最近、私は手相を見ています。
女性は特に愛情・恋愛・結婚に関心が強いですね。
男性は仕事・金運関係をみます。
子供の数は、女性にしか出ませんね。男は何しているかわかりませんから。自分の手相をみてもわかりませんが、妻の手を見たら二人で、その通りでした。
3人ぐらいまではわかるのですが4・5人になると読めていない。
結婚線については、先日若い女子二人、対照的でした。一人はいい結婚線があって、もうひとりは長くない、むしろ結婚はしそうもない。
結婚線をみると、その女子の運命線と合わせてみます。自分のやりたいこと、結婚よりもそういう生きがいを何か持っているのか、そういうことと合わせてみます。
いい結婚というのは、お互いにつくり合って行くもんですから、その人の性格にもよります。感情線に性格が現れるし、頭脳線も関係してきます。
夫婦というのは、中には玉の腰というのもある様ですが、お互いの相性ですね。
その点、わたしの場合は、結婚前の占いのすべてが凶でした。すごいことですよね。いろいろ見ても良くない。
確かに自分の結婚線を最近見たら、確かに離婚する可能性のある相をしているようにも見えるんですね。
それでも43年も連れ添っているんですから変ですよね。
でも太陽線をみると、私の場合は結婚してから幸せになるという形になっている。
手相はいろいろの凶を事前に教えてくれるので、それをどのように克服していくかが課題になるんでしょうね。
そもそも結婚というのは、若い人によく言うのですが、<誤解>と<錯覚>の結果だと。
お互いに「愛してる」「愛されてる」という強い<誤解>と<錯覚>、またはこの人を「幸せにしたい」「幸せになれる」という強い<誤解>と<錯覚>、
言ってみれば強い思い込み、狂気に近い<錯誤>がないと結婚はできないと。
計算していたらいつまでも結婚はできないのです。なぜって計算通りの人になど巡り合わないし、計算だけで成り立つ結婚なんて肝心の愛情が育たないからです。
結婚に必要なのは<パッション>です。情熱、この心の中に沸き立つような情熱が、すべての困難を乗り越えていく原動力になるんですね。
それは確かに思い悩み、苦しみもがきしながら、でも、彼女と、彼と結ばれたいという強い情熱=これが私の言う<錯誤>です。
これは何十年もたって言えることです。
人生において一度はこの<錯誤>に陥ることなく過ごす人は、人生の面白さを味わえないかもしれません。
結婚というのは<相手>を<信じる>ことから成り立つので、計算ごとではないのです。
若い人たちを見ていて、少し不安に思うのは、皆お利口さんになっていて、この<錯誤>に正面から立ち向かっているのかな、と思えるんですね。
先日、復縁を迫って聞き入れられないからと言って、女性を殺害するという痛ましい事件がありました。
<錯誤>の表現が非理性的になっているんですね。ストーカー行為もそういうものでしょう。
これは、戦後の男女平等、女性の自律で男女間に、<男らしさ><女らしさ>という言い方が否定されてきていました。
男が<男らしく>というのは、自己コントロールする倫理的な基準です。女も<女らしく>というのは一つの規範であって、しれは他人から成約されるものではなくて、
自分でそのように振舞うということです。
単に、動物的にオス・メスとして振る舞うのではなくて、そこに知的・理性的また情緒的な心理的な動きと行動が、自ずと男女の違いをもたらすと思います。
ストーカーになるのは、そのような倫理的・知性的な行動が、ルサンチマン・怨みという感情的なものに置き換えられしまうのでしょうね。
いいずれにせよ、結婚は互いの相性というものもありますが、どれだけ相手の人を大事に思うかという感情の上になりたつでしょう。
さらに結婚というのは社会的な制度です。恋愛は状況ですから変化しますが、結婚は社会の決まりごとです。そのルールが昔は家だとか身分だとかに拘束されていたんですよね。
今は、女性でも自分の人生を自分でコントロールすることができるのです。
だからなおさら、結婚を決意するときには、大きな情熱がないと、女性は特に冷静に見ていますから、一歩踏み出せなくなってしまいます。
現代において男が「男らしく」振舞うことがより大事になってきています。
男女のバランスは不思議なほどに取れているものです。本能がそのように一対の存在として設定しているからでしょう。
男を演じるやせ我慢にこそ、男の美学があるんですよね。「男はつらいよ」、男はみんな多かれ少なかれ寅さんと一緒なんですよ。
女性を立てる時代こそ、平和な時代です。