片付け手伝いの『たけのこ屋』

片付け好きが高じて、宇治市で開店中です。
片付けのコツや考え方、併せてオモシロ小話などもちょっぴりつぶやいています。

終活のこと2

2024年02月29日 | あれやこれや 言いたい放題

昨日の続き。もう一回言う。

齢をとったからという理由で終活する必要はないんじゃない?

人は若くたって死ぬ。死ぬのは年寄りの専売特許ではない。終活が必要だと思うのなら、年齢に関係なく終活すべきだよな…と思う。若くても、明日交通事故に巻き込まれるかもしれない。おじいちゃんになってから20年も、30年も生き延びるかもしれない。誰もいつ死ぬなんて分からないのだ。

死ぬための準備というなら、すべての人に「終活を」というべきなのだ。

必要なのは終活ではなく、今をよりよく生きるための整理・片付けではないかしら?どの年齢だったとしても。

終活って、生き残る人間の側の都合で勧める場合も多いのではないだろうか。

そんなことを考えながら「終活なんてしない」という言葉を思い返していた。


終活のこと1

2024年02月28日 | あれやこれや 言いたい放題

高齢化の時代となり、ここそこらで終活を進める記事やら報道やら本が出回っている。

終活とは?自分が人生を終えるにあたり身辺整理をすることらしい。

死後の財産についての取り決めや、モノの片付け、人間関係の振り返りや別れの挨拶…といったところか。

「私は終活なんてしたくない」

と言った人がいる。どういう意図でそれを言ったのか聞きそびれてしまったが、ふと思った。

別に年を取ったからという理由で終活をする必要はないんじゃない?

自分の生活を過ごしやすくするためだったり、人生を俯瞰したいと思った時に、財産・モノ・人間関係の整理や片付けをすればいい。まぁ齢をとると、片付けたくなっても面倒になったり、体がしんどくて『片付けたくない』と言い張る場合もあるかな。そんな時は、本人が辛くない速度で、誰かと一緒にゆっくりゆっくり片付けていこう。高齢になると変化が不安になるものだ。

続く


お金の価値とモノの価値

2024年02月27日 | あれやこれや 言いたい放題

お金って、私たち一人一人が価値と思い込むことで、その価値が保証されている。だから価値があるようで、ないような。でも日本では、お金がないと生活できないのは事実。

そんなかりそめの価値に振り回されながら、私たちは生きている。

古本屋へ本を売りに行っても、出版されてすぐと、5~6年たったものとでは値段が10倍から20倍も変わってくる。中身は全く同じなのに。金額は内容の良し悪しではなく、新しいか・売れ筋かを測っているに過ぎない。

バレンタイン商品が、ちょっと売れ残ると関係者に半額で販売されている。数日違うだけなのに。チョコのクオリティではなく、誰かが勝手に設定したイベントの、前か後かだけの差。

それって当然のことだと思う?自分の書いた本、作ったチョコが、内容・中身ではない所で価値を上げられたり下げられたり…嫌な気分にならないのかな?それが、真面目に作ったものである程、価値の伴わない価格の乱高下に不愉快を感じる…んじゃないかな?

もう一度言う。これって当然のことだと思う?

こんなことをしていると、ホンモノを見る目が失われてしまいそうだ。


タイプ別診断~モノの所有量~

2024年02月26日 | あれやこれや 言いたい放題

家の中の人でもモノでも、その数が多い程、家は賑やかになる。おしゃべりな家族は勿論、寡黙な家族でも、その人が発する気配がある。たとえ家族が留守にしていても、その人の痕跡は感じられるのではないか。

発話がある・無いの話ではない。

同じようにモノも、その存在を私たちに主張してくる。もしくは、主張されているように感じられる。だから、モノが多く雑然とした場所は(私にとっては)どうも座りが悪いし、集中しにくい。

人とモノの相性は、その辺りで決まってくると思う。賑やか好きな人は、人もモノもたくさんいたほうが楽しめるし、静寂を求める人は少なめのモノで生活する方が楽だと思う。

あなたはどちらのタイプだろうか。


カレーは寂しんぼ

2024年02月21日 | あれやこれや 言いたい放題

先日書いた『おうばくバザール』での一コマ。

たくさんの方がお祭りにやってきたため、食べ物屋さんはどこも大行列で品切れ状態。昼休みを交代でとるも、食べるものがない。ああ、すごい熱気。

仕方がないので、水だけ飲んで受け持ちに戻る。私の相方のKさんも昼休みをとったが、「食べるモンがない!」と戻ってきた。

昼過ぎ頃、食べ物が足りないので、祭りの拠点となっているカフェで急遽カレーを作ることになったらしい。「でも、すぐなくなるよね~」と、期待していなかった私たち。「ご飯を4升炊くから、大丈夫」という声が聞こえてくる。ちょっと期待。

「ああ、昨日カレーだったんですよね~」

「カレーって何故か続くし、ダブりますね」

「うん、うん、給食でカレーが出ると、その日の晩御飯もカレーだったり」

きっと共感してくれる人はいるハズ。もしかして、カレーはとても寂しんぼなのではないか。だから、カレーがカレーを呼ぶ…のかもしれない。

結局カレーは、私たちのところにやって来なかった。お米4升分のカレーは、どこに行ったのだろう?