来た。

ドラムを撮り終えたS君は先に帰って、
完成品をカワバタさんとメンバーで聞いた。

カワバタさん「これからどんなバンドになりたい?」と聞かれた。

「ブランキーみたいな荒々しいロックバンドになるか、米米クラブみたいなポップを極めたバンドになるか」

俺「ブランキーですね」

せきどん「タクローさんはどう転んでも絶対ベンジーじゃないと思うんで、米粒みたいな米米クラブですかねえ」

タクロー「俺はどっちでもいいよー」

せきどん「他人事だなっ」

みんなで笑い合って、結局ブランキーとも米米クラブとも思えない音源が完成した。

帰り道は、また別人のようにせきどんは無言だった。
夜中の河原沿い、徒歩10分。長い時間だった。
「こんな腹の底のわからない奴とは一緒にいたくない」と思った。

駅の近くになってせきどんが口を開いた。

「この音源出来てレコ発したら、俺抜けますね。もうこのバンドでは将来見えないんで」

俺とタクローは何も言わなかった。
これ以上彼と一緒に何かをやりたいと思えなかった。

SNSもないし、あるようなないようなホームページでもレコ発でもメンバー脱退のお知らせはしなかった。

脱退後、せきどんとは連絡をとってない。
mixiでチラッと見たが、本来好きだったパンクバンドに入ったみたいだった。
噂ではめちゃくちゃ若い彼女作って幸せそう、と聞いたが、本当かはしらない。

タクローと二人で活動した。
二人のデュオってことで僕はエレキからアコギになった。曲も全部一から作り直した。
ライブハウスだけでなく、路上ライブをしたりした。お客さんは増えなかった。むしろ、以前より減った。
4人組だったバンドが2人のアコースティックデュオ。傍から見たらわかりやすく、衰退してるように見えてたと思う。

ただ、曲つくりに関してはエレキよりもアコギの方がしっくりきた。
歌詞は相変わらず共感しにくいけど、曲だけは自信があった。

タダセンパイは池袋Admの副店長になり、僕らはAdmに出ることになった。
Admには売れてないけど、魅力的なバンドやシンガーが沢山いた。
自分が出演してない日にもAdmに通った。普段CDで聞いてた音楽と地続きで見たいバンドが沢山いた。
彼らは自分鳴らしたい音を鳴らしてると感じた。

友達と楽しく音楽やれれば、ある程度音楽欲を満たせれば…
そう思って続けてきたけど、大学卒業して3年経ったが、何も掴めなかった。みんな離れてった。
世間は不景気で自殺者増加、ブラック企業も話題となり、就職氷河期、彼女と別れた…色んな言い訳が浮かんで音楽以外の道を歩むのも怖かった。

今までやったことないことをやろう。

自分で歌詞を書いて、自分で歌ってみよう。

友達のイベントの誘いもあってステージで歌ってみた。
25歳、自称シンガー。

いざ、書いてみたら溢れるように言葉が出てきた。
当時ラップもよく聞いてた影響で楽曲に詰め込んだ歌詞はどんどん早口になっていった。

「変な、こと言っていい?」

当時Admでブッキングマネージャーとして働いてたタクミさんがライブ後話してくれた。
ブルボンズ、客として通ってたバンドのフロントマン。

「バンドより良い」

これだと思った。

多分、本当にやりたいこと

「これから一人でやる」

数ヶ月後、僕はタクローに脱退を告げた。

僕は沢山曲を作り、1年後、自分が歌うバンドを組んだ。

それから数年後、


タクローが突然ライブに来た。サポートドラムしてくれたS君と。
パンパンの塔で竹原ピストルさんと対バンした日だった。
そういえば野狐禅、教えてあげたの俺だったなあ。
ライブ後、話たら、すごく照れ臭く「今バンドやっててギターボーカルやってる」と言ってた。
S君曰く、「背中向けてギターソロ弾いてた」らしい。
「また見にいく!」と明るく告げて帰っていった。

バンド名も教えてくれなくて、相変わらず変なやつだった。

それ以来会ってない。

バンドで企画やる時、曲作り、ライブ前、レコーディング中、ツアー中、嫌な対バン、忙しいスケジュール、バイトの面倒くさいクレーマー、将来の不安、誰にも言いたくない恥ずかしい過去のこと…

あいつのあの言葉を思い出してリラックスしてる。
あいつが唯一僕に教えてくれた良いことかも。

僕はよくボーッとしてる

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