私はプロレスファンの素人です。当然プロレスラー経験も当然無ければ
評論家やライターにもなった事は無いです。
奥の深いプロレスをファン目線でしか見れません。
今、鶴田、藤波、長州、天龍世代で
一番商品価値が高いのは長州力だと思っています。
グレコローマンレスリング、オリンピック韓国代表だった上に新日本においては
絶大な権力を持ち、WJ旗揚げ迄、新日本に大きな功績を残し
馬車馬の様に仕事をして来た事でしょう。
猪木のイエスマンでコンニャク社長と言われた藤波とは大きく違う所です。
責任、重圧と共に巨大な権力と自分の価値観を後陣に叩き込んだので
不遇の世代、私と同世代の第3世代で長州がダメな選手は多いですね。
西村、金本を筆頭に。上司の長州を嫌った第三世代
小島、中西、ケンドーカシンは長州批判聞いた事無いですな。
それ以外の選手は長州アレルギーを聞いた事が有ります。
長州に対して、私のファーストインプレッションは
「弱い」「やられ役」でした。パンチパーマ時代ですね。
本人がプロレス好きでは無かったのかも。
しかし藤波に噛み付いてから、信じられない程の大ブレイク。
一種の社会現象的に。
噛み付いた相手がプロレスの天才とも言われる藤波だから
藤波が言うには二年間は口聞かなかったという程
バチバチ関係の藤波が長州を光らせたと思います。
単純に強さの面で言えば、やはり長州ですし。
名勝負数え歌と言われて光るのは長州。
試合も存在価値も藤波有っての事かな?
化ける前の長州は維新軍副将となる国際軍だった
アニマル浜口と82年元旦シングルマッチで
初リキラリアットを披露した試合、プロレスラーとして
この時点で、やはり浜口の方が巧者で格上に見えました。
問題はジャパンプロレスとして全日本に上がった頃。
天龍は長州によって大覚醒。しかし他の全日本の選手からは
評判が悪い。奮闘したのは大熊、石川位かしら?
鶴田には体格面、体力面、興行主のプレッシャーも有って
60分フルタイム闘っても鶴田の怪物ぶりが強調され、
ファイターの天龍との闘いは高スイング。
一方的に攻め短時間で勝利する維新軍のスタイルは全日本勢から
反感を買い、ブロディにはコテンパ。これまた大名人の
NWA王者リックフレアーには内容で惨敗。
ブロディに一方的に潰される姿はショック過ぎて。
プライドの高いブロディーは長州をしょっぱいと絶対認めない。
キラーブルックスが上手くジョバーを演じ。
維新軍にはキラーカーン、ヒロ斉藤、保永とプロレスが上手いと言われる
仕事人も居るけど、維新軍イデオロギーは全面に前に出て
カッコ良く勝つ。相手は引き立て役。
当時、マスカラスやウォリアーズとシングルで闘っていたら
どんな試合になっていたのでしょう。
三度の新日本出戻りをしている長州。
一般社会ではあり得ない事ですよね。
しかし、長州力という商品価値は絶大な上、
自分の価値と売り時を逃さない人だと思うので
今もお茶の間で、まさかあんな人間が丸くなるとは思いもせず
(年齢も有りますし、一瞬で恨みを忘れさせる人間力も凄い才能。)
長州力の商品価値は落ちない。
新日本復帰後の長州。
名人カブキはジャパン時代と違い長州はちゃんとプロレスを出来ていたと。
ただ、私個人は復帰後の長州の良い試合というのが直ぐには思い浮かばない。
放送日が土曜16時に移行し部活の練習で見れなかったというのも有りますが…。
常連外国人にスピードで向かう。犬猿の仲だった橋本とひたすら殴り合う、
後、暴動が起きた、87年イヤーエンド国技館、
「やめろコール!」でモノが投げ込まれる中、心折れまくっただろう
新日本史上最悪な状況での試合。その後、
猪木に2、3分で血まみれにされる。アレは気の毒ですけどね。
猪木が悪い。
歴史的再会、年間最高試合に選ばれた1,4東京ドームでの天龍との試合。
私、当日ドームへ行きましたが友人のチケット手配の手違いで会場に入る事が出来ませんでしたが。
アレは話題性も含めてなんでしょうかね?
私個人はあまり感じるものが多くは無かった。
あの試合を見て石井智宏はプロレスラーになろうと決心したそうですが。
そして、Uインターの安生、現役復帰戦、電流爆破マッチでの大仁田には
一方的に叩き潰す。
あの頃は闘魂三銃士や馳、健介という看板レスラーも育っていたので
後ろに周り長い間、現場責任者としてドームツアーも成功に導き。
長州に育てられ、長州イズムで戦った「塩介」とも言われる佐々木健介
柔軟なんだか硬いんだか?微妙な線を感じるのでした。
藤波、天龍は試合が凄く良いと今でも思います。
藤波に憧れた西村、金本、棚橋、
天龍革命で付いていた冬木、川田、小川良成。
素晴らしい選手達ですね。
川田なんかは名勝負製造機だと思いますしね。誰とでも良い試合が出来る。
長州の後継者というと、個人的には石井智宏。素晴らしい選手です。
健介は色んな評判は別として、格下相手だと‥チトなぁ。
長州の技といえば、バックドロップ、リキラリアット、サソリ固め。
個人的には瞬発力と下半身の強さを見せるロックアップも印象深いです。
リング上やYouTubeで長州の事をけちょんけちょんに言っている
コレまた一癖強い金本は「長州力丸」と言い
上記の技で試合を組立てた長州のプロレスに対する持論を批判していました。
現場では憎まれ役の上司でも、生き残った第3世代の選手達には
必ずチャンスは与えては来ている。
上司、役員、責任者としての長州とプロレスラー長州の仕事は違いますが
時代的に豊富だった特に海外の一流選手とは
良い試合を演じれなかった、そんな記憶が残ります。
確かに、長州のスタイルはアメリカではウケないでしょうし、
人気一流外国人選手と互角の試合が演じられたとは思えません。
その辺りは同世代のエースレスラー鶴田、藤波、天龍と違う所というか。
ただ、間違いなく「長州力」という商品価値は凄く高いと思います。
馬場、猪木の次位に。後、同世代を生きた大仁田と。
(大仁田もレスラーとしての評価は全日本時代からイマイチな気もする)
行き着く所、人気商売。人気が出て一時代を築いた勝者の記憶は強く残る。
個人的には対戦相手、浜口達のタッグパートナーに
引き上げて貰った、というイメージです。
爆破力と存在感はハンパじゃ無いのですがね。ただ単にメキシコで散髪したら
酷い髪型にされただろうから長髪で帰国した、なんて噂も出ていますが
大きなイメージチェンジがトレードマークになりました。
纏まりの無い記事になりました。
評論家やライターにもなった事は無いです。
奥の深いプロレスをファン目線でしか見れません。
今、鶴田、藤波、長州、天龍世代で
一番商品価値が高いのは長州力だと思っています。
グレコローマンレスリング、オリンピック韓国代表だった上に新日本においては
絶大な権力を持ち、WJ旗揚げ迄、新日本に大きな功績を残し
馬車馬の様に仕事をして来た事でしょう。
猪木のイエスマンでコンニャク社長と言われた藤波とは大きく違う所です。
責任、重圧と共に巨大な権力と自分の価値観を後陣に叩き込んだので
不遇の世代、私と同世代の第3世代で長州がダメな選手は多いですね。
西村、金本を筆頭に。上司の長州を嫌った第三世代
小島、中西、ケンドーカシンは長州批判聞いた事無いですな。
それ以外の選手は長州アレルギーを聞いた事が有ります。
長州に対して、私のファーストインプレッションは
「弱い」「やられ役」でした。パンチパーマ時代ですね。
本人がプロレス好きでは無かったのかも。
しかし藤波に噛み付いてから、信じられない程の大ブレイク。
一種の社会現象的に。
噛み付いた相手がプロレスの天才とも言われる藤波だから
藤波が言うには二年間は口聞かなかったという程
バチバチ関係の藤波が長州を光らせたと思います。
単純に強さの面で言えば、やはり長州ですし。
名勝負数え歌と言われて光るのは長州。
試合も存在価値も藤波有っての事かな?
化ける前の長州は維新軍副将となる国際軍だった
アニマル浜口と82年元旦シングルマッチで
初リキラリアットを披露した試合、プロレスラーとして
この時点で、やはり浜口の方が巧者で格上に見えました。
問題はジャパンプロレスとして全日本に上がった頃。
天龍は長州によって大覚醒。しかし他の全日本の選手からは
評判が悪い。奮闘したのは大熊、石川位かしら?
鶴田には体格面、体力面、興行主のプレッシャーも有って
60分フルタイム闘っても鶴田の怪物ぶりが強調され、
ファイターの天龍との闘いは高スイング。
一方的に攻め短時間で勝利する維新軍のスタイルは全日本勢から
反感を買い、ブロディにはコテンパ。これまた大名人の
NWA王者リックフレアーには内容で惨敗。
ブロディに一方的に潰される姿はショック過ぎて。
プライドの高いブロディーは長州をしょっぱいと絶対認めない。
キラーブルックスが上手くジョバーを演じ。
維新軍にはキラーカーン、ヒロ斉藤、保永とプロレスが上手いと言われる
仕事人も居るけど、維新軍イデオロギーは全面に前に出て
カッコ良く勝つ。相手は引き立て役。
当時、マスカラスやウォリアーズとシングルで闘っていたら
どんな試合になっていたのでしょう。
三度の新日本出戻りをしている長州。
一般社会ではあり得ない事ですよね。
しかし、長州力という商品価値は絶大な上、
自分の価値と売り時を逃さない人だと思うので
今もお茶の間で、まさかあんな人間が丸くなるとは思いもせず
(年齢も有りますし、一瞬で恨みを忘れさせる人間力も凄い才能。)
長州力の商品価値は落ちない。
新日本復帰後の長州。
名人カブキはジャパン時代と違い長州はちゃんとプロレスを出来ていたと。
ただ、私個人は復帰後の長州の良い試合というのが直ぐには思い浮かばない。
放送日が土曜16時に移行し部活の練習で見れなかったというのも有りますが…。
常連外国人にスピードで向かう。犬猿の仲だった橋本とひたすら殴り合う、
後、暴動が起きた、87年イヤーエンド国技館、
「やめろコール!」でモノが投げ込まれる中、心折れまくっただろう
新日本史上最悪な状況での試合。その後、
猪木に2、3分で血まみれにされる。アレは気の毒ですけどね。
猪木が悪い。
歴史的再会、年間最高試合に選ばれた1,4東京ドームでの天龍との試合。
私、当日ドームへ行きましたが友人のチケット手配の手違いで会場に入る事が出来ませんでしたが。
アレは話題性も含めてなんでしょうかね?
私個人はあまり感じるものが多くは無かった。
あの試合を見て石井智宏はプロレスラーになろうと決心したそうですが。
そして、Uインターの安生、現役復帰戦、電流爆破マッチでの大仁田には
一方的に叩き潰す。
あの頃は闘魂三銃士や馳、健介という看板レスラーも育っていたので
後ろに周り長い間、現場責任者としてドームツアーも成功に導き。
長州に育てられ、長州イズムで戦った「塩介」とも言われる佐々木健介
柔軟なんだか硬いんだか?微妙な線を感じるのでした。
藤波、天龍は試合が凄く良いと今でも思います。
藤波に憧れた西村、金本、棚橋、
天龍革命で付いていた冬木、川田、小川良成。
素晴らしい選手達ですね。
川田なんかは名勝負製造機だと思いますしね。誰とでも良い試合が出来る。
長州の後継者というと、個人的には石井智宏。素晴らしい選手です。
健介は色んな評判は別として、格下相手だと‥チトなぁ。
長州の技といえば、バックドロップ、リキラリアット、サソリ固め。
個人的には瞬発力と下半身の強さを見せるロックアップも印象深いです。
リング上やYouTubeで長州の事をけちょんけちょんに言っている
コレまた一癖強い金本は「長州力丸」と言い
上記の技で試合を組立てた長州のプロレスに対する持論を批判していました。
現場では憎まれ役の上司でも、生き残った第3世代の選手達には
必ずチャンスは与えては来ている。
上司、役員、責任者としての長州とプロレスラー長州の仕事は違いますが
時代的に豊富だった特に海外の一流選手とは
良い試合を演じれなかった、そんな記憶が残ります。
確かに、長州のスタイルはアメリカではウケないでしょうし、
人気一流外国人選手と互角の試合が演じられたとは思えません。
その辺りは同世代のエースレスラー鶴田、藤波、天龍と違う所というか。
ただ、間違いなく「長州力」という商品価値は凄く高いと思います。
馬場、猪木の次位に。後、同世代を生きた大仁田と。
(大仁田もレスラーとしての評価は全日本時代からイマイチな気もする)
行き着く所、人気商売。人気が出て一時代を築いた勝者の記憶は強く残る。
個人的には対戦相手、浜口達のタッグパートナーに
引き上げて貰った、というイメージです。
爆破力と存在感はハンパじゃ無いのですがね。ただ単にメキシコで散髪したら
酷い髪型にされただろうから長髪で帰国した、なんて噂も出ていますが
大きなイメージチェンジがトレードマークになりました。
纏まりの無い記事になりました。
と…意外にも名コーチでも有るドリーが評価していたのですか、長州を。
そういえば、長州がしっかりと勝った唯一の大物がテリーファンクでした。
冬木の風貌が‥成る程、ウエイトアップする前の冬木は長州に似ているかも。
私は、子供でしたのでどっちが強いか!?喧嘩に近い真剣勝負で勝つか!?と
ハラハラ観ていたので、目立ちたがり屋の(猪木が長州を噛ませ犬事件焚きつけた説も)
猪木に成敗される姿胸を撫で下ろしたりでした。当時の猪木は子供には正義の味方でしたし。
(後年、滅茶苦茶ショックを受け失望で。高田がヒクソンに負けた時位に)
猪木はストロングスタイルと看板付けても実はアメプロですね。
そのストロングスタイルの典型的長州が全日本で大型外人に吹っ飛ばされる姿は…。
共に受けるより攻め一辺倒のウォリアーズにはモロ体力負けしてましたね。
大型パワーファイターが多い全日本で長州に完敗したテリーは出戻りとは云え
インサイドワークが上手い超一流の選手だったのでしょう。
レイスとかと勝負したらどうでしょう?見えない所で裏技でレイスがシメに来るかも?
ブロディや体格面で問題ないフレアーにサソリかけようとトライするのですが
絶対かからず早々に形が崩れ盛り下がるというか。真剣勝負と観ていたので
「何だ、長州って弱かったのか、残念…」と本気で残念で。外人と闘う時は応援でしたし。
一つ長州の試合で思い出したのが第一回G1クライマックスで蝶野にギブアップ負けする姿。
その後ビガロやその他に全敗し話題になり優勝した蝶野を持ち上げた事。
記事中に書いた87イヤーエンド国技館、あの頃もプロレス見れなかった時期なのですが
たけし軍団がリングに上がるという事であの大会だけは見逃さなかったです。
藤波にあまり相手にしてもらえない木村健吾が抗争していた藤波と組み
長州にまたしても6分で敗退。あれは藤波、マサ斎藤、藤波も心折れたでしょうが。
新日本に戻って猪木にフォール勝ちした試合とかYouTubeで観たのですよ。
あの後は北尾を持ち上げようと頑張っていたりでした。
仰る様に天龍は大分岐点だったそうですね。本人が語ってましたが長州を見て
自分の好きにやって良いんだ!と。そして「コノ野郎!」という気持ちが噛み合ったと。
鶴田戦の時、絶縁した谷津が語るには初のジャパンプロレス大興行のジャパン社長として
凄まじいプレッシャーの中闘ったそうで。体力負け前にずっと精神面が削られていたのですねぇ。
戸口は鶴田を大評価ですがカーンは鶴田の事けちょんけちょんに言ってましたね。
天龍も方が遥かに強い!鶴田はプロレスを分かっていない!と。
あの頃プロレス雑誌は一切といって良い位読まず、BURRN!ばかり読んでました。
まさか90年代に毎週買う事になるとはで。WJの評判の悪さは雑誌で読んでいましたが
本や漫画読んで、余りの酷さに驚きました。後、健介や小橋は下のレスラーとなると
特に長州のコピーの健介相手を持ち上げれず叩くだけで観ていて本当に試合が面白く無いのですよね。
受けに回っても試合が盛り下がりやはり塩に感じました。
そういう面では時代も良かったのか、当時の選手達が如何にもプロレスラーな人達だったか?
長州の方が役者が上で徹底的にやられましたしね。
本文にも書きましたが長州という商品はあの時代の日本人選手の中でトップでした。
海外修行の冬木が全日に帰国した際のインタビューでちょっとびっくりしたのですが、海外ではリッキー・フユキと名乗っていて、それがドリー・ファンクの命名だったとか。「お前によく似た風貌でハイグレードなファイトをする選手がいる」という理由だったそうです。
ドリーが長州を好選手として認識していることにけっっこうびっくりしました。
私、長州革命で初めて新日を見るようになったので、ああいう受けをやらないプロレスは新鮮でした。確かに週プロがあたりが書いていた「全日は予定調和」という側面は全日派としてもちょっとフラストレーションのたまるところでしたし。
ジャパンプロレス勢の全日参戦は、また刺激的でしたね(*´ω`*)。長州のプロレスが大型外人に通用するのかどうか。私個人の感想としては、あまりスイングしないな、と(´・ω・`)。
悲しいかな、致命的に体格が劣っていました。大型選手同士の試合、特に全日でのそれは良くも悪くも(馬場に代表される)インサイドワークという名の光らせ合い。ロープに飛んでのエルボー、タックルで吹っ飛ばせる相手が少ないんですもん。
カーンと組んでのウォーリアーズ戦。来日最初のシリーズのクライマックスでしたが、ハイスパートとパワフルさはすっかり持ってかれちゃいました。サソリ決めてもすぐカットに入られて豪快にふっ飛ばされて(´・ω・`)。
あー、これは外人とは無理だなって。強い弱いの話では当然ないのですが。
まぁ当時大車輪の活躍でしたし、一番客が呼べる日本人レスラーだったと思いますから、忙しさも大変なものだったことでしょう。私も新日正規軍に対峙する維新軍を熱狂的に応援してましたし、全日での天龍との対決は見応えがありました。天龍にとっても分岐点だったし。
一方で鶴田戦のヘボさ(´・ω・`)。試合後に握手を求めた長州に対して、ゴングの投稿で「丸く収めようとした長州にがっかりした」ってのを見ました。わざわざ掲載したゴング編集部の代弁かと。
ごく最近になってYou TubeでWJ崩壊だのの裏話(?)を知りました。健介が塩呼ばわりとか小川橋本戦の裏話とか。
日銭の興行商売、きちんとしたマネジメントがないとホントすぐカネで揉めることでしょうね(´・ω・`)。それにしてもWJの話はひどかったなぁ。
そうですか、前田が。中々強烈な例えを。
しかし‥前田もUになってから純プロレスでは攻めまくりの記憶が強いのですが。
そういえば維新軍のタッグで必殺技となるハイジャックバックパイルドライバーの
被害者第1号は前田でしたな。試合後、前田は暫くノビていて強烈なインパクトでした。
(ガチか、演技かは判りませんが)
優しくて、当時かなり推しだった木村健吾が毎回リキラリアットの餌食になり
私はいつも悔しく思っていて維新軍とは反目で正規軍を応援していました。
ハイスピードプロレスは長州が作ったと思う位です。
「夢のオールスター戦」で闘ったグレート小鹿はすけこましくてタイミング取りづらかったと
先日ラジオで話していましたな。色んな意味で浜口は長州、維新軍の名参謀だったと思います。
このハイスパートスピードレスリングは今の新日本へも続いていると思います。
あの負け役長州がとてつもない爆発、革命を起こしたのは新日本正規軍だった頃からしたら
奇跡!と思った位でした。その姿は上司に反抗し立ち向かうサラリーマンを共感させたとか。
プロレスのカラクリを知り、長州の存在を凄いと思うのですが
勢いで新日本正規軍の選手を秒殺しまくりだった長州が全日本でブロディに
コテンパにやられまくった姿が強烈なショックだったのですね。
ブロディも自分第一主義ながら素晴らしいプロレスをしていた事と
飛行機で日本に到着したばかりのリックフレアーに翻弄されているのを見て
カブキ本も読み、相手有っての長州革命だったんだなぁ、と思ったのです。
子供の頃は私が木村健吾推しだった事、ので長州なんかに負けるな!と
応援していたのでした。先述のサラリーマン、そして数少ないプロレス仲間は
完全に長州旋風に乗り興奮していました。私は逆に負け役長州の大化けに、唖然としていました。
イマイチ弾けきれなかった天龍を本格的に開花させ対長州戦は
ぶつかり合いで楽しみでしたね。ので色んな意味でプロレスという
人生に似ている描写を今回長州に当ててみました。
正直好きな言葉では有りませんが本当に「勝ち組」とつくづく思います。
コレがプロレスは人生と似ていると思う、長州を輝かせてくれ、または犠牲になった人の
人生とも。それはプロレスでもプロレス界での長州もですねぇ。長いレスになりました。
今回の記事を読ませて頂いた後に、
徳光和夫のプロレス自慢できる話を見ていました。
長州のレスリングは、前田日明が言うには、
何でも卒なくこなすけど、カラーがなくて付録みたいだった…と。
リキラリアットを使うようになって、人真似だし手短にコンパクトに試合をまとめるようになって残念だったと話していました。もっとスケールの大きい試合が出来たんじゃないか…と。。
今度は、週刊プロレス元編集長の佐久間さんの話しですけど、タッグマッチに革命を起こしたのは、
長州率いる維新軍だったと話していました。
ハイジャックパイルドライバー、バックドロップとネックブリーカーの合体技、太鼓の乱れ打ちといったタッグマッチの連携を生み出したパイオニアは維新軍であったという話です。
長州は相手を輝かせるのが上手いタイプのレスラーではなかったですけど、強烈な個性であったと思います。スカッとした試合が観たいファンを自分を含め熱狂させたと思います。
あの時代は、他に上手い選手が居たから、上手くなくても良かったんじゃないでしょうか。
今では、面白おじさんといった愛されキャラになりましたね。プロレスに対して怖いイメージをもっている人も居ると思うので、長州さんの今のキャラは、とても良いと思います。
少しでも間違えれば死ぬ!と思うハイスパートレスリングですが
長州の全盛期は一方的に攻撃するスタイルで、もしこの頃、カールゴッチ、
ビルロビンソン、ローランボックとシングルやったら別の意味で面白い試合が観れたかも。
ブロディ程では無くともハンセンも長州へのあたりは強かったと思います。
ブレイク前は北米タッグのメインイベントなんて嫌だよ、なんて漏らしていたそうですし
メキシコにも免許取りに行ったという説が「実録長州力」で書かれていたり。
小川の試合は…新日本マットでは橋本以外は輝かなかった様に思います。
後ZERO-1で川田が見事に小川を輝かせましたが。ので全盛期でも長州では厳しいかもと。
長州を見ていて面白かったのは事実ですし、日本で長州力はそれだけの価値が有ったと思います。
今でもバラエティーやCM、YouTubeで活躍ですしね。
経営という面では新日本プロレスという大きな興行会社においての活躍なので
事実上インディー状態となったWJを時代錯誤のプライドでトンデモ団体へと導いた
長州は経営者としては大失格でした。永島オヤジも思いっきり時代錯誤で
経営者としては、新日本プロレスのレスラー社長として坂口がピカイチでしょう。
長州も福田社長からの2億借入れ以外に3000万円は負債持っていたそうですし。
ただ現場責任者として3度目の復帰は現場では大反発の中業界では良い人選だったそうですね。
藤波は既に高額の退職金が支払われていたのに会社に居座り続けていた事が大問題だった様ですし。
吉田光雄(長州)は、五輪出場を手土産に全日に鳴り物入りで入ったエリート鶴田友美(ジャンボ)の対抗馬として、新日側がスカウトした逸材として、将来の猪木後継者の一人に抜擢されるコースを上るのかと思われたけれど、初めての海外遠征(=武者修行?)から帰って来てからは、一介の中堅レスラーに埋没していた感がありました。TVマッチでもシングルでは、セミ前辺りでシリーズメインの外人レスラーの相手として"負け役"を務めるのみ。このポジッションとしては、以前なら木戸や藤原が適任でありながら、五輪出場者という実績を引っ提げた長州の方がよりインパクトが大きく、最終戦での対猪木戦に"花を添える"意味合いも感じ取れました。その頃の長州は、まさに猪木の引立て役に甘んじていた不遇の時代だったと思います。全日の鶴田が華々しく活躍していたのに比しても…。以前にYouTubeでも、長州対ボックや、対ルスカ戦を視て、その点を確信しました。
長州がメインエベンターとして光り出したのは、S小林に代わって坂口の北米タッグパートナーに選ばれたあたりで、UWA世界を催冠したメキシコ遠征から帰って来た、有名な「咬ませ犬発言」と言われていますが、名勝負数え歌と称された一連の藤波戦では、長州よりも藤波の上手さに負うところが大きいように感じました。外人レスラーとの名勝負が生まれにくいのは、プロレスでありながら勝負面に拘りが強かったためと思われます。全日での異種格闘技トム・マギー戦が凡戦に終わったのも、ブロディに防戦を強いられたのも、自分がリングのど真ん中に立つことの意識が強過ぎたためかと思います。タッグでしたが、小川直也と絡んだ一戦では長州側の衰えが浮き彫りになっていた印象で、気の毒にも感じました。
藤波の新日社長時代の言及もありますが、経営者としては長州も藤波に劣るとも勝らない才覚の無さで、後年の短かったWJ時代が証明していると思います。もっともかつての新日での猪木の名参謀・新間寿や坂口征二のようなサポート役がいなかった点もありますが(永島オヤジではダメだったのか…)、長州という人物は体育会系の運動部主将肌で、現場監督が適任といったところでしょか?折角、理想の団体になるはずのWJに引っ張った谷津や健介との間で生じた亀裂だけが残ったのは、長州本人にとっても忸怩たるものが残ったでしょうが…。