しかし、最近の野良は、それにしても、我がもの顔だ。もともと、置物にもならない犬しかいなかったけど、それも、いなくなったら、ますます。もう他人の家の庭なのに、自分の庭のつもり。それも、これも、我が家の無気力犬などではなく、働きもので、一生懸命番犬していた近所の健気な飼い犬たちも、まったく居なくなってしまったからだ。
近所を、徘徊している野良猫と、同じく放し飼いで、徘徊している家猫が、ラブラブだったりして、また、野良が、増えてしまっていたりする。とにかく、犬が、居ない。庭には、殆ど居なくなった。室内犬は、それなりに居るようだが。外犬を、飼っていた感覚かるすると、室内犬は、ちょっと違う。この分譲住宅の住人も、おおかたが、高齢者になってしまっている。ペットショップの、高齢者には、犬は売らない制限とかが、一因なのかも知れない。
ただ、やはり、色々、ちょっと、時代が、変わってきたな、と思う。我が家で、飼っていたのが、しろが、体重23kg。その後に飼ったちびが、17kg。特別に大型犬では無いが、室中で飼う愛玩犬などとは、まったく違う。自分なりの感覚で言えば、我が家で飼った犬のサイズになると、犬が言うことを聞かないと、飼い主側は、それなりに手こずらなければならない。
飼ったことが無いから、良く分からないが、愛玩犬、或いは、猫だったら、言うことを聞かなければ、抱き上げて終わりなのではないか、と思ってしまう。そんな簡単なことでは無いのだろうが。ただ、我が家で飼っていた犬くらいのサイズ、或いは、もっと大型犬になれば、物理的には、人間の子どもか、それ以上に体力を使って、対峙しなければならない。一対一で、向き合う覚悟が、必要だったと思う。
小動物を飼うことは、自分などのような経験の無い人間には、分からない苦労が、あるのだろうとは、思う。しかし、ある程度のサイズの動物を飼うことは、特に利口で、でも大概馬鹿な犬などを飼うことは、真っ正面から向き合う覚悟も、必要だったようにも、思える。今は、都市部の住宅環境などもあって、前提として、大型動物は、一段と飼いづらくなっていることがある。しかし、やはり、自分の胸元に抱き上げられる、コントロール化に置けるペットが、好まれる傾向があるのかな、とも思えてしまう。
或いは、猫は、ブログなどを見せて頂いていると、そうでも無いのかも知れないが、家に付くと言われるように、ちょっと、人間に、ツンデレなところがある。それが良いと言う猫好きの人が、多かった気がする。猫は、犬のようには、人間に尻尾を、振らない。そこへいくと、犬は、大型犬であっても、人間にべたべたと懐いてくれたりする。だから、人見知りの自分などは、可愛くて、仕方がなかった。
自分が、最近のペット事情になかなかついていけないのは、やはり、ペットに求めている絆のかたちが、違うのかなと、思うところもある。
我が家の犬たちは、言うことを聞かないと、なかなかに苦労はした。言うことを聞かそうと、リードを引っ張っても、なかなかついて来ない。しかし、例えば、不審者が徘徊していたりすれば、心強い味方だったりもした。吠えて、守ってくれたりする。でも、そんな手に余る子どもや、仲間でもあるような飼い犬との関係は、絶滅危惧種になりつつあるのかな、思えてしまう。
ペットを飼う条件として、場所的な余裕や、飼い主の手間や、体力など、制約が、色々前提として出てきてしまっているのは、どうしようもない事実だからだ。
妻によると、今もこの我が家には、犬たちの霊が、ふらふらしているらしいが。自分には、見えない。でも、ちょっと、嫌味を言いたい。しろ、最近、人気ないね、と。