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日記、日々の想い 

幼い日、母の実家に…

戦後でもね
まだ、昭和30年代だと
子どもの健康状態を
ランク付けして
本人にずばり
頭ごなしに、叱るように
宣告したりしたんだよ
まあ、お国の方針に
まだ、そんな軍国調が
残ってたんだろうけどね
小学校低学年の
集団検診だった
上半身裸になって
列に並ばされる
それで、「栄養状態B❗️」
みんなの前でね
当番のお医者さんから
痩せっぽちの
裸の身体も、叩かれた
凄く、傷ついた
悪性の扁桃腺で
口内炎だらけで
のども、腫れ塞がってて
食欲もないって言うか
食べるの、辛いんだよね
だから、そんな自分を
おふくろが、心配して
末っ子の自分だけ連れて
実家に、里帰りしたんだ
じゃなけりゃ、多分
姑の婆さんと、揉めた
だけかも、知れないけどね
或いは、結核患者の叔父さんが
同居してたから
身体のとりわけ弱い
自分が、感染するのを
恐れたのかも知れない
おふくろの実家は
小学校の前で
文具も売る雑貨店で
義理の伯母さんが
お店は、やっていた
でも伯父さんも
会社勤めもしていて
畑もやっていた
庭が、広い家だったから
山羊を、飼っていたんだ
その山羊のミルクを
飲まして貰った
ちゃんと飲めたらしい
よく飲んだらしい
毎日、毎日だ
その栄養のおかげで
骨と皮だけみたいだった
子どもの自分は
随分、ふっくらしたみたいだ
まだ、四歳くらいだったかな
ミルクを飲んだ
記憶は、あるけど
味なんて、覚えてない
ひょっとすると、その時の
おふくろの実家での生活で
自分は、辛うじて
生命を、繋げたのかも知れない
おふくろは
八人兄妹なのに
まともに育ったのが
伯父さんとおふくろだけで
母親のおばあちゃんは
その少し前に
亡くなっていた
顔も、覚えていない
葬列の霊柩車が
彫刻で飾られているけど
人か、牛が引いたのか
大八車みたいなのだった
浄土宗のお寺が
菩提寺だったけど
まだ、土葬だった
これは、小学校五年の
おじいちゃんの時でも
まだ、そうだった
首都圏の、そこそこの街でも
オールウェイズの
昭和30年代なんて
まだ、そんなだったんだ
おふくろの実家は
猫を、三毛とか
何匹も飼っていて
きっと、我が家にいた
虎縞のたまの
親兄妹だったんだろう
裏庭には
釣瓶井戸があって
凄く冷えた西瓜を
食べさせて貰った
そんな記憶もある
だから、きっと
小学校教師のおやじが
今の先生たちと違って
夏休みには
結構、普通に
休んでいたから
婆さんとおやじに
兄さんと姉さんを任して
おふくろは、自分だけ連れて
長い里帰りを
出来たのかも知れない
おふくろの実家は
随分、田舎にあった
みたいな話だけど
本当は、首都圏でも
そこそこ大きな街の
十分中心にあって
伯父さんを継ぐ従兄弟の家も
場所は、そのままだから
小学校の前にはあるけど
雑貨店もやめて
大きな立派な家に
建て替えて、住んでいる
でも、恐らく
三十年以上は
行っていない
何もかも
大昔の話だ
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