神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。
それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
(ローマ人への手紙 3:25)
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
(テモテへの手紙第一 1:15)
このブログに掲載しています聖句は、聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会からの引用によるものです。
なお写真と聖句とは関係ありません。
イエスはこう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
(ルカの福音書 24:46-47)
すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。
(マルコの福音書 10:34)
このブログに掲載しています聖句は、聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会からの引用によるものです。
なお写真と聖句とは関係ありません。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、
ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
(ペテロの手紙第二 3:9)