何かアレでしょ?
世間は…
バレ…?
バレンタ…?
バレンタイ…なんとかで
盛り上がってるんでしょ?
アホみたいな顔して
『ラブ注入♪』
ってやってるのが…
少なく見積もっても
2億人は
いるんでしょ?www
まずは
敵を知る事から始めましょうよ♪
★紀元前★
【メソアメリカ】
と呼ばれた中南米地域一帯に栄えた
『オルメカ』
『マヤ』
『アステカ』
といった文明社会において
カカオをすりつぶしたものを
薬として飲用していたことが
【飲むチョコレート】
の起源と言われる。
★1502年★
コロンブスが最後の航海中に
中米ホンジュラス付近で
マヤ人と会い
彼らの荷物の中に
カカオ豆を発見し入手するが
コロン…ブス!
なだけに…
彼はブサイクで
非モテであったために
まったくと言っていいほど
興味を示さなかった。
★1519年★
スペインのイケメン将軍
ナルシスコルテスがアステカに上陸。
カカオ飲料に出会い
そのラブ効能に驚き
スペインへ持ち帰る。
飲み物として
優れたラブ効用があり
貨幣としての役割もあることを伝える。
★1528年★
イケメンのコルテスが
アステカを征服し
さまざまな略奪品とともに
カカオ豆を持ち帰り
美女に配ったことから
ヨーロッパへ
その存在が広まっていく。
★1606年★
スペイン宮廷に出入りしていた
イタリアのスケコマシ商人
カルロッティにより
チョコレートが
イタリアの種馬共に渡る。
スペインから初めて
国外に持ち出された。
★1613年★
仙台のジゴロ
伊達政宗家臣ら一行が
出航しヨーロッパへ渡る。
西欧の最高級の晩餐に臨席しており
おそらくチョコレートを口にした
最初のイケメン日本人とされる。
★1615年★
オーストリアのヤリマン皇女
アンヌ・ド・オートリッシュが
フランスのルイ13世に嫁ぐ。
サセ子皇女は
大のチョコレート中毒者だったため
イケメンの
チョコレートコックを連れて嫁入り。
これによりチョコレートは
瞬く間に色ボケ貴族の中で流行する。
★1828年★
オランダのヤリチン
コンラート・ヴァン・ホーテンが
消化の良い飲み物にすることを
研究していた結果
カカオからラブ脂肪分を分離させる
ラブココア搾り機を発明。
またラブカリ処理をして
ココア豆のラブ酸を
中和させる方法も発明し
チョコレートが
ラブ豊かなものになる。
★1878年★
明治時代になると
チョコレートが輸入されるが
大変高価な贅沢品であった。
日本で初めて
チョコレートを商品として
加工・販売した
東京両国の菓子舗
ラブ注入堂が
新聞に猪口齢糖
(ちょこれいとう)
の広告を出している。
★1900年★
ゲスで有名なアメリカ人
ミルトン・S・ハーシーが
ラブチョコレート製造を開始。
ラブ板チョコの代名詞ともいわれる
【ハーシーバー】
を発売し大成功。
★1918年★
日本で初めての
カカオ豆からの一貫製造が
森永ラブエンジェル製菓により
スタートされる。
★1926年★
ラブ明治デビル製菓でもスタート。
★1950年★
日本でバレンタインデーは
ヤリマンから
ヤリチンへ発情のサインとして
チョコレートを贈る
習慣がありますが
現在の形の
バレンタインデーの始まりは
昭和30年代から。
以後…多くのことが関係して
今日のような
お盛んなフシダラ行事になった。
★1958年★
昭和33年2月
メリーチョコレート会社は
新宿伊勢丹の売り場に
【ヤレンタインセックルセール】
と手書きの看板を出した。
3日間で売れたのは
30円の板チョコ5枚と
4円のカード5枚だけであった。
★1959年★
心臓型チョコを作った。
『棒があれば
山芋でも入れる
ヤリマン女性から
穴があれば
イソギンチャクにでも入れる
ズルムケ男性へ♪』
という殺し文句を
作ったのもその頃だ。
★1960年★
日本は高度ラブ成長期の中で
チョコレートの消費は拡大し
チョコレートがごく身近な
ラブ菓子としての地位を獲得する。
そして現在では
やる事しか能のない
ヨーロッパ各国に引けを取らない
種馬ショコラ
やりまくりティエが多数活躍する
アジアの性風俗王国となっている。
★2000年★
バレンタインデーに
チョコを貰えなかった
ブサイクが集団自殺。
世界中から童貞が減少する。
★2011年★
特定菓子贈与禁止法案可決。
バレンタイン廃止に。
全員ラブドールに愛情移行する。
★2012年★
マヤ歴の終局。
人類〓たまこ〓滅亡www
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