片付け手伝いの『たけのこ屋』

片付け好きが高じて、宇治市で開店中です。
片付けのコツや考え方、併せてオモシロ小話などもちょっぴりつぶやいています。

気付かないストレス

2024年04月12日 | 片付けは楽し

片付けという商売柄、図書館へ行くと、まずは生活のコーナー(片付けに関連する本)をうろついてしまう。こんなにもたくさんの片付け本があるのか、と驚くほどだ。これほど出版されているということは、散らかった部屋に苦戦している人が多いということなのだろう。

モノが多いというのは、ある意味お金持ちなんだと思う。そんなことない、って思っている人もいる?でも、散らかる程のモノを購入する経済力はあるのだ。それを自覚しよう。

「うちはお金持ちだから散らかるのよね~うふふ」

でも散らかった部屋の片付けや掃除に翻弄されたり、イライラするのなら、その人の生活はちょっと残念だ。もしかして自分が部屋に翻弄されていたり、ストレスを受けていると、気付いていないのかもしれない。いつも散らかっていたら、散らかっていると認識しづらくなる。だって、散らかっている状態が平常運転と思ってしまうから。

 

あるお宅の話。壁掛けカレンダーの下にお洒落な棚。棚には一生かかっても使い切れそうにない量のボールペンやらハサミやら。きれいに、缶に立てかけられている。文具屋さんができる?

必要最低限の文具だけを置いたら…カレンダーへの書き込みがスムーズになる!細々(こまこま)と並べた小物や文具を倒さないよう、カレンダーを外したり書き込みをするのはストレスのはずなのに、毎日繰り返しているとそれに気付かずに過ごしてしまう。さらに、大量のペンの周囲はホコリの温床となるのだ。モノがすべて棚や引き出しに収まっている部屋は、一見片付いているように見えるのだ…が、どうだろう?

使いやすい部屋と片付いている部屋は別物なのだ。もちろん私は使いやすい部屋を目指している。


捨てられない!ことの意味 後編

2024年03月19日 | 片付けは楽し

ボタンやファスナーなど、使わなくなった手芸用品は売った。空缶は、今月中にでもお菓子の型にして、ケーキでも焼こう。他に捨てるもの幾つか。ちょっとだけゆとりの広がった収納は、さらに掃除がしやすくなる。

 

処分するということは、自分の生活に何らかの見切りをつけることだと思う。もう必要に迫られることもないので、手芸はしないだろう。せいぜい靴下を繕うくらい…だとか、こうしたスタイルの服は着ることもないだろう…と。

見切りをつける、可能性を絞るということは、自分になること。あれもこれもとモノや可能性を抱えているうちは、まだ何物(なにもの)にもなれていない。変な言い方だけど、絞ることで自分になれる。抱え込んだモノを捨てることに恐れることなく(少しは不安だけど)、そして自分はこんな人になるんだという目標をもってモノを選ぼう。

自分になれなければ、自分の人生を生きた!と満足するのも難しいではないか。自分になれない人ほど、他人からの承認欲求や評価を求めてしまうのではないか。

自分を生きよう。


捨てられない!ことの意味 前編

2024年03月18日 | 片付けは楽し

商売柄、自分の家は比較的スッキリ整理されているし、モノも少な目で生活していると思っている。実際、私が片付けのお手伝いをしたお客様に我が家を見てもらった時も、引き出し、押し入れなどを見て、モノの少なさにびっくりしてた(それでも、ミニマリストと言われる人よりはずっと多いだろう)。

少な目、そう、少な目なのだが、まだまだ甘かった。一応モノが決まった住所に収納されているので、気付かなかった。『私、結構使わないモノを抱え込んでる』ということに。

例えば、服を処分するたびにボタンやリボンは外して保管していた。子どもがまだ小さかった頃は、これらも何かと役に立った。ズボンの前後を示す目印にしたり、子ども用バッグのアクセントにしたり。

布団カバーのファスナーも残していた。自分でカバーを作っていたから。

きれいな空缶もそう。今どきのクッキー缶はデザインがとてもきれい。こんなきれいなモノを使い捨てにするのがどうしてもできなくて、いくつかは残していたが、今となっては使うあてもないし、大きさもバラバラな空缶。

これらを『使うかも』と残して、何年たったのだろう。

続く


片付けはレジャーだ!5

2024年02月22日 | 片付けは楽し

片付けはレジャーだ!と言っている。片付けに限らず、生活そのものにも言える話。生活は、レジャーにもなるし、しんどい義務にもなり得る。何も、レジャーはキャンプやネズミーランドへ行くばっかりじゃない。

友達の話。

お子さんが就職するのに伴い、お引越しをすることになった。家族総出での引っ越し作業が、実に楽しかったらしい。皆それぞれ有機的に動けたと。誰かのお手伝いというスタンスではなく、それぞれが考えながら作業できたことに感動していた。作業が終わって、帰りに外食先で

「楽しかったな~」「また、こんなことしたいな」と言いあったらしい。

 

そう、こういうことだよ。生活はさせられるのではなく、することで楽しくなるのだ。

片付けも義務になると、しんどい。でも、自分のことを理解するにはとても良い方法。積極的に、片付けの過程も、片付いた後の生活も楽しんで欲しいと思う。


片付けはレジャーだ!4

2024年02月19日 | 片付けは楽し

とある人と、片付けの話になった時のこと。「片付けが楽しい」と話すと「?」な顔。そこで、すっきり片付くのも嬉しいけど、生活しやすい部屋に変化していくのを見ると、もっと嬉しくなること、熱く説明してしまった。

でもその人は、片付けても片付いたと思うだけで、楽しい気分にはならない…どうせまた散らかるし、と。その後ちょっと考え込んだ。楽しい、楽しくないの差は何だろう?

確かにただ単にモノを収納するだけだと、すぐ散らかるよな~。

自分の無意識にしている行動パターンに気付いて、モノの配置を変えたり、自分や家族に必要なモノの総量をカウントしていくのは、自分を知るための良い手掛かりになる。そして、自分のこだわりが見えてくる。それを表現すると、居心地の良い部屋になる。この過程は面白いと思うんだけど…。

皆さんはどう思いますか?

続く