春休みの練習は本日雨の為、残念ながらお休みでした。お休みでもやれる事あるんじゃないかな
、たとえだストレッチやスクワットなどなどいろいろ出来ると思います。 今日は春休み練習で手伝ってくれる、うちのでかい次男Y介の事を書いてみます。 彼と二つ上の兄貴はともに0才から水泳を始め、週2回の習い事としてましたが、兄貴が小1で選手コースに推薦され、次男が追いつけ追い越せで兄貴の背中を追うようにガンバっていました。その成果か幼稚園年長終わりのころに次男もめでたく選手コースに推薦され兄貴といっしょにほぼ毎日水泳をやっていました。 ただ水泳の選手コースの練習と言えば意外とチョーハードで低学年でも毎日3000~3500㍍位泳ぎそれも半分ぐらいはトップスピードで泳ぎ1日約2時間位練習し春・夏・冬の休み期間中は普段の練習に加え朝練も入り大人もついてけない程の練習をしていました、ただ、月に2回ほどの公式試合では泳げば泳ぐほどタイムが上がり、それが嬉しくてめげずにやっていたと思います。 小3からは2学年上のクラスに特進して(兄貴と同じクラス)からの練習は彼にとっては、今までの人生の中では一番辛かったんではなっかと思います、兄共々身体が3~4学年位の体だったのでクラブ側も期待をしてくれ、兄も小5から2年連続全国大会に出場し、その弟として更に期待されやっていたと思います、ただ、実際同学年の時期の兄貴よりY介の方がタイムは速かったですが、(ちょうどレーザーレーサー等の新素材効果の為各大会の出場標準記録などが異常に速くなり、全国の水連に相当の抗議がありました、) ただ、彼がタイムと真正面から孤独に耐えながら戦って、兄貴と同じく小5で全国大会に目指し日々練習(毎日5000~6500㍍)していたんですが、最終的にフリーではコンマ0.07秒バックでは0.11秒と足らず出場ならず、一緒に泣いた事を良く覚えています。ただ、小4の終わりから縁あってジュピターズに入団し野球を始めたんですが、ほぼルール―からすべてと言って何も知らなかったと思います、彼にとっては野球の練習は水泳の練習と違い孤独さを感じなかったじゃないかな、水泳と野球の2足のわらじで9か月やってましたが、彼にとっては最大の決断をしたのが、前文にての全国大会に出れなかった事で、野球に気持ちが行き、とうとう野球一本に決断したんだと思います、ただ子供ですから決心と言っても大人とは違い、それを一本にしてくれたのが、そうM監督だったです。 そして、いつの間にか上手くなり試合にも出れるようになり、どんどん野球にのめり込み、監督が大好きになり(いまだに親より監督の言う事を聞きます、Y介よ俺も監督が大好きダ
)仲間が好きになり、水泳で成し遂げなかった全国大会であるくりくり大会に出れ、本当に本人も野球を選んで良かったと思ってます。これからも中学に行っても、野球をやりますが、一所懸命にやると思いますが、何かあったら、俺は監督とスタッフ達とあなた達のふるさとジュピターズにいますから。
卒団生・シニア・リトル・ジュニアのみんなガンバレ