第24回高野台中学校合唱コンクールをメイシアターで開催。
各学年、各クラスともすばらしい合唱でした。
金賞は1年生が3組 2年生は2組 3年生は3組。
1年生学年合唱 笑顔を忘れてしまった君に
2年生学年合唱 空高く
3年1組 大地の歌
3年2組 むぎや
3年3組 How wonderful living together!
3年4組 時の旅人
PTAコーラス 手紙 愛は勝つ
3年生がスタンディングで大きな手拍子をしてくれました。
優勝した3年生3組
3年生学年合唱 輝くために
全体合唱 大切なもの
最後の講評では音楽科の榊先生が「合唱は練習をやった量だけ歌ができあがる。練習は裏切らない。今日は、素敵な合唱で、各クラスともすばらしく、順位をつけるのは、辛かった。素敵な一日でした。今日の経験を今後の学校生活に活かしてください。」と話されました。
各学年、各クラスともすばらしい合唱でした。
金賞は1年生が3組 2年生は2組 3年生は3組。
1年生学年合唱 笑顔を忘れてしまった君に
2年生学年合唱 空高く
3年1組 大地の歌
3年2組 むぎや
3年3組 How wonderful living together!
3年4組 時の旅人
PTAコーラス 手紙 愛は勝つ
3年生がスタンディングで大きな手拍子をしてくれました。
優勝した3年生3組
3年生学年合唱 輝くために
全体合唱 大切なもの
最後の講評では音楽科の榊先生が「合唱は練習をやった量だけ歌ができあがる。練習は裏切らない。今日は、素敵な合唱で、各クラスともすばらしく、順位をつけるのは、辛かった。素敵な一日でした。今日の経験を今後の学校生活に活かしてください。」と話されました。
吹田市の産業労働にぎわい部から、地元の伝統野菜を知ってもうおうと「吹田くわい」をいただきました。
吹田くわい
今からおよそ6千年前、大阪平野の北部は、河内湾と呼ばれる大きな入り江になっていました。
この入り江は、長い年月をかけ、淀川や大和川の流れによって流されてきた土や砂によって次第に埋め立てられ現在の大阪平野ができました。
淀川や大和川から流れてきた土や砂は、養分をたくさん含んだ良い土でした。
こうした良い自然環境で育ったオモダカが大きく進化をしたのが、吹田くわいです。
オモダカというのは、吹田くわいの祖先にあたります。
何万年も前から日本に自然に生えてきた田んぼや水辺に生える植物です。
その後、吹田くわいは、吹田村で作られました。
えぐみが少なく、甘みがあり、栗のような食感でおいしいと評判になり、吹田の名産として有名になりました。
江戸時代を代表する狂歌師の蜀山人(しゃくさんじん)は美食家でした。
蜀山人は出張先の大阪で食べた吹田くわいがおいしかったことを思い出して
「思い出る 鱧の骨切りすり流し 吹田くわいに天王寺蕪」という歌で詠んだほどでした。
実際に吹田くわいは、大阪の名物番付に関脇に位置づけられていました。
その他にも豊臣秀吉が吹田くわいの評判を聞きつけ、京都の東寺に持ち帰り栽培を始めました。
それが「東寺くわい」と呼ばれるようになりました。
万葉集にも吹田くわいを詠んだ歌があります。
「君がため 山田の澤に ゑぐ採むと 雪消(ゆきげ)の水に 裳のすそぬれぬ」
これは、女性達が裾を濡らしながら、大君などに捧げる為に吹田くわいを収穫している様子を詠った歌です。
千里南公園には、その歌を刻んだ万葉歌の記念碑があります。
江戸時代には、この土地は、京都の仙洞御所(天皇の父親にあたる上皇の住んでいる所)の御料地になりました。
この事から吹田くわいを、天皇をはじめ皇族の方にも食べて頂き、献上されるようになりました。
この献上行列は、天和3年(1682年)から明治維新まで続きました。
吹田くわいを献上する際は、吹田くわいを鴨の形をした藁苞(わらづと)に入れます。
表には「仙洞御所御用」・裏には「摂津島下部吹田村」と書かれた木札を竹にさして、庄屋、年寄り、大百姓らが付き添い行列したといいます。
大名の行列ですら、道を譲るほど当時の吹田くわいには権威がありました。
ところが、近年の宅地開発の影響で田んぼが減ったことなどが原因で、吹田くわいは、幻の野菜とまでいわれるほど数を減らしています。
こうした事から、現在吹田くわい保存会をはじめ、多くの機関が保存運動ならびに、市場への流通を目指し活動されています。
その活動の一環として毎年「吹田まつり」では、市民の方々に吹田くわいの歴史や伝統、文化の大切さをわかってもらえるように献上行列を再現した吹田くわいの奉納行列を行っています。
(吹田くわい保存会の資料から抜粋)
吹田くわい
今からおよそ6千年前、大阪平野の北部は、河内湾と呼ばれる大きな入り江になっていました。
この入り江は、長い年月をかけ、淀川や大和川の流れによって流されてきた土や砂によって次第に埋め立てられ現在の大阪平野ができました。
淀川や大和川から流れてきた土や砂は、養分をたくさん含んだ良い土でした。
こうした良い自然環境で育ったオモダカが大きく進化をしたのが、吹田くわいです。
オモダカというのは、吹田くわいの祖先にあたります。
何万年も前から日本に自然に生えてきた田んぼや水辺に生える植物です。
その後、吹田くわいは、吹田村で作られました。
えぐみが少なく、甘みがあり、栗のような食感でおいしいと評判になり、吹田の名産として有名になりました。
江戸時代を代表する狂歌師の蜀山人(しゃくさんじん)は美食家でした。
蜀山人は出張先の大阪で食べた吹田くわいがおいしかったことを思い出して
「思い出る 鱧の骨切りすり流し 吹田くわいに天王寺蕪」という歌で詠んだほどでした。
実際に吹田くわいは、大阪の名物番付に関脇に位置づけられていました。
その他にも豊臣秀吉が吹田くわいの評判を聞きつけ、京都の東寺に持ち帰り栽培を始めました。
それが「東寺くわい」と呼ばれるようになりました。
万葉集にも吹田くわいを詠んだ歌があります。
「君がため 山田の澤に ゑぐ採むと 雪消(ゆきげ)の水に 裳のすそぬれぬ」
これは、女性達が裾を濡らしながら、大君などに捧げる為に吹田くわいを収穫している様子を詠った歌です。
千里南公園には、その歌を刻んだ万葉歌の記念碑があります。
江戸時代には、この土地は、京都の仙洞御所(天皇の父親にあたる上皇の住んでいる所)の御料地になりました。
この事から吹田くわいを、天皇をはじめ皇族の方にも食べて頂き、献上されるようになりました。
この献上行列は、天和3年(1682年)から明治維新まで続きました。
吹田くわいを献上する際は、吹田くわいを鴨の形をした藁苞(わらづと)に入れます。
表には「仙洞御所御用」・裏には「摂津島下部吹田村」と書かれた木札を竹にさして、庄屋、年寄り、大百姓らが付き添い行列したといいます。
大名の行列ですら、道を譲るほど当時の吹田くわいには権威がありました。
ところが、近年の宅地開発の影響で田んぼが減ったことなどが原因で、吹田くわいは、幻の野菜とまでいわれるほど数を減らしています。
こうした事から、現在吹田くわい保存会をはじめ、多くの機関が保存運動ならびに、市場への流通を目指し活動されています。
その活動の一環として毎年「吹田まつり」では、市民の方々に吹田くわいの歴史や伝統、文化の大切さをわかってもらえるように献上行列を再現した吹田くわいの奉納行列を行っています。
(吹田くわい保存会の資料から抜粋)
合唱コンクールを三日後にひかえ、みどころや各学年の様子を音楽科の榊先生に聞いてみました。
みどころ
「今年は、特に2・3年生が熱心に練習をしていると感じます。合唱というのは、何度も何度も練習をしているうちに声がまとまってきて、引き締まったものになっていきます。しんどくても地道な練習を積み重ねたクラスが本番に力を発揮することができるのです。練習は裏切りません。その生徒たちの『自分たちの歌を歌うんだ』という気持ちを合唱から感じてもらえたらと思います。」
各学年の様子
「1年生は、まだ合唱コンクールがどういうものなのか、あまりわかっていなくて、戸惑っている感じがします。合唱の出来もまだまだで・・・この三日間でどこまで集中できるか・・・
2年生は、1年時に比べるとクラス曲に対しての思いが強くなっていて、それが歌に出てきています。
3年生は、どのクラスも仕上げるには、きめ細やかな練習が必要な難しい曲ばかりです。でも一番熱心に練習をしているし、授業に来る時の熱気も十分感じられます。どういう合唱を聞かせてくれるか楽しみです」
みどころ
「今年は、特に2・3年生が熱心に練習をしていると感じます。合唱というのは、何度も何度も練習をしているうちに声がまとまってきて、引き締まったものになっていきます。しんどくても地道な練習を積み重ねたクラスが本番に力を発揮することができるのです。練習は裏切りません。その生徒たちの『自分たちの歌を歌うんだ』という気持ちを合唱から感じてもらえたらと思います。」
各学年の様子
「1年生は、まだ合唱コンクールがどういうものなのか、あまりわかっていなくて、戸惑っている感じがします。合唱の出来もまだまだで・・・この三日間でどこまで集中できるか・・・
2年生は、1年時に比べるとクラス曲に対しての思いが強くなっていて、それが歌に出てきています。
3年生は、どのクラスも仕上げるには、きめ細やかな練習が必要な難しい曲ばかりです。でも一番熱心に練習をしているし、授業に来る時の熱気も十分感じられます。どういう合唱を聞かせてくれるか楽しみです」
写真は、昼休みの一コマです。
職員室前から3年生棟を撮ったものです。
何をしているかわかりますか?
来週に迫った合唱コンクールへ向けての練習です。
各クラス(特に3年生は)、自主的に日々練習を重ねているので、いろいろな所から歌が聞こえてきます。
本番当日が、楽しみですね。
職員室前から3年生棟を撮ったものです。
何をしているかわかりますか?
来週に迫った合唱コンクールへ向けての練習です。
各クラス(特に3年生は)、自主的に日々練習を重ねているので、いろいろな所から歌が聞こえてきます。
本番当日が、楽しみですね。
6限目、体育館で前期生徒総会を開催しました。前期執行部からは「服装の乱れや、ゴミのポイ捨てなど、当たり前のことができない生徒がたくさんいます。そのような行動が、恥ずかしい事であると自分から気づかせられるような活動をしていきたい。そしてスローガンとして『地道な努力こそ一番の近道』という言葉を掲げ、がんばっていきたい」と活動方針を打ち出しました。
第28回吹田青少年野外コンサートが、6日、千里南公園野外ステージで開催され、本校合唱部も出演しました。晴天のこの日、会場には市内の中学校・高校の吹奏楽部やコーラス部など20団体が出演。本校合唱部は2番目に出演し、「さくら」「YELL」「Hail Holy Queen」の三曲を歌いました。