自分は、物事を、実証的に理解する科学的な思考をする人間だと思っている。決して、学生時代に一生懸命に勉強した訳でもないし、科学に深い造詣がある訳でもない。ただ、基本的に、物事に対しては、持ち合わせる信頼に足る科学的な知識を最大限に活用して、裏付けを求め、実証的に分析、判断して、理解しようとする。それなので、科学的根拠に基づく実証的な検証もなされずに、安易に世の中に流布されているような超常現象の類いの話には、興味が、まったくない。
ただ、そんな自分でも、その事象を、足りないアタマとは言え、いくら分析、理解しようとしても、理解出来なかったことは、何度となくあった。そして、その事象が、超常的としか表現出来なかったことは、認めざるを得ない。
有り体に言って、妻の予知夢の話だ。自分たち夫婦には、二人の息子がいる。随分と大昔、長男が、小学校六年生だった時の話だ。ある朝のこと。子どもたちは、朝が弱くて、まだ起きて来ない。いつも通り、出社する自分と妻が、二人だけで、朝の食卓に、向かい合っていた。ただ、妻が、いつになく、寡黙になっていて、顔色も蒼白い。「どうしたの?」当然、尋ねた。妻は、重い口を開く。「今朝、ちょっと嫌な夢を見たの…」、と。もちろん、内容を尋ねる。それは、彼女から、時折り聞いていた予知夢らしき出来事と、と重ねた話だった。
彼女の見る予知夢らしき夢と言うのは、人が亡くなったり、危篤に陥ったような時に、夢に、その人が訪ねてくると言うものだった。目覚めると、その人が、夢に出て来て、他愛もない話をしていた記憶は、残っている。でも、何を話したかは、思い出せないのだと言う。しかも、その人としばらく会っていなくて、何故、その人が、突然、夢に出て来たのか、さっぱり分からない。ところが、その日や、数日中に、訃報が来る。祖父母の時などに、そんなことが、あったのだと言う。
事実、この話のしばらく前に、義母が亡くなったのだが、その頃に似た話があった。義母ではない。義父だ。妻は、義母とは、ちょっと、母娘の相克があったが、義父とは、ファザコン気味で、共依存のような深い関係を、感じた。その義父が、寝込んでいた義母の介護疲れで、倒れてしまった。心臓発作で、危篤状態に陥ってしまったのだ。
その当日の夢の話だった。やはり内容は思い出せないが、義父と話している夢だったと言う。危篤になった義父の下に,妻は、子どもを連れて駆け付けた。K県の県庁所在地の政令指定都市にある実家近くの拠点病院だ。義父は、義母を介護しながら、義弟一家と普通に生活出来ていた。だから、救急搬送だ。意識がなくて、話せないから、自分の見舞いは、翌日で良いと言われた。
たまたま、次の日が、自分の営業職としての公休日だった。駆けつけて、ICUで、機器に繋がれた義父と対面した。と言うか、少し遠目に、覗いたに過ぎない。意識はなく、表情も、良く見えない。何かあれば、義弟から、連絡を貰う話にした。取り敢えず、クルマで、家族は帰宅した。途中で、外食。子どもたちを寝かせて、深夜の二人の晩酌。昨日からの思わぬ出来事で、妻は、疲労困憊した様子だった。
殊更に、話した訳ではない。昨日からの出来事の細かい話の、ついでだった。あまり話したくない話を、ふと、漏らしてしまった。そんな感じだった。
自分が出勤して行った直後に、義弟から、電話はあったと言う。義父が、心臓発作で倒れて、危篤なのだ、と。そして、自分に電話した。学校から、帰った子どもたちを連れて、義父の病院に駆け付けた。ところが、その朝には、自分に話さなかったが、変な予感があったのだと言う。学習塾が忙しくて、義母の見舞いにも、しばらく行かずに、介護する義父のことも、頭の片隅だった。その義父が、突然、その朝の夢に現れていたのだと言う。普通に会話していた。久しぶりに。夢は、そこで終わった。会話の内容は、思い出せない。でも、不吉の思いには、襲われたのだ、と。何しろ、子どもの頃からの予知夢らしき、体験があったから。まだ、何も起きていないから、夫との朝食では、話すことは、憚られたとのことだった。
ちょっと、ぞっとはした。妻の予知夢らしき話は、聞いていたので。でも、妻は、思い込みが過ぎる。単なる偶然だろうと、思ってしまった。単なる事後報告だった事だ。
妻は、自分のように、超常現象話を、頭ごなしに否定する考えを持っていない。だから、自身の身に起きる予知夢とも思えるような出来事とか、それを引き起こす自らの異能の可能性を、心配し過ぎていると、自分は、思っていた。
ただ、その朝の話は、ちょっと違っていた。夢の内容だ。彼女は、いつになく、口が重かった。それは、長男の同級生の父親が出てくる夢だった。その長男の同級生と言うのは、同じ小学校だが、自分たちの住む大規模な建売り分譲地の住民の子どもではなくて、地元の兼業農家の子どもで、女の子だった。
だいたい、首都圏近郊の地元の農家と言うのは、新興住宅地の住民より豊かで、その後継ぎ息子も、農業には携わらず、会社員が多い。その同級生の父親なども、都内方面に勤める会社員だった。ただ、妻の知り合いは、当然、母親の方だ。
妻は、学生時代に運動部の部長をやっていて、自分とは、性格がかなり違う。でしゃばりはしないが、頼まれると断れない、仕切り役も厭わない女性だ。それなので、長男が小学一年の時にも、いきなり父母会で皆に推されてしまうと、断ることも出来ずに、PTAの学級委員長になってしまっていた。
ただ、その当時、我が家は、引っ越しできて一年ちょっとで、さすがに、自分よりは交際上手な妻でも、人脈はあまりなかった。ところが、その学校のPTAでは、学級ごとに、親子で集まる親睦会を開く習わしがあり、屋外などで、何か催しをしなければならない。そんな時に、妻を助けてくれたのが、同じ学級のPTAの役員を一緒にしていた、その同級生の母親だったと言う。
彼女は、地元の農家に、他所から嫁いで来た人だった。そのご主人は、地元育ちで、町役場にも顔見知りが多く、役場への口利きが出来ると言う。催しの場所とか用具などの町からの借り出しについて、そのご主人に仲介をお願いしたと言う話は、妻から聞いていた。だから自分は、妻は、てっきりそのご主人とも、顔見知りになったのだろうと思っていた。
その朝の夢について、妻が重い口で語るのには、妻は、そのご主人を知らないのだ、と言う。ご主人は、口利きをしたと言っても、普通の会社員だから、平日の授業時間内に、担任教師も参加して行われる催しなどには、参加出来る筈もない。役場とのやり取りも、すべて奥さんを通して行ったから、ご主人とは、会ったこともなければ、電話で話したことすら無いと言う。顔も声もまったく知らなかったと言うのだ。
その後は、学級も変わるし、男でやんちゃな長男と、女の子の同級生は、疎遠になるばかりだ。当然、母親同士も、顔見知りなだけで、交流は無くなっていた。妻が、その同級生の父親もまったく知らないままなのは、自然なことだった。
ところが、夢に出てきたその同級生の父親は、知らない人なのに、何故か、その子の父親だと、妻には分かっていて、挨拶をして、他愛もない世間話もしたと言う。夢を見ながらも、その不自然を、強く感じながら。
自分は、夢を見ていると浅い意識で気付いていても、目覚めるとあやふやな記憶しか残らない。見ていたこと自体、はっきり思い出せない。だが、妻は、夢を見た記憶は、会話内容など思い出せなくても、話相手などの姿かたちは、はっきり記憶しているのだと言う。
だから、その日、目覚めた後、その夢を思い返して、知らない筈の人が、何度か経験してきた予知を疑う不気味な夢と似た様子で、夢に現れたごとに、言いようの無い不気味な不安を感じたと言うのだった。自分も、そこまで話を聞くと、少し、背筋が寒くなったことを覚えている。
ただ、自分は、そこからは、忙しなく出勤して、日常のあれこれとした仕事になり、いつも通り、疲労困憊して、自宅に辿り着いた頃には、朝の話など、すっかり忘れていた。
しかし、妻は、朝にも増して、蒼ざめた顔つきで、出迎えた。着替えが終わり、一人遅い食事をとり始めると、相伴した妻が、低い口調で、その日にあった出来事を語り始めた。
何でも、朝、夢に見た、長男の同級生の父親が亡くなったのだと言う。もちろん、顔も知らないままだが。後々聞いた話だが、自分よりは、通勤先は近くて、自分よりも遅い通勤電車に乗っていたと言う。車内で、耐えられないほど気分が悪くなったらしく、途中駅で、降りたらしい。そして、そのまま気を失い、発見されて、救急搬送されたが、ほどなく亡くなってしまったと言うのだ。くも膜下出血だったと記憶している。まさか…
妻は、母親とは、知った仲だし、翌日の通夜に参列するつもりだと言った。顔色は、蒼ざめたままだ。いつにない、生気のない声。自分は、改めて、背筋が、凍る思いがした。翌朝、また、いつも通りの出勤だった。短く、「通夜に、行くのか」と。妻はと言うと、顔を曇らせていて、低い声。「行くよ」と。
もちろん、その日の仕事も忙しく働いて、そんなことは、思い返すことはなかった。しかし、帰りの電車では、さすがに、その前日からの話の不気味さを、思い返していた。玄関を開けると、妻と目が合った。直ぐには、話さなかったと思う。まさか、ね… しかし、ふとした瞬間に、妻は、呟くように話し始めた。
「さっき、○○さんの家に、通夜に行ってきたんだけど…」少し、軽く息をついた。「…蔡檀のご主人の写真、やっぱり昨日の夢に出てきた、あの人、だったのよ…」途切れ、途切れに。「…何でなんだろう。一度も会ったことも見たことも無い、人、だったんだけどね…」妻の顔は、やはり、すっかり蒼ざめているようだった。
自分は、このことを、はっきりと記憶しているのだが。どんなに、考えても、自分なりの説明をつけることが、出来ないままだ…