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日記、日々の想い 

戦争で、起きたこと…

父は、戦前から
小学校教師だった
師範学校を出て
附属の小学校に
奉職していた
師範学校は、2年制だから
まだ、10代だ
そして、戦争が始まった
ちょうど、応召年齢になった
そして、開戦間もない
快進撃をしている
南方戦線へと送られた
近衛師団だったけど
2.26事件を起こした
部隊だったから
かも知れない
兵員輸送船の船倉
アメリカの潜水艦の
放った魚雷の、推進音
シュルシュルって
確かに、不気味に
聞こえてくるのだと言う
酷く怯えながら
うずくまることしか
出来なかったらしい
一兵卒など、所詮
無力で、弱くて
ただ、小さいのだ
そして、仏印から
直接、占領された
スマトラ島へと、送られた
そこは、でも
平和だったのだと言う
占領地だからだ
そして、ある時だった
先輩下士官と
スマトラの街を歩いていた
すると、タバコを吸った
現地の男性と
すれ違ったらしい
先輩は、いきなり
男性を、平手打ちした
タバコを、叩き落とした
先輩は、タバコを拾って
吸ったのだと言う
タバコの配給が
足りなかったのかな
タバコを吸う現地の人が
気に入らなかったのかな
呆然とする男性と、父
やがて、男性は
何も言わず、悲しげに
走り去ったのだと言う
父は、もちろん
先輩下士官に、など
ただ、無力で
何にも、言えない
ただ、それだけだった
それが、戦争の実相
血で血を洗う
死闘の最前線でなくても
飢えと、熱病の
敗残の撤退路でなくても
綺麗なことなど、何もない
そう言うことだ…

コメント一覧

takey813
@satochannoniwa コメント有難う御座います。義父は、ビルマ戦線の生き残り。スマトラ島などは、戦場ではなかった言われてしまいましたが。ただ、現地で、日本軍が、占領軍して行っていたのは、この程度のことです。インドネシアは、独立戦争での日本兵の協力者も多く、親日的とされていますが。なお、父が、初めて実戦を体験したのは、戦後オランダ軍の手先として、独立軍と戦った時だったそうです。植民地支配者の手先としてですが。
satochannoniwa
悲しいですネ 人間性が そんな事柄で 出てくる、、
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