バッサリ斬り棄て、進撃のマダム!へ

大人になり過ぎて気付くことがある。老いを恐れず、今迄積み上げて来た自分から更に素敵マダムを目指すためのエクスポート。

七夕の日

2022-08-04 21:11:00 | 日記
コロナパンデミック以降、街中から七夕飾りが消えてしまったと感じて歩いていると、急に子供の頃の七夕のある出来事を思い出した。
 
7つ離れた弟が生まれると急に母親業を頑張り始めた母が、1.8m程の笹を買ってきて、弟と七夕飾りを手作りしはじめた。私や妹にも短冊に願いを書くようにと言う。

20歳で私の妊娠発覚からできちゃった婚をし、嫁いだ先には住み込み従業員が10名弱も居る自営業。毎朝毎晩、彼らの食事用意と家事、育児で何がなんだか分からない儘に過ぎて来たのだろう母は、30歳を過ぎて人生の方向を母親業へ向ける事で幸福模索をスタートした頃だった。
若い頃に苦労して乗り越えてそれになりなったという美談が世間には良く流れはするがそうでない人もいる訳で、誰もが苦労した後に成功や上手くやれるようになる訳でないのだと、母を見て感じていた。

当時13歳くらいの私は、毎日が可笑しく腹立たしく、何もかもが驚きと好奇心とで、ちょっとしたことさえ事件という程のおおごとになる気分に常に心が躍り、ざわつく365日フェスティバルな毎日を送る年頃だった。
結局は、単にラッキーでありたいというだけの毎日で、当時、部活と食べる事が楽しみだけの心の成長が遅れ気味だったと思う。
そんな私が夕食前の夕方に書く短冊となれば、
「いつでも美味しい物が食べられますように」  
だった。
しかし後日、母からえらい勢いで叱れることになった。「お前は戦時中に生きているのか? 私の料理がまずいと思われる」と言う。
七夕飾りの笹の前で母溺愛の弟の写真を撮った際、その中でも一番可愛いらしく撮影できたと母一番のお気に入り写真の背景にくっきりと私の短冊、すなわち「いつでも美味しい物が食べられますように」が見事に写りこんでいたからだった。
折角の可愛い弟の写真を他人に見せられない、父の実家や兄弟らに近況写真を送ることが出来ないと、その後、夏が来る度、数年に渡り、母から嫌味を聞かされ続ける羽目になった。
 
また、母子家庭である我が家にも短冊の想い出がある。
彼女が高校生の頃、進学に備えそれなりにお金が必要になり、正直、私はとても厳しい時期を迎えていた。
早く給与を上げて貰える様に=社内営業も疎かにできない
and
目先の金が必要=バイトしないとならない 
ということになっていた。
その為、会社が休みの土日と平日の仕事後の夜にアルバイトを開始。当然、娘と過ごす時間は削られることになったが、娘も理解できる年齢だろうと勝手に納得していた。
ある日、娘の留守中に彼女の部屋の掃除の為に入ると、出窓に七夕の🎋笹飾りがあった。
「ママ大好き!いつまでもいつまでもママと楽しく暮らせますように」と短冊に書かれていた。
10代のキャピキャピする頃の女の子なのに、こんな短冊あり?と順調に並べ続けていたドミノがあと少しでと言う完成前にカタカタと倒れていくような気持になった。娘の幸せのために、今ここが踏ん張り時と一人頑張っていたつもりが結局、この苦難を娘に半分担いでもらっている訳で、それを忘れ一人頑張っていると思い上がっていた私。
私よ!「もう~~てめぇ、ぶっ殺しだ!」である。

一年に一度の逢瀬が叶うロマンティックな日であると言われる七夕。
大人になったのに、ロマンスはおあずけで、私には猛省の日。
ロマンスなんて、もう来ないんだろう。
ロマンスなんて、まぼろし〜〜〜って事に気づいている大人の夏…なのである。



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