たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎錦帯橋と弥栄峡

2009-12-14 06:06:04 | 日記
☆弥栄峡








広島県との境を流れる小瀬(木野)川の中流にある弥栄峡のうち、白滝橋から魚切の堰堤(えんてい)の間の上流部約1kmが、1966年(昭和41)名勝に指定された。

 この一帯は、小瀬川が硬い花こう岩からできた山地を横切って流れており、川の両側の山は高度差約300mの急斜面となっている。各所に花こう岩の岩壁が見られ、この峡谷が小瀬川の水の働きによって、長い年月をかけて形成されたことがわかる。

 小瀬川の流れは速く、は幅が狭く、川底の岩盤をえぐりながら流れているため、川底には多くの滝や甌穴(おうけつ)ができており、川岸や川底には多くの割れ目(節理という)のある花こう岩が出ている。これらの間を清流が深い淵をつくって流れ、両岸の樹木と調和して、見事な峡谷美を展開している。下流に弥栄ダムをつくる際、総合学術調査を実施している。なお、この周辺は、カワシンジュガイの生息南限地でもある。

☆岩国の錦帯橋と遠くは岩国城








・錦帯橋(きんたいきょう)は、山口県岩国市の錦川に架橋された木造のアーチ橋である。日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されている。藩政史料には大橋と表記されることが多く、「錦帯」という美名は完成後に定着した説が有力とされている。文書による初出は宇都宮遯庵の記述した文書内である。

5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3m、幅員5.0mで、継手や仕口といった組木の技術によって造られている。杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルにして1673年に架橋された。西湖の錦帯橋とは2004年に姉妹橋となっている。

★昨日は、朝食後二男や孫達とドライブに出掛ける。朝は晴れていたが、次第に曇り空になって来る。最初は、広島県との県境を流れる小瀬川の上流にある岩国市美和町大三郎にある弥栄峡(やさかきょう)に行く。ここは、瀬川の流水で岩が浸食されて形成された峡谷。蛇喰岩、屏風岩、亀岩などの奇観が連なる。遊歩道や近くにはキャンプ場も整備されていてシャワー施設等も完備。
渓谷の遊歩道を歩く時は、少し肌寒かったが永遠と続く岩は凄かった。この辺りの山々は、殆んどが岩山になっていた。夏には、キャンプなどで、沢山の人が訪れると言う。その後、岩国に出て錦帯橋を観光する。河川敷の駐車場も、この時期だが結構沢山の車が止まっていた。二男宅にて昼食後、夕方4時過ぎには自宅に到着。今朝の当地方は、雨も止み空には星が出て来た。気温は、6度Cで平年並み程度だが、これから週末にかけて寒くなりそうである。今日は、この後釣りに出掛けようと思っている。

◆過去の出来事・トピックス
・女子高生の雑談「あの金庫つぶれるわよ」の一言で豊川信用金庫で取付け騒ぎ(1973)
・石油ショックで民法5社深夜放送自粛決定(1973)
・最後のSL国鉄室蘭本線を走る(1975)

・アムンゼン、南極点初到着(1911)
 南極点を目指していたR・アムンゼン隊長率いるノルウェー隊が 1911年のこの日午前11時、到達に成功した。一番乗りを狙っていたライバル、スコットのイギリス隊より約1カ月早い到着だった。 さて、北極点に初めて到着したのはアメリカのピアリーで、1909 年4月6日のこと。南極点同様、こちらもライバルのクックがいた。クックはピアリーの前年1908年4月21日に極点に到達したが、この報告には疑惑があるとされ、ピアリーが初の極点到着者となった。なお、アムンゼンは当初北極に向かう準備をしていたが、この報を聞いて南極を目指すことにしたとか。

・わが国初の飛行実験に成功(1910)
 ライト兄弟が世界初の飛行に成功したのは1903年。7年後の1910 年のこの日、日本初の飛行実験が行われた。場所は東京・代々木練兵場。日野熊蔵大尉はグラーデ単葉機に乗り高度10mで60mの飛行に成功。19日には、アンリ・ファルマン機を操縦した徳川好敏大尉は高度70mで3000mの飛行に成功した。

◆記念日・年中行事・お祭り
・赤穂浪士、討ち入り――赤穂義士祭(兵庫県)
 1702年12月14日の夜、寅(午前3時頃)の上刻、大石良雄以下四十七士が本所の吉良上野介邸に討入り。主君・浅野内匠頭長矩の仇討ちを成し遂げた。 兵庫県では、この日に忠臣蔵の話をもとに赤穂義士祭を行う。

◆本日の誕生日
・世良公則(歌手 タレント・1955)

☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・フユザクラ(バラ科)
・冷静

☆「きょうの一句」
・熱燗(あつかん)や討入りおりた者同士   川崎展宏(てんこう)

~心に響く366の寸言~
【憂いが人物をつくる】


  人間は憂(うれ)えなければ人物が出来ない。

  何の心配もなく平々凡々幸福に暮らしたのでは、
  優という文字の真義からくる「優秀」とはいい難い。

  憂患を体験し、悩み抜いてきて初めて、
  人物も余裕も出来てくる。


 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

【東洋的虚無感】

 小人の常として、財産・地位・名誉など
 何かしら有する所があると、
 自分自身が偉いような錯覚に陥る。

 しかし本質的には何ものをも加えてはいない。
 心あらばむしろ省(かえり)みて
 自己の本質的な欠陥を覚(さと)る。

 この心を徹すれば、東洋的虚無感に通ずる。


 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

☆12月14日 松下幸之助[一日一話]
<人生の妙味>
雨が降ったり雷が鳴ったりという自然現象はある程度の予測はできるものの、正確にはつかみえない。
われわれの人生の要も、この自然現象とよく似たものではないだろうか。そこには、天災地変に匹敵する、予期できない多くの障害がある。われわれはそれらの障害の中にありながら、常に、自分の道をもとめ、仕事を進めてゆかねばならない。そこに“一寸先は闇”とよく言われる人生のむずかしさがあるのであるが、そういう障害を乗りこえ、道を切り拓いてゆくところに、また人生の妙味があるのだとも思う。予期できるものであれば、味わいも半減してしまうであろう。

タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947

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